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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第四章 薬師と聖女

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「すれ違いなんて許しません!」

「うぅん……?」


「お、やっと目が覚めましたか?」


 呻きながらリックが目を覚ますと、掃除の手を止めたアプリコットが声をかけてくる。その言葉にぼんやりした頭がはっきりしてくると、リックは即座に跳ね起きてアプリコットを睨み付けた。


「おま、何すんだよ! 怪我したらどうすんだ!」


「えぇ、それをリック君が言うんですか!? まあ、そこはちゃんと加減してあるので平気ですよ。何処も痛くないでしょう?」


「そんなわけ…………まあ、うん」


 意識を失うほど強く蹴っ飛ばされて大丈夫なわけないだろうと叫びたかったリックだが、確かに体中何処も何ともない。あまりにも何ともなさすぎて、あの時一体自分が何処をどんな風に蹴られたのかわからないくらいだ。


「お前、ホント何なんだよ……」


「私はただの見習い聖女ですよ? ……どうやら落ち着いたみたいですし、少しお話でもしましょうか」


 呆れたような、あるいは疲れたような声を出してその場にへたり込むリックに、アプリコットはブラシを壁に立てかけてリックに歩み寄り、その隣に腰を下ろした。そんなアプリコットをリックは強く睨み付けたが、すぐに小さく息を吐いて、ふてくされた顔で正面を向く。


「ハァ。何か滅茶苦茶だなお前」


「ふふふ、毎日欠かさず体を鍛えていれば、このくらいはできるようになりますよ。それにリック君だって、割としっかりしているのでは?」


「へ!? 何でそんな話になるんだよ!?」


 意外な言葉に、リックは思わずアプリコットの方に顔を向けてしまった。するとアプリコットもリックの方を見ており、バッチリ視線が合うと、アプリコットがニッコリと笑う。


「だって、ちゃんと私を狙ってきたでしょう? 狩りのお手伝いで村の外に出ているシフはともかく、私達を追い出したいと思うなら、間違いなくレーナちゃんの方を狙った方が良かったはずです。レーナちゃんは今も村を回って村の人の治療をしてますから、リック君のお父さんの仕事を奪ってるとも言えますしね。


 なのに何故、リック君は私の方を狙ってきたんですか?」


「それは…………」


 質問に質問で返され、リックが戸惑いの表情を浮かべる。


 確かにアプリコットの言うことは正しい。昨日泥団子を素手で止められた時点でアプリコットがただ者じゃないことはわかっていたので、あの三人のなかで一番弱そうなのはレーナだと、リックも当然思っていた。


 それに、昨日も今日も、怪我人を治療しているのはレーナばかりだ。ならば父の薬を使ってもらう機会を奪っているのもレーナに違いない。どちらの意味でも、最優先で村から追い出すべきはレーナということになる。


 だが、リックはレーナを悪戯の対象にしなかった。それは……


「昨日、リック君の家に行く道すがらに、村の人から話を聞きました。それでわかったことは、普段のリック君はとてもいい子で……そしてお父さんの事を尊敬しているということです。


 そう、リック君……貴方は村で浮いているとか、嫌ってる、嫌われてる子供じゃないんです。だから村の人の治療をしているレーナちゃんに手は出せなかった……いえ、出さなかったんです」


「……………………」


「リック君がお父さんに、昔みたいに村の人達から頼られる凄い薬師に戻って欲しいという気持ちは理解できます。でもだからといって、教会の関係者を悪戯して追い出すというのはとても悪い選択です……怪我をした人達の話、してましたよね? その人達の状態を、リック君はちゃんと見ましたか?」


「…………見てねーよ。駄目だって言われたし」


「あの怪我は、とても酷かったです。あのままお父さんの薬で治療を続けていたら、きっと腕をなくしたりしてたと思います」


「そんなわけねーだろ! 父ちゃんを馬鹿にすんな!」


 噛み付くような勢いで、リックがアプリコットに食ってかかる。だがアプリコットは一切怯むことなく、その視線を真っ正面から受け止めて言葉を続ける。


「そんなわけあるんです。もしも私達がやってこなかったら、きっとそうなってました。そしてそれは、この村の歪さでもあります。リック君のお父さん……というか、お爺さんが薬師としてとても優秀だったから、あの状態でもまだ『それでも魔法の回復薬を使っておけば、時間はかかっても治るだろう』と判断してしまったんだと思うんです。普通なら、あれだけ大怪我をしたら一番近くの町にある教会に助けを求めますからね」


 回復薬の常備があるならともかく、そうでなければ大怪我は聖女に頼るしかない。なのにあの村長が暢気に構えていたのは、ほんの数年前まで素晴らしい効き目だったイリアスの魔法薬の印象が抜けていないからだ。


 だが、その思い込みはいつか必ず手痛い代償を払わされることになる。もしアプリコット達がこのタイミングで村に寄らなければ、それは正に今だっただろう。


「リック君のお父さんの作る魔法薬は、もう以前とは完全に別物です。それを村の人達もきちんと理解しないと――」


「……やっぱりお前も、父ちゃんの薬を馬鹿にするのか」


 アプリコットの言葉を遮り、ゆらりと立ち上がったリックが重く低い声を出す。その瞳からは光が消え、満ちているのは暗い拒絶の闇。


「違います! ちゃんと最後まで話を――」


「うるさい!」


 同じく立ち上がって声をかけたアプリコットを、リックは初めて本気で蹴り飛ばした。今までの悪戯とは一線を画す、本気の怒りと憎しみに満ちたその一撃は、アプリコットの小さな体を容易く吹き飛ばす……ことはない。


「くそっ、またかよ!? 離せ! 離せよ!」


「いーえ、離しません! この流れでリック君に逃げられた挙げ句、『言い方を失敗して怒らせてしまいました。でもまあ、しばらく時間をおいて落ち着いたら誤解を解けばいいですよね?』みたいな対応をすると、大抵の場合ろくでもないことになるんです!」


「うわぁっ!?」


 蹴り込んだ右足首を掴み上げられ、リックの体が再び地面にひっくり返される。こうなるともはや、何をどう暴れても逃げ出すことなどできない。


「はい! じゃあリック君に質問です!」


「うるせえうるせえうるせえ! 誰がお前の言うことなんて聞くもんか!」


「リック君のお父さん、イリアスさんの魔法薬は素晴らしい効き目でした、そうですね?」


「そうだよ! 父ちゃんの作る薬は、いつだって最高に凄かったんだ!」


「でも、今のイリアスさんの作る薬は、ぶっちゃけしょぼいです! そうですね?」


「そ、そんなことねーよ! 父ちゃんの作る薬は、今だって最高にスゲーんだ! お前達みたいな余所者が仕事を奪ったりしなけりゃ――」


「じゃあ、その凄い薬を使ったにも拘わらず、あの怪我していた三人の人が死んじゃったら、どうなりますか?」


「死なねーよ! 父ちゃんの薬を使ってれば、すぐ良くなるに決まってる!」


「死んじゃったら、どうなりますか?」


「うるさい! 死なないったら死なねーんだよ!」


「でも! 死んじゃったら! どうなりますか!?」


 騒ぐばかりで答えないリックに、アプリコットは何度も何度も同じ質問をぶつける。それを五回一〇回と繰り返し、やがて疲れ果ててしまったリックが、最後にポツリとその言葉を零す。


「……死んじゃったら…………悲しい、かな…………」


「そうです! あの人達の家族や友達、みんなが悲しむでしょう。それに何より、薬を作ったリック君のお父さんが悲しみます。自分の力が及ばず、誰かが死んでしまったら……それはとてもとても悲しいことなのです」


「父ちゃんが…………悲しい…………?」


 怒りに歪んでいたリックの目が、大きく見開かれる。それに合わせるように少しだけ開いたリックの心に対し、アプリコットは丁寧に言葉を重ねていく。


「ええ、きっと悲しむと思います。もしもこの先、リック君が尊敬するお父さんと同じ薬師を目指したとして……その失敗をお父さんが助けてくれた時、リック君はお父さんに邪魔されたと思いますか?


 いいじゃないですか、聖女がいたって。いいじゃないですか、以前のように魔法薬が作れなくなったお父さんを、他の誰かが助けてくれたって。強がって、意地を張って、誰かが死んでしまうより、ずっとずっといいじゃないですか」


「……………………」


 リックは、何も言わない。もうジタバタすることもなく、ジッと空を見つめ続ける。


「誰か一人が命の責任を全部背負うなんて、疲れちゃいますよ。そういうのこそ神様にお任せしちゃって、その上で少しずつ自分にできることを増やしていく……そっちの方がきっと楽しく生きられると、私は思いますよ?」


 パッとアプリコットが手を離すと、リックがのっそりと起き上がる。そうして立ち上がるとパンパンとお尻に付いた泥を払い、そのままアプリコットに背を向けた。


「……わかんねーよ。そんなの、よくわかんねー」


「なら、それもゆっくり分かるようになっていけばいいと思いますよ。私にでも、お父さんにでも、色んな人に相談すればいいんです。いい子(・・・)のリック君なら、きっとみんな話し相手になってくれますって」


「……ふんっ」


 最後に小さく鼻を鳴らしてその場を歩き去るリックの背を、アプリコットは今度こそ、温かい目で見送るのだった。

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