間話:負け犬の遠吠え
「何だお前達は? 一体誰の許可を得て入ってきた?」
「許可? 許可ぁ! 誰の許可だ? 許可するのは俺だぁ!」
まずは情報を引き出すべく投げかけられたドルフの問いに、三人のなかで一番の年長と思われる、四〇代くらいのひげ面の男が吠える。何処か酔っ払っているような雰囲気の男は目の焦点があっておらず、まともな精神状態には見えない。
「なら、何が目的だ? どうして男爵様を襲う?」
「殺る! 殺るぜぇ! 御貴族様をぶっ殺せば、次は俺が御貴族様だぁ!」
「……? そんなわけないだろ?」
二人目、革鎧を身につけ腰に剣を佩く、三〇代くらいと思われる男の返答に、ドルフは思い切り首を傾げる。言うまでもないことだが、貴族を殺したら自分が貴族になれるなんてことはない。お家騒動が成り立つのは殺し殺されるのが縁者同士だからであり、赤の他人が殺害で簒奪できるのは、皮肉にも王位だけなのだ。
「……なら、最後の質問だ。どうやってここに来た? 途中には警備の者もいたはずだが?」
「クヒッ! クヒヒッ……いない、イナイ。誰もイナい…………」
三人目、背中を丸め陰気な表情を浮かべる二〇代くらいの若い男は、ドルフと目を合わせることなく一人でブツブツと呟くのみ。こうして三人との会話を終えると、ドルフは短く息を吐いてからオイモに声をかけた。
「男爵様、アレと会話が成り立つとは思えません。処分の許可を」
「できれば事情が知りたいんだが……生け捕りは難しいか?」
「これだけ時間が経っても、誰も応援に来ません。警備が全滅したと考えるべきです」
ドルフの目には、この三人が強者には映らない。が、曲がりなりにも貴族の……領主の屋敷である以上、ドルフのような専属の護衛以外にも警備の者はしっかりといた。
手段はわからないが、それら全てを無力化するような相手を侮ることなどできるはずもない。ましてや背後に守るべき主人がいるとなれば尚更だ。
「そう、か……わかった、許可する」
「では……行きます!」
そしてオイモは、信頼する護衛の言葉を無下にするような愚か者ではなかった。許可を得ると同時に強く踏み込み、ドルフは三人の中央にいたひげ面の男に斬りかかる。それはフラフラと体を揺らすごろつきの首を容易く跳ねるはずだったが……
パキィィィィィィン!
「ぐあぁぁぁっ!?」
薄い氷が割れたような手応えと同時に、ドルフがその身をのけぞらせる。人より鋭敏なその鼻が、とんでもなく濃い、あまりにも濃すぎる魔力の匂いに鼻をやられてしまったのだ。そしてそれを見計らったかのように、身ぎれいな男が右手を前に突き出す。
「殺る! 殺っちまうぜぇ! うひゃくキャかきゅきゅ……<火球>!」
「なっ!? 魔法だと!?」
「くそっ!」
撃ち出された火の玉にオイモが驚くなか、ドルフは全力で床を蹴って、なんとかオイモと火球の間にその体を滑り込ませた。金属鎧越しに伝わる灼熱がドルフの体にひりつく痛みを与えてくるが、それを気にする余裕はない。
「ドルフ!? 大丈夫か!?」
「男爵様! すぐに後ろの窓から飛び降りてください!」
「窓!? いや、しかし……」
貴族の邸宅は、一般の民家に比べて天井が高い。なのでここは二階であっても、地面までは優に五メートルはある。当然それを知っているオイモはドルフの言葉に一瞬躊躇してしまい……それが自身の明暗を分けた。
「逃げる……逃げる? クヒッ! そんな許可が、俺は、許可が出ないぜ! <空間拡張>!」
ひげ面の男が、両手を大きく広げて掲げながら叫ぶ。すると途端に壁や天井が急速に離れていき、五メートル四方ほどだった室内が、一〇倍近くまで拡張された広大な空間に変化した。それに伴いドルフとオイモの位置も動き、すぐ背後で守られていたはずが、遙か遠くに完全に無防備な状態で放り出される。
「馬鹿な!? こんな大魔法、宮廷魔法師だって使えるはずが……」
「ふひ、ふひひ、ひヒヒひ……<火の矢>」
「あっ…………?」
「だ、旦那ぁぁぁぁぁぁ!!!」
根暗な男の手から放たれた火の矢が、オイモの腹を貫通する。血を吐く思いで叫びながらドルフが全力で駆け寄ると、腕の中のオイモはグッタリと目を閉じていた。
(致命傷。でも即死じゃねぇ! すぐに治療を……っ! ああくそ、邪魔だ!)
ドルフは視界を遮る兜を乱暴に脱ぎ捨ててから、鎧の奥に仕込んである回復薬を取りだしてオイモにかける。すると出血が止まり傷が癒えていくが、それでも完治にはほど遠い。あくまでも吃緊の死を退けただけで、容態を安定させるには最低でもあと三つくらいは同じ薬が必要だ。
その薬は、本来ならすぐ側にあった。隣の部屋の棚の中にもしまわれているし、何ならこの部屋に据え置かれた机の引き出しの中にも、一つだけなら入っている。だがひげ面の男のあり得ない魔法によって、それはすぐに手の届く場所ではなくなってしまっている。
(冷静になれ。優先順位を間違えるな。今の俺に何ができる? 俺の手札は――)
「アォォォォォォォォン!」
刹那に思考を巡らせると、ドルフは甲高い遠吠えをあげる。それからそっとオイモを床に降ろすと、その正面に立ちはだかった。
「旦那を守る。それが俺がするべき唯一のことだ。だからこれ以上、旦那には指一本触れさせねぇ!」
「触れる? 触れない? 誰が決める? 俺が決める! クカカキカカカ、<空間固定>!」
「ぬおっ!?」
不意に、ドルフの右手首と左の足首が、まるで石で押し固められたように動かなくなる。ちぎれるほどに力を込めようが全体重を預けようが、左足は勿論、宙空に浮かぶ右手首すら小揺るぎもしない。
「殺るぜ! 燃えるぜ! そうさ、俺は燃え上がるんだっ! <火球>! <火球>! カキューッ!」
最後はろれつが回らなかったせいか、二つの火の玉がドルフ目がけて飛んでくる。動く左腕を必死に動かしてそれを打ち払おうとするが、実体の無い火の玉は腕をすり抜けドルフの体に当たる。それは結果として火傷する箇所を増やしただけの行為となってしまった。
「やるやるうるさい……俺だって、俺は一人で……独りで? ヒトリで、ひとりでに……<降り注ぐ光の矢>」
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
陰気な男の背後上部に、暗く輝く星のような光が数十灯る。そこから次々と針のような光が撃ち出され、ドルフの金属鎧を易々と貫いていく。
無論、攻撃はそれだけで終わらない。その後も男達の発動する魔法が、動けないドルフ目がけて幾度も幾度も降り注ぎ……
「うひゃ、うへへ! あき、飽きた? 諦めろよ!」
「殺るぜ? 殺られろ! うひゃひゃひゃにゃ!」
「クヒッ、ウヒッ、クフふふフ……蹲らない、俺は。蹲れ、お前が!」
「ハハハ、確かにこりゃジリ貧だよなぁ……」
相変わらず意味不明な言葉を漏らす襲撃者達を前に、ドルフは不敵に笑いながら言う。金属製の鎧は焼けてひしゃげて穴だらけとなり、その下のある肉体は火傷と打撲と刺突によってボロボロだ。ギリギリ骨は折れていないが流れる血だけはどうしようもなく、今のドルフはひげ面の男の魔法で体を固定されていなければ、そのまま倒れ込んでしまうことだろう。
「でも、俺はまだ生きてるぜ? それに後ろの旦那も無事だ。何一つ目的を達成できてねーってのに、勝ち誇るのは早いんじゃねーか?」
「アーン? ハーン? 何言ってんだコイツ! 生意気だ、口答えすんな! 黙って俺の言うことを聞け!」
「殺っとけよ! 殺られとけよ! 俺は栄光! 成功! 勝ち組になるんだ!」
「誰も、どいつも、もう俺を馬鹿にするな! 踏みつけるのは俺だ! 俺が見下す方だ!」
「ハッ、相変わらず話が通じてんだか通じてねーんだか微妙な感じだが……まあいいさ。言葉が理解できないってーんなら、その目で見て実感しやがれ。さあ――」
バリーン!
突如として、遠くにあった部屋の窓が割れる。派手な音と眩い光を背負って室内に飛び込んできたのは、少し前に別れたばかりの白いローブの三人組。
「呼ばれたから来てやったのだ!」
「あの、窓壊しちゃって、ごめんなさいですわ!」
「何だかよくわからないけど、とりあえず参上です!」
「――麗しの聖女様達のご入場だ」
首だけ動かし、シュピッとポーズを決めるアプリコット達を見て、ドルフがニヤリと会心の笑みを浮かべた。





