「これは酷いです……」
グロテスクな表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
「……ふと思ったのですけれど、結局リック君に魔法薬をくれた魔法師というのは、どのような方だったのでしょうか?」
森の中のイリアス家から村へ戻る道すがら。不意に浮かんできた疑問をレーナが何気なく口にする。今までどういうわけかあまり気にならなかったのだが、一端気になり始めると誰も問わないのが不思議なくらい、話題の中心にいる人物だったからだ。
「私この三日、村中を回って奉仕活動をしておりましたけれど、そのような黒づくめの方など見たことがないのですが……お二人はありますか?」
「私も無いですね。なので教会の方には来てないと思いますが……シフはどうです? その魔法師の人が森の中にいたというのなら、狩りで森に入っていた貴方なら出会いませんでしたか?」
「うむ? そのマホーシという奴と同じかどうかは知らないが、我が初めて村の奴らと一緒に狩りに行った日に森にいた奴なら、今も森の中にいるぞ?」
「えっ、シフさん、そんなことがわかるんですの!?」
シフの言葉に、レーナが驚きの声をあげる。するとシフは得意げに尻尾を揺らしながら話を続けた。
「勿論わかるのだ! あの日は森の中からもの凄くクサい臭いがして、鼻が取れてしまいそうだったのだ。そのせいでちょっとだけ狩りで失敗してしまったのだ……」
一転、シフがションボリと肩を落とす。そんなシフの肩を、アプリコットがポンポンと優しく叩いた。
「まあまあ、失敗することは誰だってありますよ。でも、そのクサい臭いというのは……?」
「あれは魔力の臭いなのだ。ちょっと前に頑張って嗅いだばかりだから、間違えようがないのだ! それが何だかもう、凄く一杯集まりすぎて臭い感じだったのだ!」
「なるほど。確かにお花のいい匂いとかでも、濃すぎるとクラクラしちゃいますものね」
「ということは、その人はシフがクサいと感じるほど大量の魔力を持っていたと……まあ魔法師なら不思議ではないんですかね?」
シフがどの程度から「クサい」と感じるのかわからないので断言はできないが、リックの話からすると、その魔法師は手から火を出したりしていたらしい。魔力を現象として具現化できるなら、祖父の魔力を借りていた全盛期のイリアスと比べてもなお何倍も魔力が多いだろうことは想像に難くない。
「でも、森の中ですか……動いたりはしてないんですか?」
「うむ。臭いの中心はずっと同じ場所だ」
「何か魔法の修行のようなものをしているのでしょうか? それともひょっとして、怪我をして動けないとか……!? アプリコットさん、どうしましょう!? 様子を見に行った方がいいでしょうか!?」
「そうですね……」
心配そうな顔をするレーナの提案に、アプリコットは軽く考え込む。魔法などという人知を超えた力を使える時点で、魔法師は強い。が、それはあくまで一対一で戦ったらの場合であって、たとえば複数の獣に纏めて襲いかかられるとかすれば、怪我をして動けなくなるなんてこともあるかも知れない。
「じゃあ、とりあえず静かに近づいてみましょう。で、何事もなさそうでお邪魔になるようだったら、その時はこっそり引き返すということでどうですか?」
「問題ありませんわ! でも、シフさんが案内をしてくれないといけないわけですけれど……」
「うぅ、我はクサいところには近づきたくないのだ。でもアプリコット達が行きたいというのなら、我慢して案内するのだ……」
見るからに力なく耳と尻尾を垂れ下がらせるシフに、レーナが申し訳なさそうに声をかけながらその背中を擦る。
「ごめんなさいシフさん。でもどうにも気になるんですの。あとで沢山、美味しいマーマレード料理をご馳走しますから、頑張ってくださいませ」
「ぬぉぉ、ママの料理をくれるというのなら話は別なのだ! そういうことなら鼻が曲がっちゃっても行くのだ!」
「マーマレードにそこまで犠牲を払うのはどうかと思いますが……じゃ、行ってみましょう!」
何でもかんでもマーマレードで解決し過ぎではないかと心配になるアプリコットだったが、シフがマーマレードに出会って、まだ一月かそこいらだ。もう一月二月食べまくればそのうち飽きるだろうと苦笑してから、一行は進路を村から森の奥へと変更した。
踏み入った森は十分に明るく、そこそこに歩きやすい。人の手が入らない奥に進めば進むほどその道のりは厳しくなるが、それでも森は森。レーナは多少疲れていたが、筋肉漲るアプリコットとそもそも森で暮らしていたシフからすれば、この程度は散歩と変わらない。
だが、そんな平穏も長くは続かない。不意に森が暗くなったかと思うと、清涼だった森の空気に纏わり付くような甘い匂いが混じり始める。
「何ですの? この匂い……何だかずっと嗅いでいたくなる感じですわぁ」
「鼻の筋肉が反応しないので、体に悪いようなものではなさそうですけど……シフはどうですか?」
「我か? 魔力の臭いもこの匂いも、どっちも我には強すぎてクサいだけなのだ。我一人だったらとっくに帰ってママを食べているところなのだ……」
「あー、それは…………ごめんなさい、もうちょっとだけ頑張ってください」
素晴らしい香水だろうと、つけすぎればクサくなる。鼻が利きすぎるシフからすると、どちらの臭いも大差ないらしい。すっかり鼻を押さえてしょぼくれるシフを宥めながら進むと、突如として開けた場所に出て……そこには目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がっていた。
「うぇぇ……」
「これは酷いですね……」
辺りに散乱していたのは、大量の動物の死体。まだまだ暑い日が続いていたこともあり腐っているものも多く、立ちこめる血と腐肉の臭いが凄まじい。だがレーナが泣きそうな顔で鼻を押さえ、アプリコットがギュッと顔をしかめるなか、一番鼻がいいはずのシフは激しく興奮し、ブンブンと尻尾を振り回して怒りを露わにする。
「何なのだこれは!? これだけの獲物を殺しておいて、喰うでもなく放置するだと!? これをやったのは酷い奴なのだ!」
「いえ、目的はちゃんとあったと思いますよ?」
そんなシフの言葉に、アプリコットが近くの死体を指差す。形が残っている死体には、全てわかりやすい共通点があったのだ。
「全部心臓が抜き取られてます。つまりこれをやった人は、心臓だけが目的だったんです」
「それって、あの薬の……?」
「ええ。作って渡したというのでは時系列が合いませんから、イリアスさんとリック君に渡して消費した分の魔法薬、その材料をここで調達していったんだと思います」
魔力を増やす魔法薬。その材料に「魔力を持つ獣の心臓」が使われているのは、十分に予想の範囲内だ。というか、少なくともアプリコット達はそれ以外に魔力を増やす手段など知らないので、他の予想などできるはずもない。
「さっき嗅いだあの甘い匂い、あれはここに獣を誘う効果があったりしたんじゃないでしょうか? で、例の魔法師はここで待っていて、やってきた獣の心臓を抜き取って材料を調達し、それが十分に集まったからいなくなった……というところではないかと」
「いなくなった? 魔法師の方は、もうここにはおりませんの?」
「少なくとも、近くにはいないと思います。何らかの理由で一端遠くまで移動しているならわからないですけどね」
シフのように魔力の臭いはわからなくても、アプリコットは人の気配ならすぐにわかる。それが周囲に存在しないとなれば、ここを立ち去ってしまった可能性が高い。
もっとも、それが自分達が近づいてくるのを感じてなのか、偶然少し前に立ち去ったのかまではわからない。一応周囲を警戒するアプリコットの隣で、ふとシフが寂しげな呟きを零す。
「……なら、ここはもうずっとこのままなのか?」
周囲に散乱する無数の死体。森に生き、沢山の命を奪って生きてきたシフではあったが、それでもこんな風に命が粗末に扱われている状況は、思うところがあった。そんなシフにアプリコットはそっと寄り添うと、穏やかな声でその問いに答える。
「いえ、村に戻って村長さんに相談しましょう。このまま放置したら疫病が流行ってしまうかも知れませんしね」
「そうですわね。私達だけでこの量をどうにかするのは無理ですけれど、きちんと埋めるか燃やすかくらいはしてあげたいですわ」
「そうか! うむ、我も頑張って手伝うぞ!」
「じゃあ、行きましょう」
そう言って村に戻る前に、三人は誰に言われたわけでもないのに、自然に目を閉じて祈りを合わせる。朽ちた獣の魂に救いが与えられるのかは、それこそ神にしかわからないが……それでも少しだけ、三人の背中を優しい風が押した気がした。





