「それはちょっとズルいと思います……」
暗闇の中で蠢くソレは、一見すると人のような形をしていた。だがその頭には人ではあり得ぬ大きな耳が、そのお尻には人では持ち得ぬ大きな尻尾が、そしてその口には、人よりもずっと尖った牙がチラリと覗いている。
「あふっ、あふっ……ふぁぁ……」
そんな人ならざる何かが、赤黒い雫を滴らせながら一心不乱に真っ赤な何かを貪っている。周囲には甘酸っぱい匂いが漂い、その恐怖の光景に、レーナは思わず悲鳴を上げてしまった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃーっ!?」
「むっ?」
すると当然、近くにいた「それ」もレーナの声に反応する。金の双眸を見開いてアプリコット達の方を見ると、真っ赤な口元をそのままに、二人に向かって話しかけてきた。
「何だオマエ達は?」
「しゃ、喋りましたわ!?」
「こんにちは! 私は見習い聖女のアプリコットで、こっちはレーナちゃんです。私達は今、森の異変を調査中なんです」
「アプリコットに、レーナチャンか。我はシフだ」
「シフさんですか」
「シフサンではない。シフだ」
「あー、はい。じゃあシフ。少しお話したいんですけど、いいですか?」
「話? 別にいいぞ」
背中にピッタリくっついて怯えているレーナをそのままにアプリコットが問いかければ、シフと名乗ったオオカミっぽい子が食事の手を止めてそう答える。
「実は最近、この辺の獣たちが人里の方にやってきているようなんです。シフは何かその理由を知りませんか?」
まず間違いなくシフが原因だろうと思いつつもアプリコットが問うと、シフはあっさりとそれを認めて頷く。
「人里は知らない。でも獣がこの辺から逃げてるのは、多分我のせい。我が祭りのために走り回ったから、きっとみんな我を恐れて逃げた」
「お祭り、ですの?」
「そうだ。我の果てしない欲望を満たすため、本来ならば分かち合うべき森の恵みを独占する! 最強たる我にだけ許された、究極の祭り! その名も――」
「ひぃぃぃぃ……」
真っ赤な口元がニヤリと裂け、怯えるレーナの姿を強者の愉悦で満たしたシフが、赤い両手を天に掲げて高らかに告げる。
「木イチゴふぇすてぃぼー!」
「な、何て邪悪な……邪悪な…………木イチゴですの?」
「そう! 普段なら一つずつ取って食べる木イチゴを、山ほど取って一気に食べる! 我に独占されて森の獣たちはションボリしちゃうけど、我はそんな事気にしない! 全部全部、一人で貪り食う!」
「おぉぉ、それは何だか楽しそうです!」
普段はちょっとずつしか食べられないものを、一気に沢山食べる。そこに詰まった浪漫にアプリコットが目を輝かせると、気を良くしたシフは得意げに胸を張って更に言葉を続ける。
「そうだ! こんなの我にしか許されない! あとションボリさせた獣たちには、秋になったら木の実とかでお返しする。我のお腹がちょっぴり減るけど、ふぇすてぃぼーのためなら仕方ない」
「なるほど、アフターケアも万全なんですね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ。それはつまり、シフさんが――」
「おい、レーナチャン。我はシフサンではない、シフだ」
「あ、はい。じゃあその、シフ……が、木イチゴを集めるために森の中を駆け回ったから、それを恐れたオオカミなんかが、人里の方に流れてきたということですの?」
「うーん……確認なんですけど、シフはずっとこの森に住んでるんですか?」
アプリコットの問いに、シフがふるふると首を横に振る。
「違う。我はあっちの山の向こうに住んでた。でもちょっとふぇすてぃぼーをやり過ぎて、木イチゴがなくなっちゃったのだ。なのでちょっと前にこっちに来て、今回初めてふぇすてぃぼーをやった」
「じゃあ確定ですね。なるほど、これが森の異変の原因ですか……」
何とも困った感じに眉根を寄せつつ、アプリコットはシフを見る。背丈や体つきは、おおよそ自分と同じくらい。オオカミの耳と尻尾がついているが、それ以外の部分は人と変わらないように見える。何しろ服を着ていないので、色々と丸見えなのだ。
そして丸見えからわかったことは、ぺったんこのツルンであるということだ。ブランではないので、性別もまた自分と同じく女の子だと思われる。
「えっと、シフ。貴方がここでふぇすてぃぼーをやると、人里の方に獣が流れてきて困っちゃうんです。なのでふぇすてぃぼーを辞めてもらうことはできませんか?」
「? 何故だ? 我から逃げた獣が何処に行こうと、我は困らないし関係ない。それに放っておけばそのうち戻ってくる」
「それはそうでしょうけど、その場合私としては、シフを倒さないといけなくなっちゃうんですが……」
それは完全に人のエゴだ。だが獣が人を気にしないように、人もまた獣に必要以上の配慮を払ったりはしない。今後も継続的にハレハラ村やその周辺に野生の獣が押し寄せてくることになるなら、シフの存在を見過ごすわけにはいかない。
故にちょっとだけ困った感じで告げるアプリコットに、しかしシフは若干呆れたような顔をして答える。
「我を倒す? オマエみたいな小さなやつが、そんなことできるわけない」
「ほほぅ? 私とシフの体の大きさは、そう変わらないと思いますが? むしろ私の方がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ大きいと思いますけど?」
「むぅ? そんなことない。我の方が大きい!」
「いーえ、私の方が大きいですー!」
「我の方が!」
「私の方が!」
まるで子供の言い合いのように、二人の声が白熱していく。やがてむむむと睨み合うと、二人揃ってレーナの方に顔を向けた。
「レーナちゃん! どっちが大きいか確かめてください!」
「レーナチャン! 我が大きいことを証明するのだ!」
「えぇぇ!? ま、まあいいですけれど……じゃあお二人とも、そこに背中合わせになって並んで立っていただけますか?」
「はい!」
「うむ!」
レーナに言われ、アプリコットとシフが背中をくっつけて立つ。そんな二人をじっくりと見比べるレーナだったが……
(こ、困りましたわ。完全に同じですわ……)
アプリコットとシフの身長は、完璧に同じだった。あるいはプロの測量士が測れば微妙な違いはあるのかも知れないが、少なくともレーナにはそこまでの鑑定眼はなかった。
「どっちですか!?」
「どっちだレーナチャン!」
「え、ええっと…………同じくらい、としか……」
「む。ならばこれでどうだ?」
困るレーナの前で、シフが自分の耳をピンと立てる。
「どうだ? これなら我の方が大きいか?」
「あ、はい。そうですわね。というか、そもそも耳の部分は身長に入れていなかったので、そこも加えるなら確かにシフさ……シフの方が大きいですけれども」
「それみたことか! 我の方が大きい!」
「いやいや、耳まで身長に入れるのはズルくないですか?」
「耳も尻尾も我の一部。それを体の大きさに入れることの何がズルい?」
「ぐぬっ、そう言われてしまうとそうなんですが……」
「ハッハッハ! やっぱり我の方が大きい! 我の勝ち! アプリコット小さい!」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ……」
勝ち誇るシフに、アプリコットが悔しそうに顔を歪める。だがそんなアプリコットに、レーナが衝撃の事実を告げる。
「あの、あのですねアプリコットさん?」
「……何ですかレーナちゃん」
「いえ、その、これはそもそも、どちらが大きいかではなく、どちらが強いかを言い合っていたのではありませんか?」
「……はっ!? そうでした! 身長では確かに……私の耳を外して頭につけるわけにはいかないので負けましたが、私の方が強いのは確実です!」
「フンッ! 大きさで負けたアプリコット、強さでも負ける! 我は最強! オマエなんか尻尾の先でくすぐってやる!」
人間の耳が頭についたら、さぞかし気持ち悪いだろう……そんな想像をしてしまったレーナを余所に、アプリコットとシフが正面から睨み合い、バチバチと火花を散らす。
信仰を拳に乗せる見習い聖女と、森の木イチゴを独占して食べまくるオオカミ少女。二人の少女の熱い戦いが、今ここに幕を開けようとしていた。





