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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第43話 「ラッキースケベ」

ただし、主人公が美少女のそれに出くわすとは言っていない。

 絶対強者と相対したとき、人はどうするのか。

 その答えは目の前の光景が教えてくれる。

 白の愚者に啖呵を切ったイルミはさすがというか、直ぐさま体勢を整えて緑の霧を睨み付けていた。

 だがエリムとイシュタル、そしてその他の面々は皆、膝をついたまま微動だにしない。

 周囲を満たす愚者の圧力に屈する形だ。


 え? 俺。


 俺は一人だけビビって飛び退いたのが恥ずかしくて、手持ち無沙汰のままその場に立ち尽くしている。

 緑の愚者に向かって剣を構えようにも、いまいち格好がつかなくてどうしようかと迷ってしまう。

 そんな逡巡を見破られたのか、緑の愚者の声がこちらに向けられた。


「ああ、あなたが最近有名な狂人さん? 青と白を殺し、黒を使いっ走りにするその狂気と胆力。成る程、近くで見ればとても美味しそう」


 ぞわわ、と背筋に悪寒が走る。

 マリアといい、緑の愚者といい、最近は前よりもさらにおっかない女性に目を付けられている気がする。

 いや、緑の愚者は性別すら判断できない現状だけれども。

 まあ、口調からして女っぽいが。


「あなたの戦いぶり、遠目ながら拝見させて頂きました。中々どうして、そこのエリムにも匹敵するような武の持ち主のようで――。

 さらには吸血鬼に対して並々ならぬ憎悪を抱いているそう。青、白とくれば今度は私の首かしら?」


 からかうように愚者は言葉を告げた。

 

 いいえ。違いますねん。ここ、レストリアブールは指名手配が解除されるまで高飛びしようとした立ち寄り地やねん。

 本命は別やねん。資金稼ぎしてサルエレム目指そうとしてんねん。


 もちろん、こんな長文を口にすることが出来るはずもなく、およそこんなことを口走るしかなかった。


「いや、本命はお前ではない。こんなところで油を売っている暇はない。目指すはサルエレムだ」


 おっ、思ったよりも原文に近い台詞を口にすることが出来た。

 イルミとのコミュニケーションといい、この難儀な身体も少しは俺の意を汲み取ってくれるようになったのか。


「……まさか私を差し置いて禁足地を目指すとは。あなた、中々どうして食えない性格をしているのね」


 ああ! 駄目だ! やっぱりこちらの口調が偉そうだった! 一瞬、いけるかもと思ったけれども、相手を怒らせただけっぽい!

 しかもこんなときに限って口の回るレイチェルが意識を失っているのだからタイミングが悪いことこの上ないぞ!


 さて、どのような言い訳を考えるか――、と回転の遅い頭に思考を巡らせたとき、思わぬ助け船が振ってきた。

 しかも、何を隠そう緑の愚者から。


「あなた方が禁足地を目指すことについてはこちらは正直なところ関知しません。けれども、ここまでの騒ぎ、刃物沙汰はここレストリアブールを統括する身としては看過できません。

 よって狂人とその一味よ。あなた方には少しばかりの労役で罪を償って貰います。

 もしもこの条件を承諾するなら、警備隊とのいざこざも不問にしますし、スリの少女の処遇についての決定権も委譲しましょう。

 盗みに関しては、レストリアブールの法律は被害者が訴えを起こしてある程度罪状を決めることになっていますから。

 ……さてどうします? そう、そちらに不利な提案だとは思いませんが」


 おおっ! どうやら俺の殺人に対する冤罪や、イルミ達が警備隊と揉めていたことについて見逃してくれるらしい。

 労役というのが気になるが、吸血鬼の呪いを受けた肉体ならばそう辛いものではないだろう。

 何よりここまで連戦に次ぐ連戦。

 しかもマリアクラスの強者を相手にしてきたのだ。このコンディションで緑の愚者から逃げ果せるとはとても考えられない。

 ならば俺たちの取ることの出来る行動は最初から決まっていたようなものだった。



        /

 


 熱々のシャワーを浴びて、身体の疲れを癒やす。

 そんな当たり前のことを最後にしたのはどれくらい昔のことだっただろうか。

 支給された綿のタオルで身体を拭きながら、脱衣場に備え付けられた鏡を見た。

 三十年前がどんな身体をしていたのか余り覚えていないけれども、少なくともここまで筋肉質ではなかった。

 もっとなよなよとした、貧相な身体をしていたと思う。それがいつの間にかうっすらと筋の浮いた細マッチョになっていて、吸血鬼の呪いで治りきらなかった古傷がちらほら。

 表情は相変わらずの無表情で何を考えているのか分からない。

 右腕には義手が嵌まっていて、こちらの意図通りに動かすことが出来る。

 すっかりと変わってしまった身体だが、中身はそう変化していないと信じたい。

 そう、新しい冒険があればワクワクするあのガキ臭い好奇心だ。

 緑の愚者から提示された労役というのは至極単純なものだった。

 レストリアブールに蔓延っている連続殺人鬼を追って疲弊している警備隊に加わって治安維持をしろ。

 もしも可能ならば連続殺人鬼を捕まえるか始末しろ。

 それが俺たち一行に科せられた罰だった。

 エリムやイシュタルといった緑髪の二人は難色を示したが、さすがに緑の愚者の決定には逆らえなかったらしい。

 どこかヘルドマンとクリスの関係に似ているのがちょっとだけおもしろかった。

 

 話を戻そう。

 

 そんなこんなで、合法的にレストリアブールで活動する名目を得たのである。本音を言ってしまえばとっととサルエレムに向かいたかったのだが、レイチェルがそれに反対した。

 いわく、「自分が住んでいたときとは随分と情勢が様変わりしている。もっとここで情報収集をしなければ危険だ」とのこと。

 それでこれまでの乱痴気騒ぎを見逃してくれるのだから、緑の愚者の提案を蹴るという方針は早々に破棄した。

 さらには警備隊の宿舎を間借りさせてくれるというのだから、これほど有り難い話もない。

 資金不足でこれからの宿をどうしよう、と頭を悩ませていたのが過去の話になりつつある。ここに済んでいる限りは生活費の保障はあるみたいだし。

 内心に渦巻く好奇心をなんとか押さえつけつつ、ズボンだけ履いて脱衣所を後にする。

 俺たち三人はそれぞれ個室を宛がわれていて、風呂やシャワーも完備されていた。ここレストリアブールは警備隊の士気向上にも随分と意欲的なようだ。

 と、そこまで暢気にひとっ風呂浴びたところまでは良かった。

 脱衣所から出て、寝床と簡易な衣装ケースがある居室に戻ってきたとき、俺は思わぬ人物に出くわしたのだ。

 それはいくつかの洗濯物を抱えたイルミだった。


 あー、そういえば砂に汚れた外套の洗濯を頼んでたっけ。

 すまないね、使いっ走りみたいなことをさせて。


 と、労いの言葉でも掛けようとしたとき、イルミの赤い瞳がいつもよりも赤く輝いていることに気が付いた。 

 そして視線が痛いほどこちらを射貫いている。

 数秒もすれば、真っ白な肌を真っ赤にして震えだした。


 おーけー。おーけ-。少し落ち着こうぜ、イルミちゃん。

 下はちゃんと履いているし、別に君を襲おうと思って半裸な訳じゃないんだ。ていうか、襲ったら狼に食いちぎられそう。ナニを、とは言わないけれど。

 だから思わず取り落とした洗濯物はもういいから、せめて視線だけ外して。

 すぐに何か着てくるから。


 イルミの緊張が極限まで達したのか、呼吸困難の患者のようにぱくぱくと口を開いた。

 そしてふるふると両手で顔の下半分を覆った。

 おいおい、もしかして加齢臭がキツい? まあ、もう五十台をとっくに通り越したおっさんだけれども。


 そこからの彼女の行動は早かった。

 直ぐさま踵を返して、脱兎の如く部屋から飛び出していった。

 止める暇なんて正直ない。俺に出来ることはレイチェルの部屋に飛び込んで「痴漢された」と告げ口されないように祈ることだけだ。


 いや、ほんと頼むぜイルミちゃん。



 ……ただ、美少女に半裸を見せつけるのは、そう悪いものではないな、と思った。



        /



 部屋に飛び込んで来たイルミを見て、レイチェルは洗濯物を整理しながら「アルテは起きていたか」と聞いた。

 何を隠そう、三人の衣服を管理しているのはレイチェルで、彼女が警備隊に頼み込んで洗濯場を借りていたのだ。

 だが、いつまでも返事をしないイルミを訝しんで、レイチェルは洗濯物から視線を外した。

 そして荒い息をつきながら、洗ったばかりのシャツを真っ赤に染めるイルミを見た。


「おいっ、どうした」


 思わず駆け寄り、怪我の具合を確かめる。

 喧嘩っ早いイルミのことだ。警備隊の荒くれでも早速もめ事でも起こしたか、と肝を冷やしたが、どうやらどこかを怪我している風でもなく、ぽたぽたと鼻血を垂れ流しているだけだった。

 レストリアブールの温暖な気候にのぼせたのか。

 そう判断したレイチェルは特に追求することもなく、新しいシャツをイルミに手渡し、鼻に綿を詰めてやった。

 そして何事もなかったかのように自分の作業へ戻っていく。 

 だが、鼻に綿を詰めたままイルミが呆然と立ち尽くしていることには気が付かなかった。



        /



 イルミはぐるぐるとした思考の中、先ほどの光景を思い出していた。

 

 風呂上がりのアルテが自室にいた。


 言ってしまえばそれだけのことだった。

 だがそれだけのことが彼女にとっては衝撃だった。

 余り大ぴらに言えないが、アルテの半裸を見たのは一度や二度ではない。

 もっと誰にも言えないが、全裸を見たことだって一度はある。

 そのことを考えると胸がもやもやして苛々した気持ちになるので、いつもは忘れたフリをしている。

 だが今日のそれはそんな努力を全て無に帰すような衝撃だった。

 

 アルテの半裸はいつも通りだった。

 

 いつも通り、吸血鬼を殺すために鍛え上げられた鋼のような肉体と、硬質な義手がそこにあるだけだった。

 戦歴を裏付ける古傷もそのままだ。


 ただイルミの受け取り方がいつも通りではなかった。

 最初、思考が茹で上がった。

 どうすればいいのだろう。謝るべきか、それとも何食わぬ顔で着替えを渡すべきか迷った。

 だがそれ以上に、内心に鎌首を擡げた仄暗い欲望に恐怖した。


 それは経験のある欲望だった。前回はホワイト・レイランサー戦でアルテの血を見たときだ。

 血を流し、荒い息をつく彼を見て、舐めてみたいと思った。

 実際舐めた。


 今回も似たようなものだ。彼の芸術品のような肉体を見て、それに触れてみたいと思った。

 けれどもそれ以上に――。


 美味しそう。


 そう口走らなかったのは奇跡のようなものだ。

 最初に溢れ出たのは涎。そして極度の興奮から来た鼻血。

 月の民ならみんな持っている犬歯が疼き、アルテの皮膚を食い破りたいと思った。

 溢れ出る鮮血を啜り、剥き出しの肉をはみ、骨をしゃぶりつくしたいと思った。

 彼の内臓の温もりに身を埋めればそれこそ幸福の頂点を極めただろう。

 

 前回よりも遙かに悪化した欲望が暴走しそうになった。

 絶対に勝てないとわかっていても、襲ってしまいたいと思った。

 ぎりぎりに踏みとどまったのは、こちらを見るアルテの視線だ。

 何ら疑いのない、旅の仲間としてイルミを認めてくれているその視線。

 随分と表情に乏しい彼だけれども、少なくともこちらを邪険にするような色は感じられない。

 そんな瞳がイルミの最後の枷を守り切ったのだった。



        /


  

 知らぬ間に貞操の危機を乗り越えていたアルテは、イルミがレイチェルに告げ口したらどうしよう、と顔色を青くさせつつ警備隊の宿舎の中を歩いていた。

 あのあと、警備隊の一人がアルテを所定の場所に来るよう連絡を持ってきたのだ。

 その場所とは、月と星に彩られた夜空の下、幾人もの戦士達が組み手をしている練兵場だった。


「む?」


 アルテが練兵場に足を踏み入れた途端、剣戟の音が止む。そして皆が一様にこちらを見た。

 それぞれの表情は驚愕か、畏れか。

 彼ら暗殺教団は人の中に流れている気――魔の力の一種を読むことに長けているが、それを一切関知させないアルテがそこに現れたのだ。

 言わば正体不明の化け物が目の前に突っ立っているのである。

 実際、練兵場の面々の内、まともに応対をしたのはもっとも実力に長けたエリムだった。


「来たな、狂人。相変わらず暴風のような内面の気だ。涼しい顔をしてその憎悪。緑の愚者様が望まなければ直ぐにでも切り捨ててやりたいくらいだ」

 

 いつぞやの曲刀ではなく槍を持ったエリムが挑発をする。

 そしてそれが本来の武器だと言わんばかりに一降りした。風圧がアルテの前髪を揺らし、槍の切っ先が喉元を狙う。


「剣を抜け。狂人。貴様が我々と行動を共にするに足るかテストだ。貴様の実力は並々ならぬものがあるが、その内面が信頼に足るかを判断するにはまだ刃をかわしたりない」


 曲刀の扱いに長けた彼だったが、それが本来の戦闘スタイルという訳ではなかった。

 ただ街の中で振り回すには不便だから、という理由で愛槍は基本的に持ち歩いていない。

 言わば完全な実力を発揮できる環境で、狂人と刃をかわしていないのがエリムの心残りだったのだ。


 アルテに関しても同様のことが言える。

 吸血鬼との連戦でエリムを相手取ったとき、彼もまた僅かばかりに消耗していた。

 さらには吸血鬼ハンターとしての戦い方ではなく、純粋な剣士としての戦い方を強いられていたため、彼の本来の戦闘力が発揮されたとは言いがたい。


 言わば互いに枷を手に殺し合いをしたのだ。

 エリムも、またアルテですら、どこか物足りない感覚を抱いていた。


 だから部屋に連絡員がきて、「エリム様がお待ちだ」と告げたとき、アルテはイルミショックを少しばかり乗り越えて、いつもの馬鹿な中二の糞ガキに思考が戻っていた。

 そして喜び勇んで練兵場に足を踏み入れたのである。


 アルテが剣を抜き、エリムが槍を構えた。

 誰かが試合開始の合図をかって出て、審判が二人即興で決められる。

 暗殺教団最強の戦士と、緑の愚者がその実力を認めた狂人。

 例え正体不明の化け物であっても、戦士ならば誰もが羨むような高レベルの試合に、その場にいた人間はみな夢中になっていった。

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