「相談されました!」
「うーん、これはどうしましょうか……」
手からこぼれ落ちる泥を見ながら、アプリコットは小さく呟く。自分の身体能力があれば、あの少年を捕まえることなど簡単だ。もしこれが単なる悪戯だったのであれば、走って捕まえ、「こんなことをしてはいけません」と叱ればそれで終わりだろう。
が、あの少年は「聖女を追い出す」と言っていた。つまり聖女に対して明確な害意を持っていたということだ。そうなると叱って終わりになるような簡単な話ではない可能性がとても高い。
そのくせ、少年が投げてきたのは水気を含みベチャッとした泥団子であった。当たれば顔やローブが泥だらけになったのは間違いないが、とは言えそれだけ。これが石であったなら問答無用で捕まえるところだが、一線を越えていないというのがまた対処を難しくしてくる。
「…………まあ、誰かに事情を聞くのが一番ですよね」
知らないことを考えても仕方が無いし、村に住んでいる子供であれば誰かが事情を知っているだろう。そう気を取り直したアプリコットはそのまま水を汲んで掃除に戻り……そうして全員で教会をピカピカにしたところで、さっき別れた中年男性が、別の男性を連れて教会に戻ってきた。
「おーい、お嬢ちゃん達! 村長さんを連れて来たぞ!」
「はーい!」
男性に声をかけられ、アプリコット達が教会の入り口付近に集まる。すると四〇代後半くらいの、やや頭髪の寂しくなった中年男性がアプリコット達を軽く一瞥してから話を始めた。
「初めまして、見習い聖女様方。私はこの村の村長をしております、ナザレと申します。今回は村の若者を助けていただいたということで、本当にありがとうございました」
「いえ、お気になさらないでください。私達はあくまでも、見習い聖女として行動しただけですわ!」
子供だからと侮ること無く、しっかりと頭を下げてお礼を言うナザレに、レーナがニッコリと笑って答える。ならばこそその後の話し合いも、実にスムーズに進んでいった。
「では、この村で奉仕活動をさせていただくことには問題無いということでよろしいでしょうか?」
「勿論ですとも! 村の者には私の方から声をかけさせていただきますので、何かありましたらご一報ください。それと、お泊まりになるのは本当にこちらで良いのですか?」
「はい! せっかく綺麗に掃除しましたし……それに建物は人が住まないと、どうしても傷みやすくなりますからね」
「確かに……ではせめて、食事くらいは食べに来てください。小さな田舎村ですので大したもてなしはできませんが」
「気にしなくてもいいのだ! 我にはママがあるからな!」
「ママ、ですか?」
首を傾げるナザレに、レーナが慌てて説明する。
「えっと、シフさんはマーマレードジャムが大好きなので……買い置きがありますから、気にしないでくださいませ」
「ああ、なるほど。確かにマーマレードは、肉につけても美味いですからな」
「肉!? おい、肉にママをつけるのか!?」
突然噛み付かんばかりの勢いで詰め寄ったシフに、ナザレが若干背中をのけぞらせながら答える。
「うおっ!? ええ、そうです。甘みがついて肉も柔らかくなりますよ」
「それを! それを我にも食べさせるのだ!」
「ははは、わかりました。では妻に頼んでおきますね」
「うおー! やったのだー!」
はしゃぐシフに、他の皆が微笑ましげな視線を向ける。そうして会話が一段落ついたところで、アプリコットは徐に先程の少年のことを切り出した。
「ところで村長さん。一つ聞きたいことがあるんですけど」
「はい? 何でしょう?」
「実はさっき、一〇歳くらいの男の子に泥団子を投げつけられたんです。で、その子に『聖女なんて追い出してやる』と言われまして……」
その言葉に、ナザレの表情が苦々しげに歪む。しかし先に口を開いたのは、隣にいたもう一人の男性だ。
「またあのガキか! まったく……」
「おいおい、そんな風に言うもんじゃないぞ?」
「でもなぁ、村長!」
「あの?」
「ああ、すみません。その子はおそらく、村はずれに住んでいる薬師の息子でしょうな」
「薬師、ですか?」
薬師というのは、錬金術師のなかでも薬の調合に特化した仕事をする者の総称だ。手間暇をかけて魔法薬を調合して売っている薬師にとって、祈るだけで大抵の怪我や病を即座に治してしまう聖女は、とんでもない商売敵である……と言われそうだが、実際にはそんなことはない。
というのも、単純に聖女の数がそんなに多くないからだ。いざという時に常に聖女が側にいるはずもなく、ならば備えとして買い置きしておける魔法薬は普通に売れるし、実際アプリコットもそれなりの数を買って持っている。
故に何故薬師の息子が? と首を傾げるアプリコットに、ナザレが実に微妙な表情で話を続けていく。
「その薬師なんですが、先代は実に優秀で、彼の作る魔法薬はとても良く効いたんです。なのでこの村は聖女様がいなくても十分にやっていけたのですが……今代、つまりあの子の父親ですな。その人の作った薬は、どうもこう、あまり効き目が良くないというか……」
「さっきお嬢さん達が治療してくれた奴らに使ってたのが、その薬師の作った薬なんだよ」
「あー、それは…………」
ナザレともう一人の言葉に、アプリコットはレーナと目を合わせて口元を引きつらせる。確かに包帯の下には薬が塗られていたが、その割には傷の状態は悪かった。薬の効能そのものが今ひとつだったと言われれば、それを否定するのは難しい。
「と言っても、別に我らはその男を冷遇しているとか、そういうことはありませんぞ? ちょっとした切り傷とかに使うならば十分ですし、それはそれで使い道がありますからな。
ただ、そうなるとやはり今回のような大きな怪我などがあった時のために、聖女様とは言わずとも神子さんにはここに居て欲しいと思うのですが、どうもあの子からすると、それが自分の父親に対する当てつけのように思えるらしくて……」
「前に来てくれた神子さんも、あのガキのせいで出て行っちまったんだよ! ったく、せっかくこんな田舎に来てくれたっていうのによぉ」
「えっ!? そんなに酷いことをされたんですの!?」
「酷いと言っても、先程そちらの方がされたように、泥団子を投げつけられるとか、寝室の窓から大量のカエルを入れるとか、そういう悪戯で済まされる範囲なのです。勿論厳しく叱りはしましたが……」
困り果てたという顔つきのナザレに、アプリコットが眉根をキュッと寄せて答える。それはさっき自分が考えたのと同じ問題だ。
「確かにそのくらいだと、それ以上の罰を与えるわけにもいきませんよね」
「そうなのです。それにこう言っては何なのですが、教会や聖女様に関して以外は、ごく普通の真面目ないい子でして……」
「それは……本当に困りますわね……」
村人に対しては常に真面目であるというのなら、村人の心情としても少年は責めづらいのだろう。自分達が直接被害を受けるわけでもなく、理性で少年が悪いとわかっていても、その境遇や考え方に同情してしまうとなれば、確かに苛烈な対応は取りづらい。
「わかりました! そう言うことなら、私の方で少し話してみます!」
ならばこそ、アプリコットは困り果てたナザレを前に、そう言って胸をポンと叩いた。そしてそんなアプリコットに、レーナ達も続く。
「そうですわね。こうして巡り会ったのも何かの縁でしょうし、私達で誤解というか、その思い込みをほぐしてあげたいですわね」
「フン! 我に喧嘩を売ってくるなら、ガブッとしてやるだけなのだ!」
「ちょっ、シフさん!? それは駄目ですわ! もっと穏便に!」
「むぅ? そういう奴にはガブッとしてやるのが一番だと思うのだが……まあレーナがそういうなら、吠えるくらいで勘弁してやるのだ」
「……あの、本当に大丈夫ですか? 流石に怪我をさせたりするのは、我々としても忍びないのですが」
「大丈夫です! 私達に任せてください!」
微妙に不安そうなナザレに、アプリコットは自信満々の態度で返す。こうして見習い聖女三人による「男の子を改心させよう大作戦」が幕を開けることとなった。





