間話:それぞれの思惑
対峙する部屋の広さは、奥行き五メートル横四メートルほどの、やや細長い空間。ミミは唯一の出入り口である木製の扉を背に立ち、部屋の中央やや奥側にエルザが、そしてその傍らには物言わぬアンの姿がある。
「……………………」
故に最初にやるべきは位置取り。本来ならば出入り口を封鎖している利を捨てるなど愚の骨頂だが、ミミはゆっくりと横に回り込むように動いていき……それを見たエルザは一瞬訝しげな表情を浮かべたものの、すぐに皮肉げな声を出した。
「……ああ、そういうこと? いいわよ。じゃ、ちょっと待ってなさい」
そう言うと、エルザはあろうことかミミに背を向け、ひょいとアンの体を担いで部屋の片隅に寄せる。その後アンが直線上に入らない位置に移動すると、改めて拳を構えてミミに話しかけた。
「さ、これでいいでしょ?」
「……何故、その子を人質に取らなかった?」
「そんなことしないわよ。貴方、私を何だと思ってるわけ?」
「…………正直、よくわからない」
呆れたような問いかけに、ミミは僅かに眉根を寄せて言う。
「他人を意のままに操れるなら、大抵のことは好きにできる。でもどれだけ調べても、お前が犯罪に関わったという証拠は見つからなかった。
それに今もそう。その子を人質にするならそのまま悪党として始末したけど、そうしなかった……お前は一体何がしたい? どんな目的でこんなことをしてる?」
「目的? そんなの決まってるじゃない! この世界に筋肉の素晴らしさを啓蒙することよ!」
「き、筋肉……? それと子供を誘拐することに、どんな関係が……?」
「大人のゴリゴリに固まった筋肉じゃ、私の力を受け入れてくれないのよ。勿論強引に操ることはできるけど、そうすると大きな怪我に繋がる可能性もあるし……その点子供なら筋肉が柔軟だし、成長率も高いから結果がすぐにわかるわ。
そうしていい感じの調整ができるようになれば、いずれは世界中の誰もが短期間で理想の筋肉を身につけられるようになる! どう、素敵だと思わない?」
「あー…………その世界の是非はともかく、その目的なら普通に子供を雇えばいいんじゃない?」
「駄目よ。確かに最初のうちは孤児院の子とかに協力をお願いしたこともあったけど、丁度いい年齢の子ってそこまでいるわけでもないし……かといって普通の親や、ましてやこの子みたいな華奢で高貴な女の子の親が協力してくれると思う? 謝礼だって払えないのに? 貴方が知ってるかはわからないけど、聖女ってお金稼げないのよ」
真新しい大きな神殿に住んではいても、エルザはその管理を任されているだけで、神殿がエルザの持ち物というわけではない。寄進はされるがそれは神殿の維持費などに回されるもので、エルザ個人の収入ではない。
つまり、エルザにはお金が無い。衣食住に困ることは一切ないし、ちょっとした出費程度なら経費にできるが、研究のために何十人もの子供を雇えるような収入は、エルザにはなかった。
「……………………」
そんなことを悪びれずに言うエルザに対し、ミミは表情にこそ出さずとも、内心で困り果てていた。さっきは偉そうに「重要参考人として捕縛する」などと言ってみたが、実のところそこから先……つまりエルザを罪に問えるような証拠は、自分で言った通り何も見つけられていないのだ。
重ねて今の戦闘でも、エルザはアンを巻き込まないよう、部屋の隅に移動させた。アンは王族、ミミはその護衛なので二人が共謀して適当な罪をでっち上げることは可能だが、そんな手段を己の主が望まないことくらい、ミミには十分理解できて――
「いや、違う。本人の意思を無視して過酷な筋トレをさせるのは、十分に虐待」
そう、エルザが無罪になり得るのは、あくまでも「子供が自主的に行動していた場合」だけであり、操ったという証言が出ればその前提が覆る。故に今回の問題は如何にしてそれを証明するかが問題だったのだが……
「お前はさっき、人を操れることを自白した。その時点でお前は無実じゃなくなった」
「おっと、どうやら余計なことを喋り過ぎちゃったみたいね」
ただ予想するだけでは駄目だが、本人の口から聞いたならば法律神の裁定を受けることができる。そうなればいくらエルザがとぼけても無意味だ。そんな己の失態を悟ったエルザが小さく肩を竦め……だがニヤリと笑って言葉を続ける。
「まあいいわ。ところで……どれだけ時間を稼いでも、援軍は来ないわよ?」
「……どういうこと?」
「この周辺の魔力の動きは、メッチャモッコス様のお力で監視されているの。貴方が以前から外部と連絡を取っていたことも、壁にピッタリくっついていた姿も、私には丸わかりだったのよ。だから奇襲も防げたの」
エルザは強い。が、その強さはあくまでも筋肉の強さであり、戦士としての強さではない。アプリコットと戦えたのはあくまでもあれが競技だったからであり、兵士や護衛、あるいは暗殺者のように、対人戦を想定した強さとは無縁なのだ。
そんなエルザがミミの奇襲を防げたのは、持ち前の身体能力の高さだけではない。エルザの目にはミミの姿がはっきりと認識できており、逆にミミは自分が見られていることに気づけなかったからこそ、その奇襲が防がれてしまったのだ。
「……なら、その子が誰かも知ってたってこと?」
だが、今はそれよりも重大な問題が別にある。奥歯をギリッと噛み締め、エルザを睨み付けながら問うミミに、エルザは軽く戯けたように答える。
「勿論。あー、いえ、正確にはここに来て貴方達の話を聞いたから知ったわけだから、別にお姫様だと知っててお招きしたわけじゃないわよ? というか、流石に事前に知ってたら避けた――っ!?」
エルザが話を終えるより先に、ミミの体が床を蹴って飛び出す。だがその刃は再びエルザによって止められてしまった。
「ちょっと、いきなり過ぎない!?」
「うるさい! 姫様を姫様と知っていながら、あんな狼藉を……っ!」
「狼藉って、普通に筋トレさせてただけじゃない!」
「あんな粗末な食事を無理矢理……」
「冬場にあれだけの野菜と肉を用意するのに、どれだけお金かかると思ってるのよ! それでも王女様の筋肉になるならって、必死に節約して費用を捻出したのよ!?」
「姫様の自由を奪っておいて、何をぬけぬけと!」
「し、仕方ないじゃない! 意思があったら限界まで頑張れないでしょ!」
「言い訳は、捕まえてから聞く!」
「なら、私は貴方を操って、何も無かったことにしてあげるわ!」
互いの主張は平行線。ならばこそ武器と拳が交錯するが……
「ほらほら、どうしたの? お姫様の護衛ってのは、こんなもん?」
(くっ、戦いづらい……)
状況は意外にも、力があるだけのエルザが押している。というのもミミからすると、エルザが体を……筋肉を操る条件が確定していないため、武器以外で触れることができないからだ。
(しっかり掴まれなければ操れない? それとも指先が触れるだけでいい? 素肌じゃないと駄目? それとも服や靴の上からでも操られる? 最低限必要な接触時間は? ……駄目、わからないことが多すぎる)
力任せの拳を手にした短剣の刀身で受け止めれば、どうしてもミミの体が沈む。それでも本来ならがら空きの腹に蹴りを叩き込んだり、伸びきった腕に巻き付いてへし折ったりできるのだが、接触不可ではそれら全てが封じられてしまう。
加えて室内は狭く、素早さを生かす余地がない。壁際に追いやられたミミが一か八かでエルザに蹴りを入れてみようかと本気で検討し始めた、まさにその時。
バーン!
「助けに来ました! って、えっ!? エルザさん!?」
「怪我をしている方はおりませんか?」
「我が来たからもう平気なのだ!」
「姫様、ご無事ですか!」
「えっ、貴方はあの時の……っ!?」
「メアリー!? 何で貴方がここに!?」
(ぬぉぉ、急に声が増えたのじゃ!? 誰か妾の顔をそっちに向けてくれぇ!)
派手な音を立てて木製の扉を吹き飛ばしながら入ってきた四人組に、場の全員がそれぞれの驚きを露わにするのだった。





