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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第九章 突撃! 隣の筋肉神殿

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間話:目覚めの時

 筋トレ生活六日目。その日も淡々と筋トレをこなすアンだったが、そんなアンの心境に小さな変化が訪れた。


(あぁ、今日も辛いのぅ。辛いんじゃが……それでも最初の頃に比べれば、随分と楽になってきた気がするのぅ)


 二日目や三日目辺りは、逃げ場のない辛さに心が死にかけていた。四日目五日目は辛すぎる現実から己を護るために心を閉ざし、植物のようになることで何とか自我を保っていた。だが六日目の今日、アンのなかに再び思考が戻ってきたのだ。


「はい、それじゃ今のを一〇セットよ!」


「……………………」


(一〇セットか……)


 エルザの指示に、体が勝手に筋トレを続ける。思考が戻った今それはかなりの苦痛だろうと身構えるアンだったが、思っていたよりもずっと簡単に課題をこなし終え、体に残る疲労もそれほどではないことに驚く。


(……うむ? 今の運動はこれほど楽だったか?)


 そしてその驚き、あるいは違和感は、その日一日続いた。泣き出したくなるほど辛い鍛錬が、心を閉ざさねば己を守れなかったような辛い運動が、大変だが十分に頑張れる程度で次々に終わっていく。そうして終わった後に残るのは、なんとも言えぬ達成感だ。


(これは一体……? 妾はどうしてしまったというのじゃ?)


「……ふむ、そろそろいいみたいね」


 戸惑うアンの内心を知ってか知らずか、そんなアンに聖女(エルザ)が声をかける。久しぶりにまともに意識したエルザの顔は、何処か優しげにすら見えた。


「貴方に意識が残ってるのはわかってるわ。だからよーく聞いてね。この数日の鍛錬で、貴方の筋肉は素晴らしくムキムキになってきたわ。それは体の筋肉だけじゃなく、心の筋肉もよ」


(こ、心の筋肉!?)


 訳の分からない単語をさも当たり前のように言われ、アンが内心で困惑する。だがそんなアンの気持ちなど知る由もないエルザは、そのまま説明を続けていく。


「体の方はね、誰でも鍛えられるの。貴方の年齢なら、それこそ普通に生活してるだけだって日々筋肉が身についていくわ。でも心の筋肉は違う。たとえば貴方、自分が今日までやった鍛錬を自分の意思でできたと思う? まあ無理よね。よほど強い目的意識でもなければ、あんな鍛錬続けられないわ」


(わかっとるなら、何でそんなものやらせたんじゃ! 虐待じゃぞ虐待! 普通なら完全に虐待じゃからな!)


「でも、貴方は続けたわ。勿論それは私の<筋肉の奇蹟>で体を操られていたからではあるけれど、そこにはちゃんと貴方の意識もあった。そう、貴方は辛くて苦しい筋トレをやり続け、そして今日の段階までやり遂げているのよ。それこそが心の筋トレ。貴方は知らずに、心の筋肉も育てていたの。


 そしてそれが今、花開いた。体の筋肉に心の筋肉が追いついたことで、ただ辛いだけ、苦しいだけじゃなくなった……貴方の筋肉がそう伝えてきているの」


(むぅ? いやいや、そんなはずは……)


 エルザの一方的な説明に、アンは内心で首を横に振った。だがそこに追い打ちをかけるように、エルザがそっとアンの頬に頬に手を触れて告げる。


「フフ、戸惑ってるのかしら? 大丈夫よ、それは決して異常なことじゃない。できないことができるようになる達成感は、誰しもが持っている健全な喜びだもの。辛くて苦しい筋トレが楽しくなり、終わった達成感がくせになる……今の貴方は、もう一人前の筋肉人(マッチョリスト)よ」


(ま、マッチョリスト!? 妾がそんな、そんな訳の分からないものになるはずがないのじゃ!)


 その言葉を、アンは必死に否定する。だが心の奥底に小さな火が灯ってしまったことを完全には否定できない。そんなアンの心の隙に、エルザがすかさず筋肉を押し込んでいく。


「でも、それすらまだ入り口でしかないわ。筋肉の道はもっとずっと奥深く、更なる深淵へと続いている。極めようと思えば果てしなく長く遠い鍛錬の道が待っていて、だからこそそこにはやり甲斐がある。生涯をかけて筋肉を探求する……筋肉探求(キンニクエスト)こそが人が生きる最大の目標なのよ!」


(きんにくえすと!? また訳の分からぬ単語を……)


「そして貴方には、そこに旅立つ素質があるの! 今はまだ素質だけだけれど、私が手を貸せばきっと先に進めるわ! まずは筋肉愛好家(マッチョマニア)から初めて、ゆくゆくは筋肉親方(マッチョマイスター)に、そしていつかは究極筋肉人(アルティマッチョ)に辿り着くのよ!」


(いやいや怖い怖い怖い! 訳が分からなすぎて怖いのじゃ!)


 ちょっと火が付きかけていたアンの精神が、突っ走りすぎたエルザによって沈静化される。だが心の中でどれだけ身をよじろうと実際の体が動くことはなく、エルザの手がアンの右腕へと移動していく。


「ということで、まずは右腕からね。いくわよ……」


(な、何を……っ!?)


 エルザがそっと手のひらを押し当てた瞬間、アンの右腕の筋肉がモッコリと蠢いた。その事実と皮膚の下を芋虫が這いずり回っているような感覚にアンが驚愕するなか、エルザは真剣な表情でアンに送り込む力を調節していく。


「へぇ! 今までよりもずっと力の通りがいいわ。でも何でかしら? 他の女の子で試した時はそんなことなくて、なら単純に筋肉量が多い男の子の方がいいんじゃないかって思ってたけど……この子が特別に適性があるだけ? それとも……?」


(うぉぉぉぉ!? 妾の腕が!? 腕がポコポコしておるのじゃ!?)


 この数日で随分と鍛えられたとは言え、それでもアンの右腕は一〇歳の少女から逸脱したものであった。が、今はそこに子供の握り拳ほどの力こぶが出たり消えたりを繰り返している。別に痛いわけでも苦しいわけでもないが、自分の体に起きている正体不明の現象が、感覚的にも感情的にもただひたすらに気持ち悪い。


「ひょっとして……ねえ貴方、見習い聖女だったりしない? いえ、ローブを着てないなら、神様に声はかけられてない? もしそっちの才能が筋肉に影響するのなら……あの子があんなに凄い筋肉を身につけていたのは、そういうことなのかしら? だとしたら大発見だわ!」


 訳の分からぬ独り言を呟き、凄い凄いとまるで少女のようにエルザがはしゃぐ。その間にもアンの腕で膨らむ筋肉の大きさが徐々に増していき、そろそろ皮膚が破れるのではないかとアンが思わず心の目を閉ざしそうになった、丁度その時。


「…………」


 突如として壁から現れたミミが、無言のままエルザの首筋目がけて短刀を振り抜いた。だがその一撃はエルザが指二本で刃先を挟んで止めることで防がれる。それに目を見開いたミミは、即座に短刀を捨ててエルザから距離を取った。


「くっ……」


「あら、貴方誰? せっかくの筋肉との語らいを邪魔するなんて、随分と悪い子ね?」


「……単なる筋トレならもう少し泳がせてもよかったけれど、流石にそれは見逃せない。聖女エルザ、お前を連続誘拐事件の最重要参考人として確保する」


「まあ怖い! っていうか、確保なのにいきなり首を狙うわけ? いくら私の筋肉が凄くても、首が落ちたら死ぬわよ?」


「それはそれで仕方ない。けど、即死じゃないなら自分で傷を癒やせるでしょ? お前は聖女なんだから」


「…………ああ、そう言えばそうね」


 人の首には太い骨があるし、その周りは筋肉で覆われている。エルザのような人間が首を鍛えていないわけがないので、ミミの使った短刀で首を跳ばすなんてことはそもそも不可能だ。


 それでも太い血管を切れば致命傷にはなるが、その程度は聖女なら誰でも使える……アプリコットのような例外を除けば……<癒やしの奇蹟>を用いれば死ぬことはない。


 動揺したなら捕縛してから使わせればいいし、そうでないなら自分で使うだろうから、よほど運良く……あるいは運悪く即死するほど刃が食い込まないなら死なないし、そうなったとしてもミミは仕方ないと割り切ったことだろう。


 が、そんなミミの言葉に、エルザはまるで自分が聖女であることを忘れていたかのように小さく笑うと、ミミに向かって戦う構えを取る。


「まあ別にいいわ。貴方みたいな子は不意打ちが失敗した時点で戦力半減でしょ? 少し前に大負けしたばっかりだけれど……今度は負けないわよ?」


「そんなの私は知らない。お前にあるのは今回も敗北だ」


 拳を握るエルザに対し、ミミは新たな短刀を抜いて構え直す。筋肉聖女と姫の護衛、その死闘の幕が今、静かに上がっていった。

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