「森はみんなのものなのです!」
ちょっとだけ夜更かししてガールズトークに花を咲かせた翌日の朝。日課の鍛錬を終えたアプリコットはレーナを引き連れ、まずは村長さんに、次いで狩人の人に挨拶をしに行った。そこで「森の奥の調査をする」と告げると当然のように猛反対されたが、それを取りなしてくれたのはモリーンとカヤの二人だ。
もう何年もこの町に通っていて、それなりに信頼もあり実力も認められている二人の言葉ならと何とか認められ、二人は森の入り口にてモリーン達に見送りを受ける。
「本当ならアタシ達も一緒に行きたかったんだけど、アタシ達はホーエンさんに雇われてる身だから……」
「その気持ちだけで十分です! ありがとうございますモリーンさん」
「もう何度も言ったけど、絶対に無理をしちゃ駄目よ? 危なかったらすぐに帰ってくること。いいわね?」
「はい、お約束しますわ!」
「それじゃ、行ってきます!」
元気に挨拶をして、アプリコット達は森の中へと足を踏み入れていく。すると薄い朝霧はすぐに立ち消え、辺りに漂うのは爽やかな森の空気。
「……この辺は特に何もありませんわね?」
「まあ、まだ入り口付近ですしね。異常がなければ、子供が山菜を採りに入ったりする場所ですから」
適度に間伐された森は太陽の光をよく通し、遠くにはリスやウサギなどの小動物の姿も見える。ここだけであれば森に異常があるなど嘘のように平和な光景だ。
だが、それも長くは続かない。アプリコット達の方に、不意にウサギが全速力で駆け寄ってくる。
「まあ、ウサギさんですわ! って、あら?」
「どうやらあれから逃げていたようですね」
アプリコット達の側を駆け抜けていくウサギを見送ると、森の奥からは三匹のオオカミが姿を現す。オオカミ達はウサギより大きな獲物の出現に一瞬たじろぐも、足を止めてグルグルと喉を鳴らし始めた。
「グルルルル……」
「うーん、この辺は随分とオオカミが多いですね? いえ、それとも森の奥に点在していたオオカミ達が、みんなこっちに追いやられてきてるとか?」
「凄く怖そうな顔で唸っておりますわ……アプリコットさん、どうしますの?」
「それは勿論……こうします! ふしゃー!」
気合いを入れたアプリコットが、胸いっぱいに吸い込んだ空気を雄叫びにして発射する。それは物理的な衝撃すら伴ってオオカミ達に降り注ぎ、たちまちにしてその尻尾がクルンと丸まった。
「さあ、まだやりますか?」
「クゥゥゥン……」
両腕を広げ、小さな体を精一杯大きく見せながら言うアプリコットに、オオカミ達は情けない泣き声をあげながら逃げていく。それを静かに見送ると、レーナがアプリコットに話しかけてきた。
「逃がしてしまって良かったんですの?」
「いいんです。森の獣を不用意に倒しすぎてしまうと、森全体のバランスが崩れてしまいますからね。襲ってきたわけじゃない獣は、基本的には倒しません」
「へー、そうなんですのね」
アプリコットの説明に、レーナが感心したように頷く。実際、人に害を為すような大型の獣であろうと、そこが人の立ち入らない場所であれば、アプリコットは出会っても倒さない。森の恵みはそこに生きる草花や虫、獣など全てのもので成り立っていることを、アプリコットはちゃんと理解しているのだ。
「こういう風に追い返すと、人を『強い敵』として認識するので、不用意に人に近寄らなくなります。そういう獣を森に返すことで『人は怖い。近づきたくない』という意識を他の獣にも伝えてもらうのは、対処法としてとても有効なのです。
逆に既に人を襲った獣に関しては、絶対に逃がしません。じゃないと人が『弱い獲物』という認識が広まってしまい、積極的に人を襲う獣が出てきてしまいますので、そこは容赦しないのです!」
「ほぇー。アプリコットさん、何だか熟練の狩人さんみたいですわ!」
「むっふっふ、何せ鍛えてますからね!」
何故体を鍛えていることと森に対する造詣が深いことが繋がるのかはこれっぽっちもわからなかったが、とりあえずレーナはほぇーと感心しておいた。それに気を良くしたアプリコットは更に張り切り始め、その結果近寄る獣を片っ端からフシャーと威嚇することで、二人は安全に森を進んで行ったのだが……
「この辺から、少し森の雰囲気が違いますわね?」
「多分人の管理が行き届かない範囲に入ったんだと思います。あの村の狩人さんも、多分ここまでは来ないんじゃないでしょうか」
それまで比較的明るかった森が、一気にその暗さを増す。昼日中、絶好調の太陽の光さえ遮るのは、それだけ木々の密度が増した証拠だ。
「一端この辺でお昼にしましょうか。ここから先は、気を休めるところが無さそうです」
「わかりましたわ」
ちょうどお昼ということもあり、二人はそこで一休みすることにした。レーナは白いローブに目立たないように幾つも作られたポケットから、アプリコットはローブの裾に手を突っ込み、暗闇のなかからそれぞれお弁当を取り出す。油紙に包まれたそれは、エルマ特製のサンドイッチだ。
「ふぉぉ、美味しいです! ハムとチーズのずっしり感も、お野菜たっぷりのシャッキリ感も、どっちも最高に美味しいです!」
「ですわね……ただその、アプリコットさん? ちょっとお聞きしたいのですけれど」
「もぐもぐ……ゴクン。何ですか?」
「いえ、その……今、お弁当を何処から取りだしたんですの?」
「ああ、それですか? 両方の太ももに、鞄をつけてるんです。ここなら手が塞がることもありませんし、敵に殴られて中身が駄目になることもないですから」
「そうなんですか……それは、便利ですわね?」
「はい、とっても便利ですよ。レーナちゃんもつけてみますか?」
「いえ、私は遠慮しておきますわ」
いくら秘神カクスデスの加護により中が見えないとはいえ、ローブの裾を捲り上げ、股下に手を突っ込んで荷物を出し入れするのは恥ずかしい。が、割と真っ当な理由だったので、それを指摘するのも違う気がする。
なのでレーナはここでもほぇーと感心して流すことにしておいた。まだまだ短い付き合いだが、レーナはちゃんとお友達との距離感を学習できる子なのだ。
そうしてペロリと食事を平らげ、秘神カクスデスの偉大な加護により生理現象をいい具合に済ませると、二人はいよいよ森の奥へと足を踏み入れる。日が昇り気温は上がっているはずなのに、周囲の空気は朝のそれよりひんやりと重い。
「少し暗いですわね……アプリコットさん、<灯火の奇跡>を使いますか?」
「いえ、今回は私達は見つからない方がいいので、やめておきましょう」
以前のように救出作戦であれば、自分が相手を見つけるのと同じくらい、相手が自分を見つけてくれることに意味があった。だが今回の森の調査は、対象が何なのかわからない。場合によっては自分達の存在を感じただけで逃げてしまうようなものかも知れないので、気配は極力消すべきだとアプリコットは判断した。
「今回は、こっそりこそこそ森の奥を大調査大作戦です!」
「ちょっと長くありませんか? あと大調査と大作戦で、大が被ってますわ」
「むぅ。ならえっと……っ!?」
アプリコットがいい感じの作戦名に頭を捻っていると、不意に感じた重い気配にその足を止める。それはレーナにも感じられたらしく、背後からアプリコットの背中をギュッと掴んでピッタリと張り付く。
「な、何ですの!? 何だかお腹の辺りがズーンとしますわ!?」
「レーナちゃん、絶対に私から離れないでください。あと私が逃げてと言ったら、まっすぐ走って逃げてください」
「うぐっ……わ、わかりましたわ」
こと戦闘となれば、自分が足手纏いにしかならないことをレーナはちゃんと理解している。故に渋々ながらもしっかりと頷き、そのまま二人は音を立てないようにゆっくりと気配のある方へと歩いて行く。
ただでさえ小さな体を更に小さく縮こまらせ、こっそりこそこそ進んだ先に見えたものは……
「はぐっ、はぐっ…………ハァァ、甘ぁい……」
両手に持った真っ赤な何かをグチャグチャと貪る、人のような形をしたナニカであった。





