「筋肉で分かり合いました!」
「うっ、ぐっ!? あぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!?」
「え、エルザさん!?」
突如として苦しみだしたエルザの姿を見て、アプリコットが思わず駆け寄る。するとエルザの体から黒いもやのようなものが吹き出し……そして次の瞬間。
ドカーン!
「うひゃぁぁぁぁぁぁ!?」
「姫様!」
「な、何ですのー!?」
「レーナ!」
突如として発生した爆発で、小部屋だけでなく家そのものが吹き飛ぶ。その衝撃が収まり青空の下にその身をさらした一堂の前には、頭上に浮かぶ黒いもやと、それに向かって跪くエルザの姿があった。
「メッチャモッコス様……」
『約束を破ったな、我が聖女よ』
厳かな……だが何処か生理的な嫌悪感を感じさせるような声が黒いもやから響き、それに対してエルザが縋り付くようにしながら反論の言葉を絞り出す。
「そ、そんな!? 私が秘密を話したわけでは――」
『黙れ! 貴様の未熟な態度、言動が正体を明かしたのだ! ならばそれは貴様自身の責である!』
「うっ……」
そんな理不尽な、という喉から出掛かった言葉を、エルザは飲み込む。そもそも自分が女になれたこと事態が望外の幸運、奇蹟であったのだから、それを取り上げられる理由として、その程度のことは仕方がないと納得できてしまったからだ。
『では、我が力は返してもらう。元の姿を無様に晒すがいい』
「あぁぁぁぁ!?」
ずっと黒いもやが吹き出し続けているエルザの体が、急速に変化していく。胸や尻がすぼみ、代わりに腕や足が太く無骨に変わっていって……もやの噴出が終わった後に現れたのは、ピチピチのローブに身を包む、筋骨隆々の男性の姿だった。
「ぬぉぉ!? 聖女がゴツいオッサンになってしまったのじゃ!?」
「まさか本当に男だったとは……このような者が姫様を好き放題にしていたなど、何と汚らわしい!」
「控えめに言って変態」
「いや、嫌! 見ないで! 見ないでぇ!」
一〇歳のアンからすると、二五歳のエルザ……エリオットはオッサンにしか見えず、そんな男が大事な王女を操っていたことにメアリーが激怒し、体が大きくなったことでピッチリと肌に食い込むローブに身を包んだ姿は、ミミからすると変態にしか見えない。
そんな軽蔑の言葉に、視線に、エリオットは大きな体を両手で抱きしめるようにしてその場に蹲り、ひたすらに涙声で「見ないで」と繰り返す。その姿はあまりにも哀れで、レーナが思わず声をかけようとしたその時。
「大丈夫ですよ、エルザさん」
「アプリコットちゃん……? ごめん、ごめんね。私本当はエルザじゃないの。私は……」
「? エルザさんはエルザさんですよ? だってほら……」
泣いているエリオットの腕に、アプリコットがそっと触れる。
「この筋肉は、エルザさんのものです。なら見た目がちょっとくらい変わったって、エルザさんはエルザさんですよ!」
「……えっ?」
「私はエルザさんの身に何が起きたのかわかりません。さっき話を聞く前にこうなっちゃいましたしね。でも何の話も聞かなくてもわかることもあります。それは筋肉です!
筋肉は嘘をつきません。エルザさんの体は、エルザさんが真摯に筋肉と向き合い、鍛えてきた結果……人生そのものじゃないですか! だからエルザさんはエルザさんなんです! エルザさんの筋肉は、今もあの日と変わらず、ムッキムキに輝いてますよ!」
「アプリコットちゃん…………っ!」
ニコッと笑って言うアプリコットに、エリオットは己の内に言い知れぬ温もりが広がっていくのを感じた。そして同時に悟る。ああ、そうか。自分は――
(そうか。私は女の子になりたかったんじゃない。ただ私に……ありのままの私として見て欲しかったんだ……)
エリオットの心は、確かに女の子だった。だが別に、女の体になりたかったわけではない。男の体に女の心……そんな自分という存在を、ただそのままに受け入れて欲しかっただけなのだ。
「そう、そうだったの……そう言ってくれる人がいるなら、私はまだエルザでいいのね……?」
「ええ、いいと思いますよ。全部終わったら、また一緒に筋肉を鍛えましょう!」
「それは素敵な提案ね……でも私、筋トレの他にもお洒落とか可愛いぬいぐるみとか、そういうのにも興味あるの」
「まあ、そうなんですの!? 筋肉のお話はできませんけど、お洒落とかのお話だったら、私もできますわ!」
「ぬいぐるみは作る方ですか? それとも可愛がる方ですか? そういうのが好きなら、とりあえずはシフの尻尾をモフモフしておくのがいいと思いますよ」
「ぬおっ!? また我の尻尾を触るのか!? まあ何だか落ち込んでるみたいだから、ちょっとくらいは触らせてやるのだ。でも、あんまり強く握ったりしては駄目だぞ?」
そう言って、シフの尻尾が蹲るエルザの眼前に垂れ下がる。涙を拭いて顔をあげたエルザがそこに手を伸ばすと、それはとても柔らかくて温かい。
「……私に触られるの、嫌じゃない? こんなゴツい大男に、貴方みたいな女の子が尻尾を触らせるなんて……そう言えば、何で尻尾があるの?」
「何でと言われても、生まれた時から生えているから理由なんて知らないのだ! あと、乱暴にしないなら別に嫌じゃないのだ。前にねっとり触ってきたオッサンは最高に気持ち悪かったけど、お前はそういう感じがしないからいいのだ!」
「あー、あれは確かに酷かったですね」
「乱暴はよくありませんけど、あれは仕方ないですわよね」
邪な気持ちのこもった触り方をされれば、シフだって当然嫌がる。故にアプリコットとレーナはウンウンと同意し、そんなやりとりにエルザが思わず笑みを零す。
「フフッ、貴方達、仲がいいのね……私の周りにも、貴方達みたいな子がいたら……いえ、それとも私が避けていただけで、実際にはいたのかしら?」
この歳まで生きれば、世の中が決して優しいだけで成り立っていないことなど、エルザにもよくわかっている。もし本当に素直な自分を曝け出したならば、きっと予想通りに避けられたり気持ち悪がられたりしたことだろう。
でも、それでも。もしそうすることを選んだならば、それを受け入れてくれる人だっていたかも知れない。今よりずっと深く傷ついていたとしても、その可能性はいつだってゼロじゃなかった。
「筋肉痛を恐れて運動しなかったら、筋肉は育たない……人生だって同じだったのに……そんな当たり前のことに気づくのに、随分と遅れちゃったわ」
「でも、気づいたなら立ち上がれますよね?」
「勿論よ」
アプリコットは手を伸ばさない。それはエルザが一人で立てると心の底から信じているから。故にエルザはその信頼に応え、自らの筋肉を震わせて立つ。
「ずっと忘れてたわ……空って、こんなに近かったのね」
頭一つ分だけ近づいた太陽の眩しさに、エルザは僅かに目を細める。そんなエルザと並んで立つのは、揃いのローブに身を包む三人の少女達。そしてその視線の先にあるのは、宙に浮かぶ怪しげな黒いもや。
「さて、エルザさんはひとまずこれでいいとして……貴方には聞きたいことが沢山あります。お話……できるんですよね?」
『ほう? たかが人間の分際で、神たる我と対等に話をするつもりか?』
「神? そっちこそ何を言ってるんですか?」
ただ聞くだけで畏怖を覚えるような声を浴びてなお、アプリコットは一切怯まない。それどころか挑発するような口調で、ズビシッと黒いもやに人差し指を伸ばして突きつける。
「私は見習い聖女アプリコット! 本物の筋肉神ムッチャマッチョス様の名において、神を騙る偽物を思いっきり殴り飛ばします! 覚悟しなさい、偽筋、メッチャモッコス!」
「え、そこは偽神じゃないんですの!?」
「何というか……お主達は本当に相変わらずじゃのぅ」
この状況でもなお普通にツッコミを入れるレーナの姿に、アンは呆れながらも楽しそうにそんな呟きを漏らした。





