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短編の歴史

自分の判断で行動する方がよっぽど大事だと思う

作者: 猫乃つづり
掲載日:2019/06/02

今日の日の朝の出来事


「宿題ってあったっけ?」


(いや、課題だろ、assignmentでしょ、宿題っておい、ここは高校か?)


「いや、なかったよ、だって言われてないもん」


(おいおい、あったよ、聞いてた?聞いてたの?言われなくても、ユニットごとの進め方同じだよ)


「そうよね、私もやってない」


「うちはやったよ」


「えー何で~」


(……何も言えない)


ってな感じで、日本という国はここまで、集団の意思が尊重され、個人の意思など、どうでもいいって感じがする。


今さら、集団の意思で動いてたら、たいした成果など得られないのにだ。

どうして、そこまで皆、皆、友達百人思想が良いとされてるのか、昔ほどではないが、いまだに根強く残ってるような気がする。


私は思う、これからは個人の意思で動くことが重要しされ、

判断することが重要だと、僕はふと、思いました。


また、例え、一人ぼっちだとかで、悩んでた時がありましたが、やっぱり、集団から外れるのは寂しかったです。

また、一人というのは特異性があるため、周りから、冷徹な目で見られてるように感じ、集団の人達はいけてるように見えますが、でも、個人で動くのが気楽だなって、思いました。


集団だと、あれですね。

自分の意思よりも集団の言い換えれば、蟻と女王蟻のような関係で、私たちは一つの生命体にならなければいけません。

なので、この場合の私たちは、善悪の区別は、その中のトップが決めるのであり、自由の権利は、そのトップにあって、私たちには皆無であるため、

もし、トップが堅実家であれば、最高のパフォーマンスを発揮するのは明確だと思うのですが、

大半のトップは、性格が変わったかのように傲慢きわまりない判断を下し、人々を圧政のままに従えます。

また、下のものも付き従って、傲慢になり、これはまさしく、負の連鎖となり、害虫極まりない行為をしでかすのです。


私は個人が絶対だ!


と言う言い方はしませんが、


不安に駆られて集団に属すよりも、


私という自由が存在する、

個人の場を形成する方がよっぽど有意義で、

誰になにかを言われようとも、

自分を保っていられるのは、

私がエッセイや物書きをしているからなのかもしれません。


しかし、私もまたこのようなことを言いつつも集団の顔色を伺い、集団の言葉を気にしてしまうため、人のことを言えないかもしれませんが、自分というものは、持ってなければいけないなとは、思います。



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