「何もさせてあげません!」
明けて翌日。村長宅で朝食を済ませた三人は、打ち合わせ通りに奉仕活動を開始した。
シフは村を出て、怪我が治ったばかりの若者達と一緒に狩りの補佐。当初は見た目が幼い少女であるシフに危険な狩りが出来るのかと懐疑的だった者もいたが、ならばと試しに「狩りごっこ」をしてみたところ、大人三人がかりでもシフの尻尾の振れることすらできず、逆にシフの方は簡単に大人達を捕まえてしまう。
実力の違いを見せつけられる形になった大人達だが、得意げに胸を張るシフの愛らしい姿を見れば、「子供のくせに生意気な」などと難癖をつける方が恥ずかしい。むしろ頼もしい仲間が増えたと笑顔で握手を交わし、みんな揃って意気揚々と森に入っていった。きっと今夜は美味しい肉が村中の家に振る舞われることだろう。
対してレーナは、村の家々を一軒ずつ回り、色んな人達に<癒やしの奇跡>を使っていくこととなった。過労や加齢で体調不良を抱えている人は多く、だが明確な病気ではないため、そういう人達が積極的に治療を受けることはほぼない。
魔力の弱まったイリアスは、今の自分にも作れる魔法薬をと言うことでそういう隙間産業を狙って安価な湿布薬などを開発しているのだが、そういう人達はある程度高齢の人ばかりなので、どうしても少し前までの「高価だが抜群の効き目がある魔法薬」の印象を引きずってしまっており、「安価で効能も低いが日常使いできる魔法薬」の方はまだまだ浸透していない。
そこでレーナの出番である。見習い聖女が<癒やしの奇跡>を使うのは自分の修行の一環でもあるので、遠慮されることがないし、費用も請求したりしてはいない。それにより長年連れ添った辛い腰や膝の痛みと決別できたと、数日後にはレーナの元に大量の感謝の言葉が降り注ぐことになるだろう。
ちなみに、見習い聖女の奉仕活動に対し直接現金を渡されることはないが、世話になった人は大抵の場合教会や神殿に寄付をする。そしてそれらの寄付は巡り巡って巡礼の旅の活動資金として手渡されるため、普通に旅をしている分には見習い聖女が路銀に困ることはまずない。
例外としてはアプリコットの回復薬のように、通常の旅では必要の無い高価な買い物をする場合だが、ここ最近のアプリコットは<癒やしの奇跡>を使えるレーナと一緒に旅をしており、回復薬を使う機会がまったくなくなっているため、やはり資金には困っていなかった……閑話休題。
そして最後。そんな二人と別れたアプリコットがどんな活動をしているかというと……
「ごっしごっしおっとせー! ピッカピカー! ごっしごっしおっとせー! まっしろけー!」
水の入った桶にブラシの先端を浸し、ご機嫌な鼻歌を口ずさみながらアプリコットが教会の外壁を磨いていく。この建物の外壁掃除が、今日のアプリコットの奉仕活動である。
「ふぅ、やっぱり随分と汚れてますねー」
額に流れる汗を拭いながら、アプリコットが小さく息を吐く。
建物のなかは、人が暮らす場所なので掃除もされる。が、外壁の掃除まではなかなか手が回るものではない。それに外壁の汚れは、自然に汚れる分には大抵の人が気にしない。何故なら徐々に汚れていく様を見慣れてしまい、それが当たり前になっているからだ。
だがこうして掃除をしてみれば、その違いは明らか。さっきまで「それほどでもないかな?」と思えていた部分も、ブラシで擦って真っ白な輝きを取り戻した部位と見比べてしまえば、「うわっ」と声が出てしまうくらいには汚れていたのだ。
「ふふふ、でもそれでこそやりがいがあるというものです! さあ、ゴシゴシいっちゃいますよー!」
小さな体と同じくらいの長さのブラシを手に、アプリコットが壁を磨く。一心不乱に掃除をする様は、まるでお伽噺に出てくる、寝ている間に靴を作ってくれる妖精のようだ。
そうしてみるみる教会が綺麗になっていくなか、不意にアプリコットは背後に不審な気配が忍び寄っていることを感じ取った。キュピーンと脳裏に電撃が走るのとほぼ同時に、背後から甲高い少年のかけ声が聞こえてくる。
「おりゃあ!」
「甘いです!」
投げつけられたのは、水分多めの泥団子。もし命中すれば綺麗になったばかりの外壁が泥まみれになってしまっただろうが、それをアプリコットはブンと振り回したブラシによって叩き落とした。
「なっ!? なら、これでどうだ!」
「ふんっ! はぁっ!」
続けてリックが両手で投げた泥団子も、アプリコットは難なく撃ち落とす。撃ち落としたときの泥はねすら地面の方向にしか発生させない達人ぶりに、流石のリックも驚愕で目を見開く。
「いやいや、嘘だろ!? こうなったら――」
「させませんよ!」
「うわっ!?」
何か最後の切り札的なものを実行しようとしたリックの両手首を、目にも停まらぬ速さで近づいたアプリコットがキュッと掴んで阻止した。。無論リックは激しく暴れるが、自分と同じくらいの背丈しか無いアプリコットの小さな手はびくともしない。
「くそっ、離せよ! 何で……全然動かねーぞ!?」
「ふふーん! 鍛え方が違いますからね!」
「俺をどうするつもりだ!?」
余裕の笑みを浮かべるアプリコットを、リックがキッと睨み付ける。だが年下の男の子に凄まれたくらいで怯むようなアプリコットではない。
「別にどうもしませんよ? そして……どうもさせません」
ニッコリ笑ったアプリコットが、掴んでいた手を離す。すると一瞬よろけたリックがすぐに後ろに下がり……逃げるよりもアプリコットに問いかけることを優先した。
「どうもさせない? 何だよそれ?」
「言葉の通りです。私はリック君に悪戯をさせないことにしたんです」
それこそが、アプリコットの答え。この状況でリックが見習い聖女である自分達に悪戯をしたら、決定的に立場が悪くなってしまう。だが悪戯をさせないように説得する材料もないし、かといって自分達が奉仕活動を放棄するのも論外。
ではどうするか? 簡単だ。悪戯されたら困るというなら、悪戯そのものをさせなければいいのだ。
「リック君がどんな悪戯や嫌がらせを私にやろうとしても、その全てを私が防ぎます。つまりリック君は、どうやっても私に悪戯できないわけです! ほら、これならリック君が怒られることも、そして私が奉仕活動を諦める必要もないでしょう?」
「何だよそれ!? 俺なんかどうにでもなるって、馬鹿にしてんのか!?」
「どうとでも好きに思ってください。どうせ私が何を言っても、リック君はそれを聞いてくれないでしょうからね」
「くそっ、くそっ! お前サイコーに嫌な奴だな! お前みたいなのがいるから、父ちゃんの薬が馬鹿にされるんだ! 昨日だってお前達がでしゃばって来なけりゃ、父ちゃんの薬がニドさん達を治してたはずなのに!」
「それはちょっと難しかったと思いますけど……」
「うるさいうるさいうるさい! お前の言うことなんて何も聞かねー! 見てろ、お前なんてワンワン泣かせて、今日中に追い出してやるからな! 覚悟しろよこのチビ!」
「むむっ!? それ同じくらいの背丈の相手に言いますか!?」
「同じじゃねーよ! 俺の方がちょっとだけ高い!」
「ぐぬっ……」
アプリコットの優れた眼力が、確かにリックの方が少し……ほんの少しだけ背が高いことを見抜いてしまう。一〇歳と少しの子供に身長を抜かされるのは業腹だが、然りとてそこで目くじらを立てるのは余裕のある大人の女性の態度ではない。
「ふ、ふーん! そんなほんのちょっとの差で勝ち誇るなんて、情けない男の子ですね! 少しは手加減してあげようかと思いましたが、もう容赦しません! リック君の悪戯を徹底的に邪魔してあげます!」
「やれるもんならやってみろ!」
挑む者と防ぐ者。気づけば立場が逆転していることなど当人達が気づくこともなく、こうして仁義なき二人の子供の抗争が、やかましくも幕を開けた。





