間話:聖女タチアナは振り返らない
今回から全四回の間話となります。
「ハァ。ほんっとうにやかましい奴らだったわね……」
アプリコット達と別れ、彼女たちとは反対方向……即ち毒キノコ騒動があった村の方へと向かうタチアナは、その道すがらでふとそんな言葉を漏らす。たった一人で歩く道は、ほんの少し前まで馬鹿みたいに騒がしかったのが嘘のようだ。
だが、これこそが自分の日常であり、あの一時こそが異常。それをタチアナはきちんと理解しているのだが……それでも胸の中に湧き上がる、妙な寂寥感を拭い去ることはできない。
「っていうか、やかましいだけじゃなく変過ぎるでしょ! 何なのよあれ!」
なのでタチアナは、知らず声に出して独り言を続けた。返事をしてくれる人はいなくても、その頭の中には騒々しい三人の姿がありありと浮かんでくる。
「レーナは……まあいいわよ。普通の見習い聖女だったし」
正直、レーナに対して思うことは特にない。三人のなかで最も年長に見え、もっとも聖女らしい聖女。だからこそあの三人を見かけた時、「神を殴る」なんてことができるのはレーナだろうと判断して襲いかかった。
だが、話を聞く限りレーナはごく普通の、真っ当な聖女だった。一二歳という年齢からすれば十分な<神の奇跡>を使いこなすようだが、それでもそれは見習い聖女の範疇に収まるものであり、何も特別ではない。もしあの三人のなかに混じっていなければ、「普通すぎる」ということでレーナの印象はとても薄いものになっていたんじゃないかと思える。
「シフって子は……どう受け止めたらいいのか、未だにわかんないわね」
獣の耳と尻尾が生えた少女。ただそれだけでもおかしいのに、どうも彼女のご先祖様は、遙か昔に「神を害するためのもの」として悪魔に呪いをかけられて造られたらしい。その時点で大分お腹いっぱいなのに、あろうことか子犬……本人はオオカミだと言い張っていたが……に変身したうえに、その牙が自分の腕を傷つけてきた。
つまり、呪われた一族の話が本当かどうかはともかく、彼女の牙には自分の使う<神の秘蹟>を突き破って攻撃する力があったということだ。これはとてもではないが見過ごせることではない。本当に神を傷つける力があるとなれば、最低でも拘束、可能であれば神罰を与えるべきではないかと思う。
「でも、マタライセ様は何も言わないのよねぇ……」
だというのに、さっき降りて来た神託で、死神マタライセはタチアナに「シフをどうにかしろ」とは言わなかった。故にタチアナは、現段階でシフをどうにかするつもりはない。
当然だ。神が望んでいないことを勝手に推し量って行動するのは、神の意志を己の都合のいいように曲解する行為として、最もしてはならないことだと徹底して教えられている。たまには言葉の足りない……己が未熟故に聞ききれなかった神の意志を間違えたり勘違いしたりすることはあるが、能動的にそうするなど言語道断である。
「……まあ、アタシとしては楽でいいけど」
それに、神罰を与えよと言われなかったことを、タチアナは内心でホッとしていた。友のために身を挺し、友のために怒り、友と共に戦うあのオオカミ少女が、タチアナは嫌いではなかったのだ。
無論それが神にとって脅威となるなら私情など放り投げて神の意志を実行する必要があるとわかっているが、自分の判断より神の判断を優先するのは神の使徒である聖女として当然である。
「とにかく! 訳はわからないけど、何もしなくていいって言うならいいのよ。それより問題はアプリコットよ! あれこそ本当に何なのよ!?」
誰も居ない街道に、タチアナの怒鳴り声が響く。最後に頭に浮かんだのは、ちんちくりんな理不尽の権化だった。
「何でアタシの……マタライセ様の力が防がれるのよ!? てか、誰なのよムッチャマッチョス様って!? 散々考えたのに、未だにわかんないわよ!」
タチアナの使った<終焉の秘蹟>は、攻撃した相手の未来を断ち切る。そして未来を失うということは、そこが終わりになるということだ。生きながら「今」という永劫の牢獄に捕らえることのできるこの力は、神罰と呼ぶに相応しい強力無比なものである。
だが、あろうことかアプリコットはそれを正面から殴って止めた。つまりあの時アプリコットの拳には、自分と同じかそれ以上の神の力が満ちていたことになる。だが信徒にそれほどの力を貸し与えられる神の名が、タチアナにはどうしても心当たりがなかった。
「おかしいわ。本当におかしいわよ! あんなに強い力が出せるなら、どう考えたって有名になってるはずなのに、どうして世間に全然知られてないの? 奇跡の力を使う人どころか、加護をもらった人すらいないなんて……」
神の力は素晴らしいが、それを発揮するのに向いている場というのは間違いなく存在する。戦場でなら商売神ウッテカッテより戦神アラクレトールの力の方が活躍するだろうし、料理の場で活躍するのは法律神マルカバツカではなく、天秤神ヒカクラベルであろう。
そういう意味では、「筋肉神」というのはかなり幅広く活躍できる神だ。人の体は筋肉で出来ているし、戦いのみならず日常生活においても筋肉というのは役に立つ。またごく一部には筋肉を文字通り神の如く崇めて体を鍛えるような者もいるため、そういう全ての人達が「筋肉神」の存在を知らないというのは、幾ら何でも不自然すぎる。
「……ひょっとして、名を隠してる? でも、あの子は名前を広めるために祠を建ててもらってるみたいなこと言ってたし……うーん?」
腐神ナレハテや厄神ワリトヤンデルスなど、一般に名の広まっていない神というのは確かに存在する。別に隠されているわけではないが、そういう神に声をかけられた聖女や加護を貰った人は、どういうわけか自分がそうであるということをあまり主張しないためだ。
だがアプリコットは、自分が筋肉神に声をかけられたことを全く隠していない。そしておそらく、筋肉神に気に入られるような存在もまた、それを自慢することはあっても隠すことはないだろう。となると……
「あ、ひょっとして最近生まれたばっかりの神様とか? でも、そんなことってあるの?」
そう呟きながら思わず天を仰ぐタチアナだったが、残念ながらマタライセからの神託はこなかった。まあいくら頻繁に神託が与えられるとは言え、流石に日常会話やちょっとした疑問にいちいち応えてくれるほどではないので、当然と言えば当然なのだが。
「フッ、まあいいわ。いつかアタシが八人目の大聖女になれば、マタライセ様だってもっとお話してくれるでしょうしね!」
それはタチアナの夢にして、代々引き継がれたエンディード家の悲願。その身に神を降ろすことはあらゆる聖女の大望であり、一二歳にして既に<神の秘蹟>を自在に使い、正式に聖女として認められているタチアナは、将来を嘱望される有能な聖女の一人であった。
「さあ、それじゃ今日もガンガン人を助けて、マタライセ様に認めてもらえるように頑張らなきゃ! っていうか、本当の『神に仇為す存在』も探さなきゃだしね」
アプリコット達が違ったのだから、探すべき「神に仇為す存在」は当然この先にいることになる。それを見つけて神罰を与えることは、自分が大聖女へと近づく大きな一歩になることだろうと、タチアナは信じて疑わない。
まあ、神様から直接頼まれた問題を解決すれば、神様に気に入られるだろうという予想を疑う者などいるはずもないのだが。
「いくわよー! えいえいおー!」
自分を鼓舞するように、声を上げて拳を天に突き上げる。脳内では一緒に「おー!」とやってくれているアプリコット達が現実にはいないことに一抹の寂しさを覚えて少しだけ戸惑ったが、決して振り返ったりはしない。未練がましく背後を見つめるなど、死という終わりを越えて新たな未来へと踏み出す手伝いをする死神マタライセ様の使徒として相応しくないからだ。
気づけば道の向こうに、小さな村が見えている。タチアナは意気揚々と、大量の死から逃れたその村へ足を踏み入れていくのだった。





