第93話 「ラッキースケベ再び」
#VG93
村から少しばかり離れた広場に聖教会の面々は拠点を設置した。さすがに幾人もの人員が行方不明になっている地点に無策で乗り込むようなことはしないらしい。ここでカラブリアへの連絡手段や、物資の輸送網を確立した後にマリアたち一行と俺たちが村に乗り込む手筈になっている。
マリアによれば出発は今日から三日の内のどこかでしてしまいたいらしい。どれだけ入念に準備を重ねようが、最後は自分たちの度胸と技能が必要になってくるだろうから、彼女の主張する通りあまり時間を掛ける意味がないというのは賛成だ。
ただ今日ばかりは長距離移動の疲れも残されているのでゆっくりと英気を養うことにする。
俺たち三人には専用の天幕が与えられており、ちょっとした大きさの小屋くらいのスペースがあった。中は衝立で仕切ることもできて、イルミとレイチェルの女性組とこちらを切り分けることもできる。シャワーなどの水場は自分たちでどこからか水を汲んでくる必要はあるが、それでも入浴ができるのとできないのでは大違いだから有り難かった。
「アルテ、私たちの食事を取りに行ってきてくれないか。私とイルミはゴリアテと狼も使って近くの小川から水を汲んでくるよ。湯を沸かすのもイルミに手伝って貰えれば直ぐに終わるだろうし」
荷物を下ろして天幕を観察していたらそんなことをレイチェルから頼まれた。異論は全くない。聖教会から支給される食事くらいなら、3人前でも俺一人で運べるだろうし、馬力のあるゴリアテや狼たちを水汲みに向かわせるのは理に叶っていた。
「わかった」
たぶん、これくらいのセンテンスならば呪いに邪魔をされることもないのだろう。言語の自由度を縛るという意味不明な呪いではあるが、もうそれなりに付き合い方はわかってきている気がする。
『主様、この先の化け物シスターが滞在している天幕の隣に食料の配給所が設けられています』
ありがとう、義手ちゃん。でもね、それ絶対人前では言わないで欲しいなー。だってほら、君が「化け物シスター」と言った瞬間に周りにいた聖教会の関係者たちから滅茶苦茶距離を取られてしまったよ。君があの人苦手なのはわかるんだけれども、そこはこう、オブラートに包もう?
「化け物ではない。あれは彼女の個性だ」
はい。このセンテンスでは正しく言葉を紡ぐことができませんでした! 正しくは「化け物なんて失礼だよ。あれは彼女の固有の能力だから仕方がないのさ」だ。省略されすぎだろ。呪いさんよー。
「ふん、そんな陳腐な言葉で片づけないで欲しいものですね。普通はもっと畏怖するべきものでしょう。―― 無限の不死性なんて。ノスフェラトゥのマザー。みんなそう呼んで畏れています」
はい、しゅーりょー。しゅーりょーです!
苦手な上司の陰口を叩いていたら、ばっちりと本人に聞かれた形でございます。
いや、陰口を言ったのは義手ちゃんで、俺はそれに上手いこと答えられなかっただけなんだけれども。
「……だがお前は人間だろう。ただ不死であるだけの、矮小な人間だ。何故、畏怖される? 神にでもなったつもりか」
オゥ……。「それでもあなたは立派な人間ですよ」と伝えたつもりが、とんでもなくけんか腰になってしまった。
事実、マリアは不愉快げに眉を顰めて、こちらに厳しい視線を向けてきている。
「——神なんてなるもんじゃないですよ。あんな醜くて見るに堪えないものに、私は絶対になりたくない」
堅い口調だった。それはまるで、そうなった誰かを知っているかのような実感が込められている。マリアがこれまでどのような人生を歩んできたのか俺は全く知らない。喧嘩仲間のヘルドマンならば何かしら知ってはいるのだろうが、彼女からマリアについてあれこれ聞き出すのも無粋な話だ。
敵か味方かよくわからない人間ではあるが、無意味に仲が拗れるような行動は慎むべきだろう。
「人より死ににくいくらいでそう威張るな。俺が興味を持つのはお前が殺されることではなく、お前が人をどれだけ殺せるか、ということだけだ」
もう本当にこの体いや! ちょっと格好つけて無粋とか慎むべきとか独白パートに入っていたのに、全部台無し!
どうしてこう、いちいち上から目線なの!
「ふーん、そういうことをいっちゃうんだ。なるほど。あいにく今は無手だけれども試してみる?」
たぶん、瞬間で怒りをかったのだろう。呪いによって強化されてた視力をもって、ようやく視認できるかできないかという速度の拳がこちらに向かってきていた。マリアの子どものような小さな拳ではあるが、それが悪い意味で見た目だけのものであることくらい、とっくのむかしにわからされている。
ぱんっ、と乾いた音が周囲に響き渡る。義手のサポートを受けながら、何とか拳を反らした音だ。音速に近い速度で向かってきたそれをまともに受けてしまっては、下手をうてば触れた部分が粉々になりかねない。
「まだまだ!」
もちろん拳の飛来が一回きりである訳がなかった。右が駄目なら左で、それが駄目なら右足、左足とあらゆる部位を使ってマリアはこちらをバラバラにしようとしてくる。
というか、前に戦ったときから感じていたことだが、見た目子供のマリアは身長差がありすぎて非常に戦いにくい相手だ。一度懐に飛び込まれたら、こちらの殆どの攻撃が無力化されてしまう。ぶっちゃけた話、相性が最悪なのである。
「ほらほらほら! あれだけ大口を叩いたんだからもっと骨を見せなさいよ!」
らめぇ! たぶんそれ物理的に骨が見えちゃっているから! というか滅茶苦茶口調が崩れていません!? マリアさん! もしかしてこちらが素なんですか!
いなしていくだけでは殺されると直感し、俺も拳を握りしめる。色々と問題行動の多い義手ちゃんではなく、残された生身の左腕だ。
その様子を見定めたマリアは嬉々として獰猛に笑い、重心を落として溜めを作り出す。交差するのは恐らく一瞬。瞬きする間もない刹那の時だ。
事実、ほぼ勘で繰り出したこちらの拳とマリアの拳、それぞれがすれ違った瞬間は全く知覚することができなかった。
「——なるほど。手足の長さの差が出たわけですか。これはこれで勉強になりました。ですが手ぬるいですね。どうして寸止めを?」
マリアの拳、そして俺の拳はそれぞれ互いの肉体に触れる直前で停止していた。ただマリアは完全に肘を伸ばしきった結果であり、俺は少しばかりの余力を残しながらぎりぎりで拳を止めていた形だ。
理由は至極単純。いや、ここで真剣に女の子を殴りつけたら最低最悪の屑野郎になっちゃうじゃん。
マリアはそっと拳を引っ込めてさらに問いかけてくる。
「どれだけ殴りつけても私が死なないことくらい、あなたは身をもって知っているでしょうに」
いや、それとこれとは話は別だろうに。いくらマリアが不死とは言え、無遠慮に身体破壊を繰り返すのは良くないと思う。
だからこそ俺はそのままの心境を言葉にした。けれどもまあ、呪いボディだからお察しではあるのだけれども。
「——死ななくて良いのならば死ぬ必要はない。ただの戯れに熱くなるな」
もう最悪。黙っていた方が絶対に良い。
居たたまれなくなった俺はマリアの返答を聞く前にその場を後にした。そもそもわたくし、イルミちゃんたちのご飯を取りに来ただけだし。
マリアはその場を動かない。
これ幸いにと、そそくさと距離を置いて逃げ出していく。本当に情けない限りだけれども、沈黙が金とはよくいったものだ。
01/
死ななくて良いのならば死ぬ必要はない。ただの戯れに熱くなるな。
狂人の言葉が何度も頭の中で反芻される。
一度は本気で殺し合ったというのに、彼はマリアと敵対する意思を全くと言っていいほど持ち合わせていなかった。むしろそんな過去が無かったかのように自然体に振る舞い、こちらを諫める余裕すら持ち合わせている。
——調子が狂わされた。
マリアは渋顔を提げて足元の石を思い切り蹴飛ばす。ただ本気ではない。本気を出そうものなら石が砕け散るか、音速以上の速度で飛翔していき人殺しの弾丸になってしまう。ただ今望んでいるものはそれではなかった。子供らしい、餓鬼臭い、くだらない気晴らしだけだ。
「どうりであの性悪吸血鬼がのめり込むわけですね。ただ強く狂っているだけではないということか」
どこか遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた。おそらく従者のどちらかが姿の見えない自分を心配しているのだろう。まさか狂人と殺し合っていたとは夢にも思うまい。というより、その事実が知られてしまうと面倒なことにしかならない気がした。
だからこそマリアは乱れた髪とシワの寄った服装を手早く整えて、なんでもない調子で言葉を返す。
「ちょっと風に当たっていただけですよ。いくら不死でも長旅はそれなりに堪えるのです」
合流してきた従者——ユズハはほっ、と安堵の息をついた。彼は絞った声音でマリアに話しかける。
「かの狂人とお一人の時に出会しでもしたら要らぬ揉め事を起こすだけですよ。お気をつけください。煩わしいかとは思いますが、必ず私どもの何れかを供にしていただかなくては困ります」
ユズハの忠言にマリアは言葉を返さなかった。もう起きた後ですよとは、かの性悪吸血鬼じゃあるまいし、いちいち告げる必要はないと判断した。
「……おや? 何か佳いことでもありましたか?」
充てがわれた宿営に戻る途中、ユズハがそんなことを口にした。
どういうことだ、と視線だけで問いかけてみれば彼は「いえ、」と遠慮がちに言葉を返してきた。
「あなたがそんなふうに笑われるのを、久方ぶりに見た気がしましたので」
ふと、マリアは自分の顔をぺたぺたと触った。
なるほど、少しばかり確かに口角は上がっていたのかもしれない。
「別に大したことはありませんよ。……ただ、まあ、そうですね。風が多分気持ち良かったのでしょう」
最後に彼女は狂人が消えていった野営地にちらりと視線を向けていた。
02/
三人分の食事を持って自分たちに割り当てられた天幕に戻った。途中、命がけの道草を食ってしまったが、取り敢えずこれでお使いのミッションはコンプリートしたことになる。
ただ剣を振るうだけしか能のない自分はこれでさよならだ。
で、肝心の天幕なのだけれども。
「……まだ帰ってきていないのか?」
魔導具の明かりは点いたままだったが、二人の姿形が見えない。もしかしたら水を汲めるという場所はそれなりに遠い場所にあるのかもしれない。
なら二人が帰ってくるまでシャワーやその他水回りの点検でもしようか。使い方をあらかじめ調べておけば、水の補給もスムーズにできるだろうし。
「水回り関係はここか」
場所はすぐにわかった。
衝立で仕切られた向こう側にカーテンでさらに囲まれたスペースがある。見た感じ、水を貯めておくようなものは見当たらないので、もしかしたらシャワーを浴びるそのものの部屋にそれはあるのかもしれない。
ならそれくらいは確認しておくか、とカーテンに手をかけた。
これで万が一カーテンの向こう側に人がいたら洒落にならないが、気配は全くしないのでその心配はない。
こういうとき、魔の力や呪いで強化された五感は本当に頼りになるのだ。
やはりというべきか聖教会が用意した美品だけあって、カーテンの滑りがとてもいい。
ちょっと引いたら一発で全開になった。
しかも簡易的と聞いていたシャワー室もそれなりに形の整ったもので、金属製の水出し口に何かの生き物の皮で作られた柔らかいホースが壁から伸びていた。壁もどういう素材が使われているのかはわからないが、白い石のようなもので覆われている。水を貯める機構はここにも設置されておらず、もしかしたらスペースの有効活用のために天幕の外に置いてあるのかもしれない。騎竜車で持ち運んできたというが、これだけの設備を折り畳んで輸送する技術には素直に感心する。こう、ごくたまにファンタジーを突き抜けたオーパーツ的な存在があるとテンションが上がるというものだ。自分の常識で測れないものがまだまだ世界に存在するというだけで生きている意味というものがあるのかもしれない。
はい、現実逃避はここでお終いです。
正直シャワーの機構とかもはやどうでもいいです。もしかしたらマリアと不可抗力とはいえ殺し合ったことにテンパっていたのかもね。
けれどもやっちまったものはやっちまっているので、素直にごめんなさいしときます。
ねえ、だから、
本当に申し訳ないと思っているんで許してくれないかな。
まさか人が入っているなんて思っていなかったもん。
だってさ、気配ゼロだったんだもん。物音一つしなかったんだもん。君、痕跡ひとつ残していなかったじゃん。脱いだ服なんてどこにもなかったじゃん。あ、今気がついた。シャワーの上に棚があってそこに入れて置けるのね。なるほどそりゃあ気がつかない訳だわ。
「あ、あるて?」
赤い瞳がばっちりこちらを見ている。たぶん俺の黒い死んだ魚のような目も彼女をばっちり見てしまっている。それなりに長いこと一緒に旅をしてきたけれども、こうしてありのままを見たのは初めてだと思う。
「——すまない。入っているとは思わなかった」
こんな時だけ呪いボディは思い通りに動く。たぶんこれ、命の危険とかを感じなければダメな感じなのかな。
というかイルミさん、かなりエグい刺青を全身に入れていたのね。全く気がつきませんでした。まあこの子にもいろいろと事情はあったんだろうけどさ。
「ううん、こちらこそごめんなさい。レイチェルにシャワーが使えるか確かめてくれ、って頼まれて。彼女は外でボイラーの調整をしてくれているわ。黙って先に入って悪かったわ。だから気を悪くしないで」
天使かよ。伏し目がちにこちらを気遣ってくれるイルミちゃん大天使かよ。もうミカエルとかその辺の位だよ。知らんけど。
死ぬほど気不味い雰囲気の中、俺は踵を返す。いくらなんでもこれ以上ここに居座るのはあり得ないと判断したからだ。
土下座ならあとで死ぬほどできるし。
許してくれるかはわからないけれども。
「——待って」
不意に袖を引かれた。まさか、と思って恐る恐る振り返ったらイルミの細い指が遠慮がちに掴んでいた。それ以上視線を動かしてしまえば再びばっちりと裸体が飛び込んできそうだったので、微妙な顔の角度を動かすことができないまま数秒の沈黙が互いの間を流れる。
「この刺青ね、私が自分の意志で刻んだの。隷属の刺青。効力そのものは存在しない飾りみたいなものだけれども、ケジメとして刻んだ」
イルミの赤い眼はもうこちらを見ていない。彼女の瞳はどこか遠い過去を見ているかのような錯覚を覚えさせる。
「ねえ、アルテ。わたしこれからもずっとあなたについていくと思うわ。何があっても、どんなことがあっても、どうなろうとも。そしていつかこの飾りだけの刺青を本物にしてみせる。本当の隷属の証として機能するように、最後のピースをあなたに刻んで貰うの」
彼女はそう言ってそっと胸の中央を撫でた。視線を反らしているのでハッキリとは視認できていないが、おそらくその部分だけがまだ空白になっていて何かしらの文様を刻むようになっているのだろう。そしてこの不思議な世界のことだ、刺青が完成したその時に不条理で不可思議な呪いやまじないのようなものが顕現するに違いない。
イルミが告げる言葉が正しければ「隷属」ということか。
そういえば今更になって、昔クリスからイルミと俺は仮初めの主従契約であることを伝えられていた気もする。あまりにこのちみっこが怖すぎてすっかり失念していたけれど。
でもそれは遙か昔のことであって、あれからこの子とはいろんな経験を積んできた。楽しいことばかりじゃなかったけれど、いや、むしろ苦しいことが大半だったかもしれないけれど、それでも俺たちの関係性が成長して行くには十分すぎる質と量だ。
だからそれはキッパリと否定した。「隷属」なんてチンケな言葉で終わらしたくなかったからこそ、俺は呪いを押し殺して口を開いた。
「馬鹿を言うな。お前は俺の奴隷なんかじゃない」
はっきりと息を呑む音が聞こえた。心なしか袖を摘まんでいた指が震えたように思う。
俺はさらに言葉を重ねる。
「ただの奴隷なんかに俺は命を懸けない。お前は、俺の——」
大切な仲間だよ。
たぶんこの調子なら最後まで思いを口に出来ていたかもしれない。けれどもそれは適わなかった。肝心なところで言葉が途切れてしまった。理由は至極単純でとても情けないもの。
それは外から響いてきたよく通る女の声に上書きされたから。
「イルミ! ボイラーが動いたからこれでお湯がでるはずだ! もし上手くいっていたのなら狼か何かで伝令してくれ! 君が大声を出すよりも都合がいいだろう!」
弾かれたようにイルミの指が袖から離れ、そして彼女は自分の体をそっと抱き寄せた。そして狼を一頭だけ召喚し、レイチェルのもとに遣わそうとする。途中、真っ裸の主人とそれを見て突っ立っている俺を横目で見ながら、狼は心なしか詰まらなさそうに天幕から出て行った。まさか「ヘタレ」とか思っていないよなあのワンちゃん。
「……おれも少しレイチェルの方を見てくる。追加の水がいるのならば用意しなければ」
珍しく言い訳がすらすらと出た。先に行った狼の後をそそくさと追っていけば、背後からカーテンを閉める音だけが聞こえた。その後、イルミが何かを呟いたようだが残念無念、内容までは聞き取れなかった。
いやマジであとから死ぬほど謝らないと示しがつかないぞこれ。
この世界に来ての初の本格的なラッキースケベ。
普通に気まずいし犯罪だからもう二度とするまいと固く誓った明け方だった。
03/
馬鹿を言うな。お前は俺の奴隷なんかじゃない。
じゃあ何なの? と聞けるほどイルミはまだ口が回らない。ただ一糸まとわずアルテと同じ空間にいるだけで全てが融けてしまいそうで、頭がおかしくなりそうだった。けれどもアルテの否定の言葉に一瞬だけ思考が戻ってくる。
そしてすぐに焼き切れそうなほど興奮した。まさかそれ以上に、それ以外の関係性をアルテから望んでくれているということなのだろうか。
イルミはもう、アルテが自分を邪険にしているとは考えていない。
一定以上の信頼を置いてくれており、それなりに思ってくれていることは厭でもわかる。
事実、灼熱の巨人の前で彼女を救ってくれたのは愛しい彼だけだった。
ただアルテがどのように自分のことを思ってくれているのかまだわからない。
人と随分違う思考をしている狂人のことだから、そもそも人を愛したり恋人にするということはないのかもしれない。
それでも少しばかりは期待してしまう。
彼の特別になりたいと思っている自分は確かにここにいる。恋人じゃなくてもいい、ただの便利な小娘でも奴隷でも良い。そういつかは誓っていたのに、いつまにか想いは順調に昇華されて、アルテから愛されたいと思うようになりつつあった。
適わない夢だと知っていても期待せずにはいられない自分がいた。
だからアルテがレイチェルの声に言葉を飲み込んでしまったとき、はっきりとした落胆を覚えた。
まさかそんな感情を自分が抱いたとは中々認められなくて、アルテがまだ近くにいるというのに勢いよくカーテンを閉めていた。
そして今更溢れてきた気恥ずかしさと昂揚感に飲まれそうになりながら、無意識のまま言葉だけがこぼれ落ちていく。
それはイルミ自身も口にしたことに気がつかない不可逆の言葉。
「いくじなし」
刺青のない、白い胸の奥では、小さくとも間違いなく全てを焼き尽くしそうな愛の焔が確実に灯っていた。




