間話:聖女タチアナは繰り返さない
村に一歩踏み入った瞬間、タチアナの体がふわりと光に包まれる。「最初の一歩」の効果は別に見習い聖女だけのものではないので、神の奇跡が使える者が初めての場所に踏み入れば、何歳だろうとどんな立場だろうと光るのだ。
といっても、タチアナはそれを気にしない。一人ではしゃぐのはちょっと恥ずかしいので、むしろ「光りましたけど何か?」と率先してとぼけるというか、何事もないような空気を醸し出している。
無論、見る者が見ればそういうのはわかるのだが、幸いにして一二歳の少女にして聖女をからかうような不届きな大人は、タチアナの周囲にはいなかった。
「へー、ここが……」
「おや、まさかアンタも聖女様かい?」
村の中を見回しながら歩くタチアナに、近くにいた村人が気さくに声をかけてくる。その顔は生気に満ちており、とてもではないがほんの少し前に死にかけたとは思えない。
「こんにちは。ええ、アタシは聖女よ。少し前に来た見習い聖女達と違って、ちゃんとした聖女なんだから!」
「ん? アンタ、レーナちゃん達の知り合いなのか?」
「知り合いってほどでもないけど……ここに来る途中ですれ違ったから、その時にちょっと話をした程度ね」
「ああ、そういうことか! 聖女様なんて来ないときは何年だって来ないのに、こんなに急に来るようになるとはねぇ……ありがたいこった」
タチアナの言葉に、人の良さそうな中年男性の村人が日焼けした顔に笑顔を浮かべて拝んでくる。偉大なのは神様であって自分では無いことをタチアナはちゃんと理解しているが、それでも祈りの先に神が在ると考えれば、タチアナの胸の内にジンワリと嬉しい気持ちが広がる。
「フフーン、いい心がけね。ところで最近、ここで大量に死人が出そうになったって話を聞いたんだけど、大丈夫だったの?」
「ああ、毒キノコ事件のことかい? 確かにあれは大変だったねぇ。レーナちゃん達が通りかかってくれなかったら、今頃この村の半分以上が死んじゃってただろうから」
「そう……運が良かったのね。それとも日頃の行いかしら?」
「ガッハッハ! どっちにしたって助かったのは違いない! 神様にも聖女様にも、感謝感謝だよ!」
「フフッ、感謝は大事よ。せっかく助かった命なのだし、頑張って生きなさい」
「おう! ありがとな、聖女様!」
微笑むタチアナに礼を言うと、元気に手を振りながら男がその場を立ち去っていく。
勘違いされることも多いが、タチアナは……というか、死神マタライセは、別に人の死を望んだりはしていない。死を見守り、死んだ魂に救いを与えるからこそ死神なのであって、死を与える神ではないのだ。
なので、ちょっとアレな手段だったとはいえ、それで助かった村人に思うところは何も無い。アプリコット達と対峙した時は神託のこともあって感情が先走ってしまったが、本来のタチアナはちょっと……大分……負けず嫌いなところはあっても、ちゃんと周囲に配慮できる聖女なのだ。
そうして最初の村人と別れてからも、タチアナはゆったりと村の中を歩いて回る。その後は教会にも顔を出してみたが、どうやら今は聖女の助けは必要としていないらしい。
(まあ、そうよね。レーナ達がここを出たのは今朝だろうし)
これが何千人も住んでいるような町なら、連日ちょっとした怪我人が出たり、体調不良を訴える者もいることだろう。が、精々七〇人くらいしか住んでいない小さな村となるとそんなことはない。特にレーナ達がそれなりの期間奉仕活動をした直後ということで、ごく普通の聖女であるタチアナが求められるようなことは何も無かった。
無論、何の仕事も無いということではなかったのだが……
(てか、新しい畑を開墾するとか、力仕事なら幾らでもって言われても、そんなことできないわよ! この村の聖女の基準がおかしくなったら、絶対アプリコットのせいね!)
無償で労働を手伝うのが奉仕活動なのだから、言葉の意味としては間違っていない。が、屈強な男性が年単位で取り組むような仕事を、年端もいかない行きずりの少女に頼むのは決定的に間違っている。なのにそんな提案が出てくるのは、少し前までここに滞在していたアプリコットが、あり得ないパワーを生かしてそれをやっていたからだ。
そんなのと一緒にされては困るとタチアナは神子にきちんと告げたし、神子も「ですよね」と苦笑いしていたので大丈夫だと思うが、もしこれから先、この村に通りかかる聖女がみんなそんな奉仕活動を求められることになったとしたら、完全にアプリコットのせいである。
(せめて種を蒔いた後なら、豊穣神デキテルの<実りの奇跡>を求められるのもわかるけど……次に会ったら、一回ちゃんと言ってやらないと駄目ね!)
見習い聖女の指導は、聖女である自分の役目。歳は同じでも立場は違うのだと息巻くタチアナだったが、不意にその視界に黒いナニカが映った瞬間、全身にこれまで感じたことの無いような怖気が走った。
(何!? 一体何が…………っ!?)
「うーん、オカシイですね。何故一人も死人が出ていないのデショウか?」
「う…………あ……………………」
そこにいたのは、黒い帽子を目深に被り、黒い外套で身を包んだ、何もかもが真っ黒な存在であった。見た目的には「ちょっと変わった格好をした人」でしかないのに、それを見てしまったタチアナの全身から汗が噴き出し、体が動かないどころか息すら詰まって言葉が出ない。
「アレで大量に死人が出てくれれば、小規模ながらも良質な魔力の吹きだまりがデキていたはず。チョットした休憩場所にピッタリの立地だと思って、いい感じに仕込んでいたはずなのですが……オヤ?」
そうしてタチアナが震えていると、謎の黒ずくめの方もタチアナに気づいた。それは帽子の影から覗く何の変哲も無い男性の顔をニヤリと歪ませ、納得するように小さな声を漏らす。
「ナルホド、そういうことですか。まさか死神の手が入っていたトハ……ですが死を司る神が、わざわざ死を遠ざけるのデスか? 何とも矛盾した話に思えマスが……」
「……っ! ふっざけんな! マタライセ様は誰よりも命の尊さを知ってる神様だ!」
信じる神を愚弄されて湧き上がった怒りが、タチアナの固まった心と体を動かしてくれた。その勢いのままに、タチアナは更に謎の黒ずくめに向かって問いかける。
「アンタが『神に仇為す存在』ね? 黒いし怪しいし、間違いないわ!」
「ヒトを見た目で判断するのは如何なものデスカね? 私はただの善良な魔法師デスヨ?」
「なわけないでしょ! 今の物騒な呟きが聞こえなかったとでも思ってるわけ!?」
死神マタライセの言っていた「見たらわかる」をこれ以上無いほど体感させられ、タチアナが声を荒げて啖呵を切る。これで本当にただの魔法師だというのなら、それこそ詐欺だ。
「信賞必罰、神勝悪伐! 我が瞳は信仰と共に在り!」
とは言え、アプリコット達の一件もある。タチアナはいきなり攻撃を仕掛けるのではなく、まず相手のことを見極めるために聖句を唱え……だが神の力が満ちた瞳が黒ずくめを映した瞬間、その目に激痛が走った。
「うぐっ!? な、何……?」
思わず手で押さえてしまうと、その手のひらにぬるりとした感触が生まれる。すぐにそれが自分の血だとわかり、それを見た黒ずくめが小さくため息を吐く。
「ハァ、神の瞳デスか。私としてはここでナニカをするつもりはないので、血で何も見えなかったことにして、お互い立ち去るというのはどうデスカ?」
「冗談! アンタみたいに怪しいのを、見逃すわけないじゃない!」
ゴシゴシと目を擦り、血を拭ったタチアナがキッと黒ずくめを睨む。既に血は止まっており、その目には黒いもやを纏う黒ずくめという、怪しさに怪しさを掛け合わせた怪しさ大爆発な相手の姿がはっきりと映っている。
「このアタシが、とびっきりの神罰をくれてやるわ! ありがたーく頂戴しなさい!」
「ヤレヤレ、仕方ないデスね……」
予想より遙かにあっさりと見つかってしまった捜し物。だがそれが果たして幸運だったのか不幸だったのかは、今はまだわからない。やる気満々のタチアナと、肩を竦める黒ずくめ。一方的な敵意から始まる戦いが、再び幕を開けようとしていた。





