「きちんとしまっておきましょう!」
「…………ということがあったんだよ」
「ほえー」
薬師親子に大きな転換が訪れてから、三日後。なかなか姿を見せないリックを心配して家を訪ねたアプリコット達が見たのは、やる気を漲らせて仕事を頑張るイリアスと、一生懸命にその手伝いをするリックの姿だった。
アプリコットの来訪に気づいたイリアスは彼女たちを快く家に招き入れると、「村に魔法師が来ているのか?」という話をきっかけに、事の経緯を語り始める。そうして全てを聞き終えたアプリコットは、相変わらずちょっと苦い薬草茶を口にしながらそう声を漏らした。
「私達の知らないところで、随分と色々あったんですわねぇ」
「というか、我なんてそいつと会うのすら初めてだぞ? あれか? とりあえずガオーッとやっとくか?」
「駄目ですわよシフさん!」
大きく口を開くシフを、レーナが止めに入る。なおガオーッとやられる側のリックの反応は、微妙な半笑いだ。耳と尻尾があるとはいえ、大して年の変わらない女の子に凄まれたところで怖いと思わなかったからである。
無論、シフが本気で敵意や殺意を向けたらジョバジョバ漏らして泣きながら命乞いをするくらいには怖いのだが、幸いにしてリックが悪戯を仕掛けたのはアプリコットに対してだけなので、リックがその恐怖を体験することはなかった。
「それにしても、まさかあの次の日も、リックが君達に悪戯をしていたとは……本当にすまなかったね」
「いえいえ、気にしないで下さい。何もされませんでした……いえ、何もさせませんでしたから」
会話の中では当然アプリコット達のことも話したため、リックが教会を掃除しているアプリコットの邪魔をしに来たことも伝えてある。改めて頭を下げたイリアスにアプリコットがそう言って視線を送ると、リックが何ともばつの悪そうな顔をして視線を逸らす。
「ちぇっ、何だよ……言っとくけど、俺はまだ負けてねーからな!」
「こら、リック!」
ふてくされて言うリックを、イリアスが叱る。
「迷惑をかけたのは、一方的にお前なんだろう? ほら、ちゃんと謝るんだ!」
「うぐっ…………わ、悪かったよ…………」
「ふふふ……はい、許します」
未だにそっぽは向いているが、リックの心はちゃんと自分の方を向いている。それがわかったからこそ、アプリコットはぶっきらぼうな謝罪を笑顔で受け入れた。
「それで? もう私達に、というか教会の人達に悪戯をしたりはしないんですか?」
「しねーよ! そんなことより、父ちゃんの仕事を手伝ってる方が楽しいからな!」
「わかりますわ! 何かを一生懸命やるって、楽しいですものね」
「そうだな! 我もとーちゃん達と狩りをする時は一生懸命だったぞ!」
「あら、シフさんが一番本気になるのは、マーマレードジャムを食べているときじゃありませんの?」
「ぬぉぉー! 何だとー!」
ニヤリと笑って言うレーナに、シフが両手を挙げて襲いかかる。
「きゃあ!? じょ、冗談ですわよ!? だから怒らないで――」
「確かに! ママを食べるときは、狩りの時より全力全開なのだ! 流石はレーナ、よくわかっているのだ!」
「えぇ? そういう反応になりますの?」
「まあ、シフらしいですけど」
「「「はっはっは!」」」
予備の椅子まで持ってきて、割と狭くなった室内に楽しげな笑い声が響く。そうしてひとしきり雑談を終えると、アプリコット達は休憩を終え、奉仕活動の続きをすべく村に戻ろうとしたのだが……
「おーい、アプリコット!」
「ん? 何ですか?」
家から出てすぐのところで不意にリックに呼び止められ、アプリコットが足を止めて振り返る。するとリックが手にしていた半透明の青い硝子瓶をアプリコットに差し出した。
「これやるよ」
「えっ!? これってさっき話してた、魔力が増える薬ですよね?」
「イリアスさんが研究してる薬を、勝手にあげたりしてはいけませんわよ!?」
驚くアプリコットとレーナに、しかしリックは笑いながら顔の前で手を横に振る。
「違う違う! これは父ちゃんのじゃなくて、俺のなんだよ。魔法師のおっちゃん……兄ちゃん? とにかくその人が、どうせなら二人同じになった方がいいだろうって、二つくれたんだよ。
でも、父ちゃんは飲まなかったから、じゃあ俺もいいかなって。だからやる!」
そう言ってグッとアプリコットに硝子瓶を押しつけると、リックはすぐに踵を返して家の中に戻ろうとし……だがその足が少しだけ止まる。
「その……悪かったよ。あと……ありがとな」
振り返りもせずそう言うと、今度こそリックは家の中に入ってしまった。残されたのはアプリコット達三人と、その手に収まる綺麗な硝子瓶が一つ。
「アプリコットさん、どうしますのそれ?」
「うーん、どうしたものでしょう……」
これがリックなりの謝罪や感謝の気持ちであることは、十分に理解できた。だが全員が女性であるアプリコット達には、魔力を増やす薬は使い道がない。
「そいつは凄く価値があるのだろう? ならそれを売れば、ママが沢山買えるのではないか?」
「感謝の気持ちをお金に換えてしまうのは、ちょっと……というか、シフさんは今でも好きなだけ買えるじゃないですか!」
「何を言うか! ママは幾らあってもいいのだぞ!」
「食べきれないほどあっても、流石に腐ってしまいますわ……それでアプリコットさん、どうするんですの?」
「そうですねぇ……とりあえずしまっておくことにしましょう」
そう言って、アプリコットが自らのローブを捲り上げ、下から手を入れて硝子瓶をしまい込む。その光景を目にして、レーナがちょっとだけ顔を赤くした。
「アプリコットさん、はしたないですわ!」
「そう言われても、この場所にしまっておくなら、こうするしかないじゃないですか」
「ならもっとこう、他の場所にしまえばいいのではありませんか!?」
「いやでも、激しく動くときに、他の場所だと引っかけて落としてしまったり、攻撃を食らうと壊れてしまったりして不便なので……しかもこれ、硝子瓶ですし」
「それは……うぅぅ、でもでも、乙女がそんな……はぅぅ」
別段何かが見えているわけでもなく、何なら秘神カクスデスの加護で真っ黒ななかに手を突っ込んでゴソゴソしているだけなのだが、そこはかとない淫靡さにレーナは思わず手で顔を覆ってしまった。なお当然指の隙間からバッチリ見ている。
「よしっと。じゃあ行きましょうか」
「うぅ、アプリコットさんが平然としているのが、何だか釈然としませんわ」
「足が見えたから何だと言うのだ? 我なんて少し前まで服など着ていなかったのだぞ?」
「流石にそれと一緒にされるのは、ちょっと……」
「ぬおっ!? 何故我がそんな目で見られるのだ!?」
「あー、はいはい! このお話はおしまいですわ! ほら、村に戻って奉仕活動を続けますわよ!」
「「はーい」なのだ!」
パンと手を打ち鳴らしたレーナに率いられ、アプリコット達が村への道を戻っていく。そしてその後ろ姿を、窓越しに見ていた少年が一人。
「……………………」
格好つけて立ち去ったものの、自分があげた薬をどうするのかがちょっとだけ気になっていたリックは、こっそり三人の様子を見ていた。そこで繰り広げられた光景に、リックのなかに言い知れぬ何かがモヤモヤと溜まっていく。
「おーい、リック? どうしたんだい?」
「あ、ああ! 今行くよ! 父ちゃん、俺今日、手伝いをスゲー頑張るから!」
「お、おぅ? どうしたんだ、急にそんな……」
「何かわかんねーけど、何かこう……そういう気分なんだよ!」
「そうなのか? まあ、気をつけてな」
「任せとけ!」
その日リックは、馬車馬もかくやという勢いで手伝いをした。迸る情動の名を少年が知るのは、まだ何年も先のことである。





