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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第二章 暗闇の底で蠢くモノ

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「最強の座は譲れません!」

「征くぞっ!」


 そう声をあげて、シフが大地を蹴る。それは明らかな侮り。野生の獣が敵に飛びつく前に、声など上げるはずがない。


「フンッ!」


 故に、アプリコットはその一撃を回避ではなく、正面から受け止めた。この後に及んで気遣われるほど弱くないと体で示したアプリコットに、クルリと回転して着地したシフの顔がニヤリと笑う。


「いい反応。なら、我少しだけ本気だす」


「それは負けた時の言い訳ですか?」


「がるるるるっ!」


 アプリコットの挑発するような物言いに、喉を鳴らしたシフの体がその場からかき消える。木々の生える森の中を縦横無尽に跳び回り、残像をたなびかせながら狙うのは、アプリコットの後頭部!


「あうっ!?」


「アプリコットさん!?」


 その一撃を受けて、アプリコットの体がコロンと前に転がった。レーナが悲鳴のように名を叫び、慌てて<癒やしの奇跡>を使うために駆け寄ろうとしたが、アプリコットはそれを手で制する。


「いつつ……大丈夫ですレーナちゃん。シフが予想より三段ほど速かったので、ちょっとビックリしただけです」


「フンッ、こんなのまだまだ。やっぱりお前、小さくて弱い!」


「……確かに素のままで戦うのは無理っぽいですね。なら私の方も、ちょっとだけ本気を出します」


 起き上がったアプリコットが、シフを正面に拳を握る。それをシフが悠々と待っているのは、これが「どちらが強いか」を決める勝負であるが故。


「見敵必殺、拳撃必滅! 我が拳は信仰と共に在り!」


 瞬間、アプリコットの体に神の力が満ちていく。明らかに様子の変わったアプリコットに、シフの尻尾が一瞬ブワッと膨らんだ。


「さあ、ここからが本当の勝負です!」


「面白い!」


 木々の間を跳ね回り、稲妻の如く跳びかかるシフを、アプリコットの拳が悉く迎え撃つ。右、左、前、後ろ、フェイントも交えたシフの攻撃は、その全てがアプリコットに受けられ、いなされ、迎撃される。


「ぐるる……これならどうだ!」


 ダンと木の幹を蹴ったシフが、そのまま木を駆け上がり、上空から流星の如く落下する。その一撃をアプリコットが腕を十字に重ね合わせて受け止めると、ズンッと重い音と共に、アプリコットの立つ地面が少しだけへこむ。


「まだだ!」


 そうして一瞬足の止まったアプリコットをそのままに、シフは地面に着地すると同時に顔に向かって飛び掛かる。だがそれはシフのフェイント。カウンターで打ち出されたアプリコットの拳は急速に沈むシフの頭上を掠め、背の低い者がもっとも疎かにする足下目がけて食らいつく。


「がるっ!」


 そのまま足に噛み付けば、勝負は終わり。だが――


「見え見えですよ!」


「きゃうんっ!?」


 アプリコットの可愛い足が、直前まで近づいていたシフの顔面を蹴り飛ばした。近くの木に叩きつけられ思わず悲鳴をあげてしまったシフの鼻から、たらりと一筋血が流れる。


「あっ、血が!? すぐに<癒やしの奇跡>を……」


「来るな!」


「ひっ!?」


 近寄ろうとしたレーナを怒鳴りつけて止めると、シフがペロリと鼻血を舐めあげながらアプリコットを睨む。


「わかった。確かにアプリコット、強い。でも我は強い。我の本気、もっともっと強い! だからレーナチャン、お前は離れてろ。近くにいると危ない」


「で、ですが……」


「私は大丈夫ですから、言う通りに離れててください。今ならこの辺に別の獣が近づいてくることもないでしょうし」


「アプリコットさんまで…………わかりましたわ」


 シフのみならずアプリコットにまで言われ、レーナはちょっとションボリしつつその場を離れていく。何の力にもなれない自分の無力が悔しいと思う反面、端から見ているのに二人の動きが目で追うことすらできない自分では何もできないという事実も理解できる。


「なら、私はいつでも<癒やしの奇跡>が使えるようにしておきますわ! だからお二人とも、それで治る程度の怪我までにしておくんですわよ!」


 それに、自分には自分にしかできないこと、自分なら役に立てることがちゃんとある。カヤの教えを心に刻んだレーナは、落ち込むことなく二人を励ました。それにアプリコットは笑顔で親指を立ててみせ、シフはファサリと尻尾を一振りして応え……そして再び、アプリコットとシフが向き合う。


「我が名はシフ。白銀(しろがね)のシフ。天に輝く白銀を浴びて、神さえ殺す神狩りの牙! 天地に遍く祖霊の意思よ、我が身を満たして我が肉を食み、我が魂に真意の力を呼び覚ませ!


 ウォォォォォォォン!!!」


 その雄叫びは、世界に夜を呼び起こす。天頂に輝く太陽が黒い帳に覆われると、そこに現れた満月の光が一直線に降り注ぎ、それを浴びたシフの体がメキメキと音を立てて変容していく。


 手が、足が、人の形であったそれが、獣のものに成り代わる。白く柔らかな人の肌を艶めく銀の毛皮が覆い、遂にその野生が解放される――っ!


「か…………」


「ぐるるるる……どうだ、これが我の最終形態なのだ!」


「か…………」


「どうした? 恐ろしくて声も出ないか? ひょっとしておしっこちびっちゃったりしたのか?」


「か…………」


「フフン! 今なら謝れば許してやるぞ! おまけでちょっとくらい尻尾を触らせてやっても――」


「可愛いぃぃぃぃぃぃ!!!」


「ふぎゃっ!?」


 現れたのは、アプリコットがギュッと抱っこできるくらいの大きさの子犬……もとい、子オオカミであった。今までで一番の速さで間合いを詰めたアプリコットにより、シフの体がアプリコットの腕の中に収まる。


「何ですかこれ!? 凄く可愛いです!」


「やめっ、やめるのだ!? 我を抱っこしてはいけないのだ!?」


「ふわー、毛並みがスベスベのもふもふです! ちょっと臭いけど、それがまたいい感じです」


「何を言うのだ!? 臭くない! 我は臭くなんてないぞ!?」


「あの、アプリコットさん? 私も触りたいのですけれど……」


 はしゃぐアプリコットと腕の中のシフを見て我慢できなくなったレーナが、遠くからおずおずと声をかける。するとアプリコットはニッコリと笑って手招きをした。


「いいですよ。抱っこしている分には大丈夫そうですし」


「やった! じゃあ……うわぁ、お可愛らしいですわぁ!」


「辞めるのだ! 我を可愛がってはいけないのだ!」


 アプリコットの腕の中でジタバタともがくシフの頭を、レーナもまた優しく撫でてその手触りにうっとりする。可愛らしい鼻をツンと突いてみたい衝動に駆られるも、流石にそれは噛み付かれそうなのでやらない。


「うぅぅー! 解除! 変身解除なのだ!」


ぽんっ!


 どうやってもアプリコットの腕から逃げられないと悟ったシフが、遂に能力を解除した。すると空の一部に広がっていた夜が消え、同時にアプリコットの腕の中の子オオカミが耳と尻尾つきの全裸美少女に変わる。


「ああ、元に戻っちゃいました……」


 それを受けて、アプリコットは残念そうにシフを解放する。これはこれで可愛いのは間違いないが、可愛いの方向が違う。可愛いものが大好きなアプリコットだったが、流石に全裸の美少女を撫で回したりはしない。


「はーっ、はーっ……酷い目に遭ったのだ……いや、違うのだ。今のはちょっと間違えたっていうか、我の本気はああいう感じじゃないのだ」


「なら、まだやりますか? 私は幾らでもお相手しますよ?」


 そう言ってアプリコットが改めて拳を握るも、キラキラと光る目は「また子オオカミになったら、思う存分モフりたおす!」という強い意志が溢れている。その輝きにぞわりと背筋を震わせたシフは……


「……むぐぅ。わ、我の負けなのだ」


 股の間にクルリと尻尾を巻き込んで、悔しそうに敗北を認めるのだった。

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