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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第四章 薬師と聖女

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間話:迷いの果てのイリアス

「ただいまー!」


 元気な声をあげながら、リックが自宅へと駆け込む。するとすぐにイリアスが仕事場の方から顔を出し、息を切らせる息子に笑顔で声をかけた。


「お帰りリック。どうしたんだい、そんなに息を切らせて?」


「ごめんよ父ちゃん。ちょっと帰りが遅くなっちゃったから、走ってきたんだ」


「んー? 確かにいつもより少しだけ遅いけど、別にそこまで急ぐほどじゃないだろう? まだ日だって落ちてないんだし」


「えっ!?」


 父の言葉に、リックが慌てて振り返る。すると開けたままだった扉の向こうに広がる空は、確かに赤く染まってはいても暗くなってはいない。


「あれ? スゲー真っ暗だったと思ったんだけど……? まあいいや。それより父ちゃん、俺いいもの貰ったんだ!」


 そう言って、リックが後ろ手に持っていた瓶をイリアスに手渡す。半透明の青い硝子瓶は、見るからに高級品だ。


「硝子瓶!? リック、どうしたんだいこれ?」


「だから貰ったんだって! 俺が森で…………散歩してたら、そこでやたら黒っぽい服を着た人に会ってさ。その人が魔法師だったんだよ!」


(魔法師? 見習い聖女の子達だけじゃなく、そんな人まで村に来てるのか?)


 意地でも「迷子になった」とは言わないリックの話に、しかしイリアスは別のことを気にする。同業者とまでは言わないが、流石に同じ魔法関連の仕事をしている人が村に来たなら、自分に連絡が来るのではと思ったのだが……


(あー、これは魔法薬の研究にかかりきりになりすぎたせいだな。もっと村の人達との関わりを大事にしないと)


 自分がここで息子と一緒に生きていけるのは、偏に村の人達が自分の拙い魔法薬を買ってくれるからだ。故に己の不徳をイリアスが内心で反省している間にも、リックは「手からボワッと火を出して見せてくれた!」などと興奮気味に語っている。


 ただ魔法師を語る詐欺師は稀にいるし、何より息子が貰ったという硝子瓶は、おそらくは魔法薬を劣化させずに保存することのできる高級品だ。ならばこそイリアスは、リックが落ち着くのを待ってから改めて問いかける。


「そうかそうか、リックは随分と貴重な経験をしたんだね……それで、この瓶は一体何なんだい? これを貰うことに何か条件を出されたり、約束したりしなかったかい?」


「大丈夫だよ、変な約束なんかしてねーから! それは俺が父ちゃんのことを話したら、その魔法師の人がくれたんだ。それを飲んだら魔力が増えて、前みたいに魔法薬が作れるようになるんだって!」


「なっ!?」


 無邪気に語る息子の言葉に、イリアスは思わず瓶を取り落としそうになってしまった。慌てて手に力を入れ直すと、瓶をそっと近くのテーブルの上に置く。


「よかったな父ちゃん! これでまた昔みたいに仕事ができるぜ!」


「あ、ああ。そうだね、それが本当なら、確かにそうだ……」


「えー、何だよ!? 俺嘘なんてついてねーよ!」


「いやいや、リックが嘘をついてるなんて思ってないさ。でも、ほら……その人は今日初めて会った人なんだろう? 何でそんな人が、こんな凄い薬をただでくれたのかなって」


「? 父ちゃんだって、目の前に困ってる人がいて、自分の作った魔法薬でそれが治せるならあげるだろ?」


「あー……ははは、確かにそうだね」


 不思議そうに首を傾げたリックに、イリアスは困った顔で引きつり笑いを浮かべた。確かに自分ならそうするし、息子がそう思ってくれていることは嬉しいが、それとこれとは話が別……というわけでもないのがまた辛い。


 とりあえずその場は適当に誤魔化し、夕食を済ませると、リックは「明日には昔の父ちゃんが戻ってるのかなー?」とご機嫌でベッドに入っていった。それを見送ったイリアスは、改めて硝子瓶を手に仕事場に向かう。


「魔力を増やす薬、か…………」


 数日前までなら、そんな都合のいいものがあるはずないと一笑に付しただろう。だがアプリコット達との話を経て、「魔力を増やす手段があるらしい」ということを知った。


 であれば、魔力を増やす魔法薬が存在していても不思議ではない。材料は……あまり考えたくないが、それでも生きた獣の体を斬り裂き、脈打つ心臓に齧り付くのに比べれば、これを飲む方がずっと簡単だ。


 とは言え、いきなり薬を飲むほどイリアスも馬鹿ではない。幸いにして自分は薬師なのだから、真っ先にやることは薬が本物か否かの検証だ。


 最近はごく少量の魔力で効果を発揮する魔法薬の開発に勤しんでいるおかげで、今この部屋はかつて無いほど研究に向いた機材や環境が整っている。瓶の蓋を開け、中身を一滴ずつ慎重に取り出し、検査用の魔導具に乗せていく。


 そうして薬を分析し、最終的には生きたネズミで実験した結果わかったことは……


「…………この薬は、本物だ」


 薬を摂取させたネズミから、強い魔力反応が検出された。一晩観察した限りでは副作用のようなものもなく、今も元気に走り回っている。


 つまり、この薬を飲めば、ただそれだけで本当に魔力が増える。信じがたい結果と奇跡の薬を前に、イリアスの喉が知らずに鳴る。


「戻れるのか? あの頃に……?」


 祖父が存命だった頃、イリアスは優秀な薬師であった。仕事に自信と誇りを持ち、村人達の感謝を一身に浴びていた頃……人生で一番輝いていた日々に、これを飲むだけで戻れる。


 震える手で、青い硝子瓶を掴む。調査の為にいくらか中身は減っていたが、摂取量に応じて魔力が増えるだけで、一定量摂取しないと効果が無いわけではないとわかっているので、これだけあれば薬師としてやっていけるくらいの魔力は十分に得られるだろう。


「魔法薬は、人を救うものだ。そしてこの薬は、悩んでいた僕を救ってくれるもの。なら、僕は…………うっ」


 不意に、窓の外から光が差し込んできた。どうやら徹夜の果てに、朝日が昇ってきたらしい。眩い光に目を細め、伸びていく自分の影を見て。イリアスは自分の中に芽生えた感情に従い、手にした薬を――





「おはよう父ちゃん!」


「ああ、おはよう」


 それはとても、爽やかな朝。目の下にクマを作りながらも、生まれ変わったような気分でイリアスがリックに挨拶を返す。するとリックが勢い込んでイリアスに問いかけてきた。


「それで父ちゃん、薬は飲んだのか!?」


「……いや、飲まなかったよ」


「ええっ!? 何でだよ! まさかあれ、変な薬だったのか?」


「いや、ちゃんと効果のある、本物の魔法薬だったよ。あれを飲めば、おそらくは魔力が増えて……前みたいに薬が作れるようになったと思う」


「じゃあ、何で!?」


 まっすぐに自分を見てくる息子に、イリアスは穏やかな笑みを浮かべて答える。


「自分の力で、やってみたくなったんだ」


「?」


「ははは、確かにこれじゃ、分かりづらいよね。そうだね……リックが見ていた昔の僕は、父さん……お爺ちゃんの力を借りることで薬師をやっていたんだ。でもお爺ちゃんが死んじゃったことで、僕はその力を失い、薬師としてやっていけなくなってしまった」


「そうだよ! だから――」


「でもね、これこそが僕なんだ」


 イリアスが、顔を窓の方に向ける。外は今日も快晴で、眩しいほどに太陽の光が溢れている。


「お爺ちゃんの力を借りていない今の状態が、本当の僕の力なんだ。お爺ちゃんがいなくなって初めて、僕は一人の薬師として道を歩き始めたんだよ。


 だから、僕はもう少し僕自身の力で頑張りたいんだ。そうして結果を出せたら、その時漸くお爺ちゃんに『僕は一人前の薬師になれました』って、そう報告できる気がするんだ。


 だから薬は飲まなかった。誰かの助けを借りるにしても、それはもっともっと、もうどうしようもないってところまで頑張ってからだと思ったからね」


「…………じゃあ、俺がしたのは余計なことだった?」


 ションボリと肩を落とすリックに、イリアスは微笑みながらその頭を撫でる。


「そんなことないさ。リックの気持ちは、とても嬉しいよ。ただ父さんは……リックが思ってるよりも、ちょっとだけ諦めが悪かったってだけさ」


 そう言って悪戯っぽく笑うイリアスの顔が、リックにはとても眩しく見えた。あの日憧れた父の笑顔は、あの日から何も変わっていなかった。


(……何だ、俺が心配なんてしなくても、父ちゃんは今でも最高に格好いいじゃん!)


 最近は情けない姿ばかり見ていた気がするけれど、それは自分がよく見ていなかっただけだった。父の成長に引っ張られて自分も少しだけ背が伸びたリックは、それに気づいて満面の笑みを浮かべる。


「さ、それじゃ朝食を済ませたら、今日も仕事を頑張ろう! 傷をすぐに治すような薬はどうしても多めの魔力が必要になるから、今度は治すんじゃなく、悪化しないように保持することに注視するのはどうだろう? そうすれば自然治癒で大抵の怪我は治るはずだし……


 あ、それともあの魔法薬! 魔力が増えるって効果を薬の方に付与できれば、結果として魔法薬の効果をあげたりできないだろうか? うーむ、レシピが気になる……成分を調べながら、とりあえず一〇〇倍希釈くらいで使ってみるか?


 ははは、やることが沢山あるな!」


「父ちゃん、俺も! 俺も手伝いたい!」


「リックが? うーん、魔法薬の調合の手伝いは、最低でも一二歳になってからにしようと思ってたんだけど……そうだな、じゃあ本当に簡単なところだけ、お手伝いをお願いしてみようか?」


「やったー! 俺、超頑張るからな!」


 村の外れの、森の奥。薬師親子の住む家には、今日も元気な声が響いていた。

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