自分の判断で行動する方がよっぽど大事だと思う
今日の日の朝の出来事
「宿題ってあったっけ?」
(いや、課題だろ、assignmentでしょ、宿題っておい、ここは高校か?)
「いや、なかったよ、だって言われてないもん」
(おいおい、あったよ、聞いてた?聞いてたの?言われなくても、ユニットごとの進め方同じだよ)
「そうよね、私もやってない」
「うちはやったよ」
「えー何で~」
(……何も言えない)
ってな感じで、日本という国はここまで、集団の意思が尊重され、個人の意思など、どうでもいいって感じがする。
今さら、集団の意思で動いてたら、たいした成果など得られないのにだ。
どうして、そこまで皆、皆、友達百人思想が良いとされてるのか、昔ほどではないが、いまだに根強く残ってるような気がする。
私は思う、これからは個人の意思で動くことが重要しされ、
判断することが重要だと、僕はふと、思いました。
また、例え、一人ぼっちだとかで、悩んでた時がありましたが、やっぱり、集団から外れるのは寂しかったです。
また、一人というのは特異性があるため、周りから、冷徹な目で見られてるように感じ、集団の人達はいけてるように見えますが、でも、個人で動くのが気楽だなって、思いました。
集団だと、あれですね。
自分の意思よりも集団の言い換えれば、蟻と女王蟻のような関係で、私たちは一つの生命体にならなければいけません。
なので、この場合の私たちは、善悪の区別は、その中のトップが決めるのであり、自由の権利は、そのトップにあって、私たちには皆無であるため、
もし、トップが堅実家であれば、最高のパフォーマンスを発揮するのは明確だと思うのですが、
大半のトップは、性格が変わったかのように傲慢きわまりない判断を下し、人々を圧政のままに従えます。
また、下のものも付き従って、傲慢になり、これはまさしく、負の連鎖となり、害虫極まりない行為をしでかすのです。
私は個人が絶対だ!
と言う言い方はしませんが、
不安に駆られて集団に属すよりも、
私という自由が存在する、
個人の場を形成する方がよっぽど有意義で、
誰になにかを言われようとも、
自分を保っていられるのは、
私がエッセイや物書きをしているからなのかもしれません。
しかし、私もまたこのようなことを言いつつも集団の顔色を伺い、集団の言葉を気にしてしまうため、人のことを言えないかもしれませんが、自分というものは、持ってなければいけないなとは、思います。




