「約束は守ってもらいます!」
激動の夜が明け、翌日の朝。いつも通りに早起きし、日課の鍛錬をこなしたアプリコットのところに、寝ぼけ眼のレーナがやってきた。
「あふぁ……おはようごじゃいますわ、アプリコットひゃん……」
「おはようございますレーナちゃん! 何だか眠そうですね?」
「むしろ何故アプリコットさんはそんなに元気なんですの? 貴方も一緒に終導女様にお叱りを受けたというのに……」
「あはは……ほら、私は鍛えてますから!」
昨夜、出荷される家畜の如く引っ張られていったアプリコット達は、予想通りに終導女のお婆ちゃんから怒られていた。もっともその理由は「子供二人で無茶をしては駄目」という至極真っ当なものだったので、二人ともそれを気にして落ち込んだりはしていない。
が、町中を高速で運ばれた上に夜の森に突っ込み、<灯火の奇跡>はともかく、<癒やしの奇跡>を全力で発動させたレーナは疲れ切っており、いつも通りに早起きしてはみたものの、まだまだ眠気が抜けていなかった。
「私、今なら二度寝どころか三度寝だっていけそうですわ……ふぁぁ……」
「ならレーナちゃんも一緒に体を動かしますか? きっとスッキリ目が覚めますよ?」
「いえ、疲れて余計に眠くなってしまいそうですから、遠慮しておきますわ」
「そうですか。なら一緒に顔を洗いに行きましょう!」
「ふぁいですわ……」
何度もあくびをするレーナの手を取り、アプリコットは近くの井戸に行くと、ガラガラと水を汲み上げて顔を洗った。冷たい水がキリリと肌を引き締めれば、アプリコットのほっぺたがプルンと震える。その隣ではレーナも同じように顔を洗っており、寝ぼけ顔がシャッキリとすると、いつもの美少女へと変貌した。
「ふぅ、おめめぱっちりですわ! さあアプリコットさん、今日も朝のお勤めを頑張りましょう」
「おー、やる気が出ましたね。はい、頑張りましょうレーナちゃん!」
可愛くガッツポーズを取るレーナに笑顔で答え、二人で教会の掃除をしていく。きゅっきゅっきゅーと歌いながら掃除を済ませ、その後はしっかりたっぷりガッツリと朝食を済ませると、二人に対して終導女のお婆ちゃんが声をかけてきた。
「さて、アプリコットさんにレーナさん。二人とも今日は孤児院の様子を見に行くのですか?」
「はい! レーナちゃんも一緒に行きますよね?」
「そうですわね。昨日の今日で気になりますし……終導女様、よろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。というか、様子を見たら、二人とも今日の奉仕活動はお休みしなさい」
「えっ!? ですが……」
休んでもいいと言われて戸惑いの声を上げるレーナに、終導女は静かに首を横に振る。
「いいのです。世の中には休むということを悪いことのように言う人もいますが、そんなことはありません。しっかりと休んで元気になるからこそ、次もまた全力で頑張れるのです。
特に貴方達のような年齢だと、体力が有り余っているせいで休息を疎かにしがちですが、健やかに成長するためにも休むことは大事なのですよ」
「そうですよレーナちゃん! 筋肉も鍛えるばかりでなく、休ませてあげないと育ちません!」
「は、はぁ。まあ、そういうことでしたら……」
二人がかりの説得にレーナが頷き、そうして食事を終えた二人は孤児院へと出向いていった。するとすぐに子供達が集まってきて、その騒ぎを聞きつけたハンナも外へとやってきた。
「アプリコットさんに、レーナさん! ようこそいらっしゃいました」
「ふふふ、来てしまいました! ハンナ先生、調子はどうですか?」
「ええ、おかげさまで何の問題もありません。ありがとうございました」
そう言って頭を下げるハンナの顔には抜けきっていない疲労が残っていたが、それ以外に体調が悪そうな様子はない。そのことに改めてホッと胸を撫で下ろしていると、側にいたベンがアプリコットの前に歩み出てきた。
「なあ、その…………あ、ありがとな。先生のこと、助けてくれて」
「ふふふ、構いませんよ。ですがベン君、ちゃんと約束は覚えていますか?」
「約束? ベン、貴方何か約束をしたの?」
アプリコットの言葉に、ハンナが心配そうな目をベンに向ける。しかしそれに答えたのは、ベンではなくアプリコットだ。
「先生を助けるために、ベン君は『自分が報酬を払う』と言ったのです。なのでその約束はきっちり果たしてもらいます!」
「そんな……!? ベン、貴方なんでそんな勝手なことを……!」
「仕方ねーだろ! 大丈夫だよ、先生に迷惑はかけねーって!」
強がるベンの頭を、ハンナがそっと抱きしめる。
「馬鹿ね、私を助けるためにベンがしてくれたことが、迷惑なわけないでしょ……ごめんなさいアプリコットさん、その報酬は私がお支払いする形にしていただけませんか?」
「うーん、そうですねぇ。一部だけなら可能というか、出来ればみんなで負担していただけるとありがたいと言うか……」
「? おいチビ、お前俺達に何をさせるつもりなんだよ?」
「こらベン! すみませんアプリコットさん。でも、確かに私達に何をお求めなのでしょうか?」
「むふふー。実はですね……この孤児院の庭の隅っことかでいいので、祠を一つ作って欲しいのです」
「祠、ですか?」
「そうです。できればちゃんとしたものがいいですけど、最低限祈りを捧げることができるようなものであれば、それこそ石を積んだだけでも構いません」
「それは……そのくらいなら何の問題もありませんが。でも、何故祠を?」
神の存在が「奇跡」という形で身近にあるこの世界では、祠そのものは別に珍しいものではない。が、それは小さな村などであればであって、この町のように一定以上の規模がある場所では、祠など建てなくてもそれぞれの神を奉る神殿がある。
なのに何故祠を建てるのかと首を傾げるハンナに、アプリコットが頬をポリポリと掻きながら苦笑する。
「実はですね、私に声をかけてくださった神様はあまり知られていない方で、神殿なんかもありません。でも、ベン君の願いを聞き届け、ハンナ先生を助ける力を貸してくれたのは、間違いなくその神様なのです。なのでせめて祠を作って、そこに祈りを捧げて欲しいのです」
別に信者を増やしたいとか、そういうことではない。ただ快く力を貸してくれた神様に「助けてくれてありがとう」と、感謝の気持ちを伝えて欲しい……そんなアプリコットの純粋な思いを感じて、ハンナの顔に優しい笑みが浮かぶ。
「わかりました。そういうことなら精一杯やらせていただきます。ベンもお手伝いしてくれるのよね?」
「当たり前だろ! 先生を助けてくれた神様だって言うなら、俺がスゲー祠を作ってやるぜ!」
「ふふふ、期待してますね」
腕まくりをしてやる気を見せるベンに、アプリコットも満足げな笑みを浮かべる。そんなアプリコットの顔を自分も楽しげに眺めながら、レーナがそっと声をかけた。
「聞き入れていただいてよかったですわね、アプリコットさん」
「はい! ここのみんながお祈りしてくれれば、きっと神様も喜んでくれます!」
「そうですわね……あの、一つ聞いてもよろしいですか?」
「はい、何ですか?」
「私、アプリコットさんに声をかけたのは、戦神アラクレトール様だとばかり思っていたのですが、ひょっとして違うのですか?」
それはここに来る道すがら、今の内容を相談されたときからずっとレーナが抱いていた疑問だ。
身体強化を促すような奇跡は、基本的には戦神アラクレトールの領分である。だがアラクレトールは極めて有名な神であり、当然この町にも立派な神殿が建っている。
だが、アプリコットは自分の神を「有名ではない」と言った。故にアプリコットが祈りを捧げて奇跡の力を借りている神が、レーナには思いつかなかったのだ。
「ああ、それですか。ええ、私に力を貸してくださっている神様は、アラクレトール様ではありません」
「では、どちらの神様が?」
「それは……」
「それは……?」
無駄に意味深な表情を作るアプリコットに、レーナがゴクリと唾を飲む。そうしてアプリコットの口から飛び出したのは……
「筋肉神ムッチャマッチョス様です!」
「……えぇ?」
これっぽっちも知らない神様の名前であった。





