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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第四章 薬師と聖女

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「悪い子にはお仕置きです!」

 悪戯(せんとう)開始と同時に、リックは用意していた泥団子を全て投げつけ、アプリコットがそれを防いでいる間に踵を返して一目散にその場から距離を取った。そうして向かった移動先は、近くの井戸だ。そこで水を汲み上げると、リックは新たな泥団子を作り始める。


「へっ、やっぱり追いかけてはこねーか」


 アプリコットの気配がないことに、リックは内心ほくそ笑む。掴んでいた手を離された時点で予想はしていたが、やはりアプリコット(てき)はあくまでも悪戯を妨害するだけで、自分を捕まえたりはしないらしい。


 というか、もしそうされていればリックには為す術が無かった。自分より小さな女の子に力で負けたという事実は悔しいというよりも「何で?」という疑問が先立ち、だからこそリックは冷静に距離を取ることを選べたのだ。


「いいぜ、俺の事を馬鹿にしてるなら、こっちだって本気でやってやる!」


 出来上がった泥団子は水分を調整してあり、さっきのものより幾分固い。これだと壁にぶつけても上手いこと泥が弾けず汚せる面積は減ってしまうが、ここはコントロール重視。投げやすく当てやすいそれを手に、リックはこっそりと教会の方へと戻っていく。


 すると、そこでは再び変な歌を歌いながら掃除に勤しむアプリコットの姿があった。その無防備な後ろ姿に向けて、リックは泥団子を構える。


(くらえっ!)


 さっきと違い、今度は無言の奇襲。そっちが売った喧嘩なんだから、卑怯とは言わせないとばかりに放たれた無慈悲な黒い弾丸(どろだんご)は……しかしリックの予想とは違う結末を迎えた。


「ふんっ!」


「なっ!?」


 飛来するそれを、アプリコットは振り向きすらせずブラシの頭で叩き落とす。その後はゆっくりと体を回し、隠れているはずのリックの方に正確に視線を向けてきた。


「おやおや、それで隠れたつもりですか?」


「嘘だろ、何でわかるんだよ!?」


「それは勿論、鍛えてるからです!」


 ムンッと腕まくりをしてアプリコットが笑う。その細い腕の何処が鍛えられているのかわからなかったし、何より鍛えていることと隠れた自分を見つけられることの関連性が不明だが、それでもアプリコットが何だかわからないくらい凄いというのはさっきと今で既に経験している。


「くそっ、次だ! 次はこうはいかねーからな!」


 故に、リックは即座に二度目の撤退を選んだ。アプリコットがまたも追いかけてこない……見逃されたことに歯噛みしつつも、すぐに次の作戦を考える。


 正面からどころか、不意打ちですら分が悪い。ならばどうにかアプリコットの注意を逸らす必要があるわけだが、それにはどうすればいいか?


「うーん……」


 こういう時に一番便利なのは、カエルだ。ケロケロうるさいし適度にぬめっているし、何より万が一にも怪我をさせたりしないのがいい。実際以前に村にやってきた神子は、寝ているところに窓から大量のカエルを放り込むことで追い出すことに成功している。


 だが、カエルが大量に発生していたのは何ヶ月か前だ。夏真っ盛りの今はそこまでいないし、何より今からカエルを集めるのは時間がかかりすぎる。


 となると次点で有用なのはヘビだが、噛まれても大丈夫そうな小さなヘビを見つけるのは逆に難しい。かといって大きいのは捕まえる自分も投げつける相手も危ないので駄目だ。


 なお、最も効果的に嫌がらせをしたいなら、ムカデを集めるのがいい。あれなら森に入って倒木や石の下を探せば簡単に見つかるので数を集められるし、あれを大量に投げつけられれば、大人だろうと悲鳴を上げて逃げ出す。


 が、ムカデは見た目が怖くて気持ち悪いだけじゃなく、毒があるうえに噛み付いてくる、割と危険な生物だ。それをけしかけるのは悪戯では済まないので、幾らアプリコットが気に入らなくても、そこまではやれない。リックのなかにも、越えたら駄目な一線はちゃんと存在していた。


「あー…………仕方ねーか」


 しばらく悩み抜いた結果、リックは仕込みを終えて再び教会の側へとやってきた。アプリコットはまだ掃除を続けていたので、今度は自分から声をかける。


「おい、チビ聖女!」


「むぅ、またチビって……何ですか?」


「ヘビをくれてやるっ!」


 言って、リックが灰色のにょろっとしたものをアプリコット目がけて投げつける。


 ちなみに、これは本物のヘビではなく、ゴミとして捨てられていた縄の切れ端に泥を塗り、それっぽい感じにしたものだ。良く見ればすぐに偽物だとわかる程度の代物だが、一瞬気が引ければ十分。


「んんー?」


 そしてアプリコットは、フンワリと飛来するヘビっぽい縄を目で追ってくれた。上を向くアプリコットに、リックは姿勢を低くして一気に駆け寄る。


 狙いはアプリコットのローブの裾。そこを掴んで捲り上げれば、女なんて簡単に泣いてしまうはず――!?


「はい残念!」


「うわぁぁぁ!?!?!?」


 しかしそんなリックの手首は、またもアプリコットに寄って掴まれてしまった。そのままブンと宙を振り回され、恐怖で硬直したリックの体が地面に向かって落下していく。


 このまま叩きつけられる……とギュッと目をつぶったリックだったが、地に落ちる少し前にアプリコットが小さな足でその体を受け止めたため、リックは大した衝撃も無く、トンと地面に仰向けに寝転がらされた。訳が分からず混乱していると、その顔をアプリコットが上から見下ろしてニヤリと笑う。


「宙を舞った気分はどうですか? 怖くてお漏らししちゃったなら、早めに洗濯した方がいいですよ?」


「……はっ!? そ、そんなことねーよ! ホントお前最悪だな!」


「むぅ、怪我をしないように気を使ってあげたのに、それは酷くないですか?」


「ヒデーのはそっちだろ! このチビ! ゴリラ女!」


「まだ言いますか! この状況でそれだけ強がれるのは、ある意味凄いですけど」


「うるさいうるさい! まだ全然負けてねーし! これから本気出すし!」


「ほほう? ここからどうやって本気を出すと?」


「それは……」


 仰向けに寝転がるリックと、その頭の上でまっすぐに立つアプリコット。リックが何かをするためにはまず立ち上がらなければならないが、その動作が必要な時点で何も出来ないのとほぼ同義。


 勿論、アプリコットはリックが立ち上がるのを邪魔するつもりはないし、リックもまた邪魔されないだろうとは思っている。が、ここでまたもお情けで見逃されては、流石のリックも「まだ負けてない」とは主張しづらくなってしまう。客観的には誰が見てもリックが負けている光景であっても、リック自身が「負けていない」と思えればまだ勝負は続けられるのだ。


(どうする? どうすればこいつを泣かせられる?)


 力も知恵も、身長以外のほぼ全てがアプリコットに敵わない。ここで悪口を叫び続けても、多分アプリコットは気にもしない。なら今の自分に出来ることは何かと、リックは必死に考えを巡らせ……そして遂に悪魔的発想へと至る!


「なら、こうだっ!」


 膝を曲げたリックが、立ち上がると見せかけて地面を蹴った。するとリックの体が少しだけ前にずれ、その顔がアプリコットのローブの下へと滑り込む。


「なっ!? ちょ、何をやってるんですか!?」


「へへーん! どうだ! お前の下着(パンツ)を見てやった…………?」


 初めて焦った声をあげるアプリコットに、リックは得意げに勝利宣言をしようとして、その言葉を止める。アプリコットの膝から上辺りが、何故か真っ暗闇に覆われていたからだ。


 それは秘神カクスデスの加護。隠す余地がなくなるくらい……具体的には腰の辺りまでローブを捲り上げない限り、決して見えない鉄壁の闇。だがそれを知らないリックは訳が分からず眉根を寄せ、そして余計な言葉を口走ってしまう。


「真っ黒? 何だこれ、スゲー臭そう……げふっ!?」


「それは流石に有罪(ギルティ)です!」


 アプリコットにいい感じに蹴り飛ばされ、リックの意識が闇へと落ちる。最初から勝ち目などなかったリック少年の戦いは、最後にアプリコットの乙女心に一矢報いて幕を閉じるのだった。

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