「勝負を挑みました!」
「誰がババアだい!?」
「痛いっ!?」
目にも留まらぬ速さで飛んできた拳骨に、悲鳴を上げたアプリコットが恨めしげな視線をシェリーへと向ける。
「いきなり何するんですか師匠! 私何も言ってないのに!」
「ハッ! アタシくらいになると、言われなくたってわかるんだよ!」
「そんな理不尽な!?」
「アンタだって、何も言わなくても筋肉で色々わかったりするんだろ?」
「…………それは確かに」
「えぇ、納得しちゃうんですの!?」
投げやりなシェリーの言葉にアプリコットが深く納得し、そんな友人にレーナが思わず突っ込みを入れる。するとその横からシフがちょいちょいとアプリコットの肩を突き、新たに言葉を重ねた。
「いや、それどころではないのではないか? 教会にいるはずのシェリーがここにいるのだぞ?」
「ハッ!? そ、そうです! 何で師匠がここにいるんですか!?」
「何でって、そりゃアンタ達を追いかけてきたからに決まってるじゃないか」
「だから、何で私達が王都を出たって気づいたんですか!?」
「そうですわ! みんなで考えた完璧な作戦でしたのに、どうして!?」
朝は奉仕活動だと言って教会を出る。これはいつものことなので、この段階で疑われることはない。故にアプリコット達が王都を出たと気づかれるのは、夕方になっても教会に戻ってこない段階でのはずだった。
そうなれば当然シェリーを含む幾人かがアプリコット達を探すことになるだろうが、そこで生きるのが女の子達に頼んだ囮役だ。目撃情報は南門の方に集中し、そのうえで王都にいないとなれば、「南門から外に出たのではないか?」と推測されることになる。
が、不在に気づくのが夕方である以上……そして自分の能力に自信があるが故に、シェリーが動き出すのは次の日以降だとアプリコット達は読んでいた。その後はシェリーの驚異的な身体能力で南側の町や村を片っ端から捜索されるだろうが、アプリコット達はそちらにはいないので見つからない。
そうこうしている間に三日経てば、服の交換をお願いした少女達からローブが返却されることになる。ローブのポケットにはネタばらしのメモを入れてあるので、そこで初めてアプリコット達が北門から出たとばれるのだが、その頃には十分に時間を稼いだアプリコット達は、もはや手の届かない遠くに逃げおおせている……というのが「王都脱出大作戦」の全容だった。
無論、それからでもシェリーやアンが本気でアプリコット達を捕まえようとすれば、流石に逃げ切れるものではないだろう。実際その後も訪れた町や村で奉仕活動はするつもりなので、そこを狙われればあっさり捕まる可能性は高い。
が、アプリコット達は別に指名手配の犯罪者というわけではない。そこまでして捕まえられるとは思えなかったし、逆にそこまでするほど必死に追いかけられるのであれば、迷惑が掛かりすぎるので一旦王都に戻ってシェリーやアンに怒られたり王様に褒められたりした後、改めて旅路に戻る方法を考えればいいだろうと思っていたわけだが……
「完璧って言われてもねぇ」
アプリコットとレーナの抗議に、シェリーはポリポリと頭を掻く。
「アンタ達、ここ数日ずっとソワソワしてたじゃないかい。あれで何も考えてないと思うほど、アタシだって馬鹿じゃないよ」
「ぐはっ!? そんな!?」
「まさかの最初からですわ!?」
「うぐぅ、楽しそうな気分を我慢しきれなかったのだ……っ!」
呆れたように言うシェリーに、アプリコット達は衝撃を受ける。確かに脱出計画を考えたり準備したりするのは楽しかったし、いざ実行するとなればワクワクが止まらなかった。何ならシフの尻尾がファサファサ揺れまくっていたくらいだ。
故に実は割と沢山の人が「この子達は近々何かやりそうだな?」と気づいたうえで、温かく見守っていたのだ。知らぬは子供ばかりであり、周囲の大人達はちゃんと大人だったのである。
「とまあ、そんなわけだ。それじゃアンタ達、とっとと帰るよ?」
ションボリしてしまった一堂に、シェリーが苦笑しながらそう声をかける。レーナとシフがそれに従って歩き出そうとしたが……アプリコットが両腕を伸ばしてそれを制する。
「待ってください二人とも」
「アプリコットさん?」
「どうしたのだアプリコット?」
「ああ、本当にどうした……いや、こう言うべきか? どういうつもりだい?」
ドスの利いた声で言うシェリーに、アプリコットはグッと腹筋に力を入れて答える。
「ごめんなさい師匠。今回ばっかりは師匠の言うことはきけません。私はどうしても、まだ旅を続けたいんです!」
「へぇ? そりゃアタシに面倒事を押しつけてでもってことかい?」
「そうです! 王様に褒められて、筋肉神様の神殿の管理を任され、信徒の人達と毎日楽しく筋トレして過ごす日々なんて、私にはまだ早すぎます! 有名になったおかげで世界中から筋肉を愛する人が集まってきたり、老若男女分け隔てなくみんなで筋肉の素晴らしさを語り合う毎日は、もっと先のお楽しみなのです!」
「……いや、アタシが想像していたよりずっと楽しみにしてるっぽいんだが、本当にいいのかい?」
「いいんです!」
具体的に幸せそうな未来を語るアプリコットにシェリーが一応念を押してみたが、アプリコットはキッパリとその未来を拒絶する。
「私の筋肉に妥協はありません! というか、流石に一二歳で将来が決まってしまうというのはどうかと思います!」
「あー、まあそういう考え方もあるか」
どれほど恵まれた立場であろうとも、それを本人が望むかどうかは別問題だ。それに若干一二歳で歩みを止めたくないという教え子の気持ちもよくわかる。確かに言われて考えてみれば、一二歳の頃の自分が同じ要求を受け入れることはないだろう。何なら城の壁をぶっ壊して逃げ出すくらいはやりそうだ。
「くっ、はっはっは……なるほど。どうやら自分でも気づかない間に、頭の中が年寄り臭くなってたみたいだねぇ。いいだろう」
「師匠!? じゃあ――」
「ただし!」
喜ぶアプリコットを前に、シェリーがグッと拳を握って構える。
「何もかも放り出して行きたいって言うなら、その覚悟を見せな! ここから先に進むなら、このアタシを倒してからだよ!」
「ええっ!? シェリーさんを倒すなんて、無理ですわ!?」
「どうするのだアプリコット!?」
闘気を剥き出しにするシェリーを前に、レーナとシフが怯えながらアプリコットに話しかける。するとアプリコットもまた体を震わせ……しかしギュッと拳を握る。
「何だい、怯えてるのかい? 怯えるくらいならとっとと拳を降ろしな」
「……そうですね、とっても怖いです」
挑発するようなシェリーの言葉に、アプリコットは俯きながら小声で言う。
「でも、それと同じくらい嬉しいんです。だって怖いってことは、それだけ師匠が本気ってことですよね? つまり今の私は、怖いと感じるくらい師匠が本気を出さなかったら止められないと……そう思ってくれてるってことですよね?」
「……………………」
声を、体を、筋肉を震わせるアプリコットに、シェリーは何も言わない。だがそれでもアプリコットは語り続ける。
「嬉しいです。私が大きくなったんだって、師匠が認めてくれていることが。嬉しいです。大きくなった私を、師匠に見せられることが。
嬉しいです。嬉しいです! 嬉しくて嬉しくて……筋肉が爆発してしまいそうです!」
「……そうかい。ならそのまま幸せな夢の中で寝とくんだね」
「お断りします! 私の夢は、いつだって起きている時に見てるんです!」
互いに構えて、見つめ合う。そこに居るのは師と教え子ではなく、二人の聖女。
「見敵必殺、拳撃必滅――」
「完全無欠、万全消滅――」
「「我が拳は信仰と共に在り!」」
二人の聖句が重なり合い、二人の体から神の力が噴き上がる。立ちはだかった最強の壁を前に、アプリコットの旅立ちを賭けた最後の戦いが、今ここに幕を開けた。





