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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第九章 突撃! 隣の筋肉神殿

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間話:絶望の日々

(何という迂闊……いや、それとも不運か? せっかくアプリコットから発想をもらっていたというのに、それを共有する前に釣られてしまうとはのぅ)


 この世界において、現役の聖女が犯罪を犯すことはほぼない。確かに聖女の使う奇蹟には使い方次第で悪用できるものが幾つもあるが、そのように罪を重ねると神から見放され、聖女としての力を失うからである。


 ちなみに「ほぼ」なのは、自分が聖女でなくなることを覚悟してでも罪を犯す者が、ごく僅かにだがいるためだ。ただその場合、聖女の力を失っているという動かぬ証拠があるため、罪を犯した元聖女は極めて高い確率でそのまま逮捕されることになる……閑話休題。


(しかし、どういうことじゃ? 誘拐事件が発生してから随分立つのに、この女は未だに聖女の力を有しておる……何故じゃ?)


 だが、それは逆説的に、聖女の力を失っていなければ無実であるということにもなる。何しろ神がその人物の善性を保証しているのだから、そこに人が介入する余地などない。


 そしてその理屈なら、子供を拉致監禁するなどという犯罪行為を行えば、瞬く間に聖女の力は失われるはずであった。


 ならばどうして目の前の女は聖女の力を保っているのか? アンがそんな疑問を頭のなかでこねくり回している間にも、筋肉神殿の聖女……エルザがゆったりとした足取りでアンの側へと歩み寄ってくる。


「フフフ、怖いかしら? そうよね、いきなり体の自由が効かなくなったと思ったら、こんなところに閉じ込められているのだもの。でも大丈夫。確かに最初はちょっとだけ辛かったり痛かったりするかも知れないけど……すぐに気持ちよくて癖になるわ。本格的なのは明日からだけれど、寝る前に少し汗をかきましょうね」


(ぬぉぉ!? な、何じゃ!? 妾に何をさせようと言うのじゃ!?)


 微笑むエルザにそっと頬を撫でられ、アンが心の中で叫び声をあげる。一二歳になると正式に教えられる、王族ならば必須の知識……それをちょっとだけ先取りして自主勉強したことのあるアンの脳内に怪しげな妄想が広がり、動かない顔が赤く染まり始めると、それを見たエルザが楽しげに唇の端を吊り上げ……


「さあ、まずは軽く……腕立て、腹筋、スクワットの王道三点セットよ!」


(……なぬ? ふぉぉぉぉ!?)


 混乱するアンの意思を放置して、体は勝手に動き始める。その瞬間から、一〇歳の少女であるアンの無慈悲な筋トレ生活が始まった。





「さあ、今日も元気に筋肉を鍛えましょうね。まずは軽く準備運動からよ」


 朝。やってきた聖女(エルザ)の言葉に従い、アンの体は勝手に運動を始める。そこにアンの意思は介在せず、故に疲れてヘロヘロになったとしても、指定された回数をこなすまでアンの動きは止まらない。


「……………………」


(ひぃー! ひぃー! だ、駄目じゃ! もう……)


 だが、別に疲れないわけではない。それに自分で動かせないというだけで、疲労や苦痛は普通に感じる。つまり今のアンは、どれだけ疲れて弱音を吐いても絶対に休まず運動ノルマをこなすという、完璧な筋トレマシーンと化していた。


「ほらほら、まだ始まったばかりよ! 今度は腕立て、腹筋、スクワットをそれぞれ一〇回ずつ――」


(お、おぉ! そのくらいならまだ……)


「――を三〇セットよ!」


(ぬはぁ!?)


 セットという悪魔の囁きに、アンの心がボッキリと折れる。ただでさえ辛くて苦しい運動を何十回も繰り返すなど、アンには正気の沙汰とは思えない。


(何故じゃ!? 何故やっと終わったと思ったところで、さてもう一回などと言うのじゃ!? これは拷問か!? 拷問なのか!?)


「はい、はい、はい! 頑張ってー!」


(嫌じゃあ! もう頑張りたくないのじゃあ!)


 笑顔で手を叩くエルザを睨み付けてやりたいところだが、アンにはその自由がない。アンの一日の大半は、この地獄のような鍛錬に費やされる。


 とは言え、流石に筋トレしかしていないわけではない。たとえば食事。味覚はきちんと生きているので、本来ならば辛いトレーニング生活のなかで癒やしとなる時間のはずなのだが……


「ほら、食え」


「……………………」


(うぅ、また今日も煮豆を絞った汁に鳥のささみ肉、それにブロッコリーなのじゃ。偶には違う物も食べたいのじゃ……)


 見張りと連絡員を兼ねた小屋の男の手により出される食事は、筋肉の育成を最優先したものばかりだった。それはつまり、食の楽しみなど一切考慮されていないということである。常人ならば耐えられないその食生活も、精神の拒否が伝わらないアンの体は黙々と食べてしまう。


 また、こうした食事終わりや運動の合間などには、ちゃんと休息の時間も存在する。普通ならばそこで自分の好きなことに時間を費やし、心の疲れを癒やすのだろうが……残念ながらアンにそれは許されない。


「……………………」


(……………………)


 壁にもたれて動かなくなる体のなかで、アンの思考もボーッと過ごす。最初のうちこそここで色々と考えていたのだが、二日目の午後辺りからはもう思考に回す余力がなく、ただボーッとするだけである。


 するとそんなアンの前で、壁からじわりと湧き出るように出現したミミが頭を垂れて報告する。


「姫様、お疲れ様です」


「……………………」


「……今日もまた、動くに足るような証拠は見つかりませんでした。なので当初の姫様のご命令通り、騎士団は動きません。引き続き調査を進めます」


「……………………」


「その……が、頑張ってください。では」


 最後に少しだけ微妙な笑みを浮かべてそう言うと、ミミが壁に消えていく。その行動にアンは心の底からため息を吐きたいのに、体は動かない。


 実のところ、現状ではエルザを捕らえるのは難しい。というのもアンは自主的に歩いてここに来ており、かつ部屋の鍵は外からの侵入を拒むもの……つまり内側からなら普通に開けられるので、これだと誘拐も監禁も王国法では成り立たない。部屋から出ようとしたところを見張りの男に阻止でもされればまた違うが、アンは自分の意思で動けないのでそれも無理だ。


 しかも、アンがしている……させられているのは、単なる筋トレだ。ミミの見立てではアンの運動はオーバーワークにならずに最高効率を出せるギリギリであり、しかもアンが自分自身でやっているため、これもまた虐待などには当たらない。


 要するに、今のアンは勝手に小屋にやってきて限界まで筋トレを繰り返し、小屋の住人が善意で出してくれている食事を食べて寝て過ごしている家出少女のような立ち位置なのだ。これではエルザどころか小屋にいる男達すら捕まえるのは難しい。


 なので確実に聖女一味(ゆうかいはん)を捕らえるには、体を操って何らかの悪事を働いているという証拠が必要になる。だがエルザの不在を狙って筋肉神殿を調べたり、あるいは人の入れ替わりの隙を突いてミミが小屋の内部を調べたりしているのだが、それらしいものは何も見つからない。


 更に言うなら、最も決定的な「アンの体を聖女(エルザ)が操っている」という事実を証明するのも難しい。聖女の使う<神の奇蹟>は文字通り神の力なので、それが問題無く発動している時点で、エルザのやることを神が許容しているということになり、そうなると<断罪の奇蹟>のようなものを使ったとしても、罪として現れない可能性が高いのだ。


 故に選べない。下手に突いて「神の免罪符」など出されてしまえば、今度は大手を振って子供を連れて行かれてしまう。そんな結末を許容できないからこそミミは必死に証拠を探しているのだが、少なくとも今日までは後ろ暗い要素は何も見つからなかった。


(こんなことなら…………)


 と、そこでボーッと座ったままのアンの内心に、疲れ切った呟きが漏れる。


(こんなことなら、もっと条件を緩くしておくべきだったのじゃ……)


 確かに味気ない食事も辛い筋トレも、拷問ではない。何なら以前よりちょっと健康になっているくらいなので、ミミの言う「身体に直接的な害が及んだ場合」には外套しない。


 だが心は違う。たとえ目には見えずとも、心というのはすり減るのだ。


(あと七日……まだ折り返しにすら来ておらん。つまりこの日々をあと二セット……っ!? い、嫌じゃ! セットはもう嫌じゃあ! スッキリ一度で終わらせて欲しいのじゃあ!)


 誰にも聞こえない心の慟哭が、アンの胸の内で虚しく響き渡った。

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