第121話 「月はまた昇る。馬鹿を宿して」
ヘルドマンの心臓とマリアの心臓が入れ替えられている?
どういうことだ、とさらに問い返そうとした時、ふとクリスが自身の手の平を凝視していることに気がついた。そしてこちらに視線を向けるとただ一言、
「どうやら時間切れのようだ」
不意にクリスの姿形がブレる。それは投影されていた映像が揺らぐかの如く、映し出していたプロジェクターにエラーが発生したかのような。
「私は私の戦いに戻る。二人とも精々頑張るといい。やり方は違えど目的は同じだからな。どちらかがくたばっても、ヘルドマン様は生きながらえる」
言って、クリスの姿が完全に消失した。マジで自分の伝えたいことだけ伝えて消えてしまった。というかあれ実態が無かったんかい。
「どういう技術かはわかりませんが、かなり高度な術式ですね。自己の投影なんて聞いたことがない」
クリスが消えた途端、マリアの肉体の再生が一気に加速した。もしかしたらクリスの出現とマリアの再生能力の低下、そして俺の呪いの緩和は関連性があるのか。
「あなたの考えていることはほぼ正解でしょう。もしかしたら塔を介して、クリスはこの空間を乗っ取っていたのかもしれません。そうでなければ空間転移でもない自己投影は原理が説明つかない」
手足を取り戻したマリアが立ち上がる。彼女は血まみれの法衣の裾を切り裂いて、幾分か歩きやすい長さまで丈を詰め始めた。
「何か予備の武器は?」
黄金剣以外に持ち歩いている短剣をマリアに手渡す。マリアはそれを手の内で器用に弄んで、むき身のままそのまま携行し始めた。
「いつもの鉄塊に比べれば心許ないですが、仕方がありませんね。とにかく分断されている今の状態は大変よろしくない。早くあなたたちのお仲間へ合流をしますよ」
マリアのいうことはごもっともだ。だがどこに向かえば合流できる? 俺とマリアのどちらかがあちらに残れば互いの位置関係を把握できたのに。
「今、腹立つ事を考えましたね。確かに私が飛び込むべきではなかった。あなた一人でも死ぬことはなかったでしょうから。ですが、咄嗟に体が動いたんですよ」
いや、それに関しては本当に感謝しているよ。こんな薄気味悪い塔を一人で彷徨っていたら気が狂っていたかもしれない。一人と二人では精神的な安定度が全く違う。ここにきてマリアがいてくれているのは幸運としか言いようがない。
「あなたの呪いも復活したようですが、言葉がなくともなんとなく何を考えているのかわかりますね。もしかしたら互いに刻んだ術式の副作用かもしれません。さて、合流ですが、とにかく再び上を目指しましょう。塔という建物の構造上、最上部を目指していればいずれは合流できるようになっているはずです」
言って、マリアが歩みを進める。俺は周辺を警戒しながらそれに追従した。
「あなたにも父を問い詰めるのを手伝ってもらいますからね。私の心臓がどうしてこんな面倒なことになっているのか、一緒に考えて下さい。ねえ、お父さん」
何とも言葉を返しづらい台詞である。しかし心臓を入れ替える、か。
クリスの言っていたことが本当なのだとしたら、今マリアの中に入っている心臓はユーリッヒ、ユリのものということになる。実の娘の心臓が移植されているのだから、急に他人には思えなくなってきた。あんまりユリの心臓でバラバラにならないでほしい。
「————また失礼なことを考えていますね。もしかしてあなたの考えていることが何となく伝わってくるのは、ヘルドマンの心臓が移植されているからなのでしょうか。だとしたら思わずの副作用ですね」
それからしばらく。二人で無機質な塔を進み続けた。景色も何もないものだからどれだけ時間が経っているのかも分からない。ただマリアは俺なんかより遙かに優秀で、自身の心臓の鼓動を、その回数を数え続けていたらしい。なに、そんなことできんの?
「今一時間が経ちました。これでようやく上階へ続く階段ですか。塔の外観から考えればやはり空間がねじ曲がっているとしか考えられない。思ったより厄介ですよこれは」
見上げれば塔の壁面上に、蛇のように螺旋を描いて階段が刻まれている。もしかして今からこれを上っていくんか。
「イルミ達のことが気がかりなんでしょう? 気合い入れなさい。私も二人の部下の安否が気になります。急ぎますよ」
こうして俺たちの終わりなき塔の登頂が再開されたのである。
01/
「仮初めと分かっていても、青い空の下を歩くのは気持ちが悪いわね。こんな毒々しい空、眼に入れるだけで憂鬱だわ」
先頭を行くのはティアナとエリムだった。鬱蒼と生い茂る植物をティアナが凍らせ、エリムが槍を振るうことでそれらを蹴散らしていく。
「方位磁針もぐるぐる回るばかりで役に立ちませんね。とにかく大樹を目指すしか我々の道はなさそうです」
ノウレッジの言うとおり、一行の目的はとにかくそこを目指すことだった。アルテとマリアから引き離され、ティアナの外法で転移した先は深い深い森の中。ノウレッジ曰くこれでもまだ塔の中らしい。
「————そもそもこの塔はなんなんです? 黄色の愚者が頂上を目指しているのはわかりますが、塔そのものが規格外というかなんというか」
ノウレッジの直ぐ隣を歩くアズナが問いかける。ノウレッジは方位磁針から視線を外すと、そうですねえ、と何処か言葉を選ぶかのように口を開いた。
「神が世界を造るために使った練習台のようなものですかね。所々そとの世界を再現した区画が内在しています。ここも恐らくその1つでしょう。さしずめ樹海といったところでしょうか」
「燃やせるなら、ここから大樹の根元まで燃やし尽くしてはダメなの? 凍らせて伐採しながらだと、時間が掛かりすぎるわ」
一行の中段にいたイルミが苛立ちを隠すことなく口を開く。アルテと強制的に引き離された状況に、彼女は焦っているようだった。
「できなくはないでしょうが、延焼がこちらのコントロールを外れてしまうと私たちは全員丸焼けですね。ですがイルミさんの仰ることも分かります。何か、策を弄さなければ……」
ふと、エリムとティアナ、ノウレッジの足が止まった。
現役の愚者が二人、そしてそれに匹敵する実力者が呼吸すら止めている。
レイチェルの操るゴリアテに負ぶわれたヘルドマンが、掠れるような声を漏らした。
「————3時の方角から来ますよ」
瞬間、ティアナが展開した氷の壁に何かがぶつかった。
凄まじい振動が一行を襲い、戦える者達が臨戦態勢を整える。
ノウレッジは非戦闘員の魔導力学科の若者達を1カ所に集め、自身の障壁でいつでも守ることができるように身構えた。
「ティアナ! 上からもだ!」
エリムの声に反応して、氷の柱が続いて天に伸びる。またしても衝撃。だがまだ終わらない。レイチェルが素早くヘルドマンをゴリアテから受け取り、続いてゴリアテは背後から突っ込んできたそれを掴み取って受け止めた。
「次 ひだり!」
壁と柱を維持していたティアナがイルミに叫ぶ。イルミが素早く魔の力を練り上げて炎の渦を周囲に展開した。こちらに殺到していた何かはその高温にたじろいだのか、ようやく攻勢を緩めた。
「————ねえ、先生これって」
「ええ、まあ何かはいるだろうなと思っていましたがよりによってこれですか」
ノウレッジの冷や汗が土の地面に落ちる。
彼の視線の先では、数えるのも馬鹿らしくなるような黄金色の瞳たちがこちらを見ていた。
「これはヒドラ。多頭の巨大な毒蛇です。絶対に毒牙に触れないように。あまりの激痛に自死を選ぶことになりますよ」
鳴き声はなく、蛇独特のシューシューと息を吐く音だけが周囲に木霊する。全部で9つ。
それぞれ人の胴体よりも巨大な頭部を携えて、こちらを見下ろしていた。
「巨木を効率的に目指すよりも先に、まずはここを乗り切りましょうか」
ノウレッジの言葉と同時、9つの首それぞれが顎門を大きく開けて威嚇の姿勢を取っていた。牙の一つ一つが人の持つ剣よりも大きく、鋭い。
誰かが息を呑み、一歩下がる。
エリムとティアナは二歩進み、イルミは一歩進んで火炎の術式を編み始めていた。
「ノウレッジ先生、護衛は任されよ」
「ボクもそちらに専念した方が良さそうだ。イルミ、後ろは気にするな。存分にやれ」
ヴォルフガングとレイチェルが守りの姿勢に入る。残されたユズハとトンザは一瞬役割を迷うが、先の二人と共に魔導力学科の生徒達を護衛する場に回った。
「各々持ち場は決まりましたね。さあきますよ!」
塔の森の奥深く。巨大な爆発音と破砕音が交互に響き渡り始めた。
02/
「そちらの用事はもう終わったのか?」
「ああ、伝えるべき事は伝えた。お前から借りた術式も返すよ」
人類最強の戦士————アキュリスと再び合流したクリスが、手にしていたネクロノミコンを閉じた。
反則だな、とアキュリスは嘆息する。
「そこに書き込めばどんな術式でも使えるなんて、滅茶苦茶だなお前。なんで聖教会の使いっ走りをしていたんだ? 有能すぎて怖いぜお前」
「馬鹿言うな。これも魂を代償として払い続けなければ使えない権能だ。それにお前のように何度も何度も投影し直すこともできない。一回使い切りの術式だ。非効率極まりないこれを有能と言ってくれるな」
二人は大樹の根元にいた。遠くから響く爆発音の方角へ目を向ける。
「しかしとんでもない戦力だな向こうは。ヒドラなんて普通、戦うことすら考えられない塔由来の化け物だぜ。なんせ神が聞きかじった神話から再現した生物兵器だ」
「それを私たち二人で相手しなければならないんだ。アルテと次長を引き離したのは正解だったな」
「その二人だが、どうだ。始末は出来そうか?」
アキュリスの問いにクリスは逡巡する。
「あの二人を飛ばした階層からして、ここに合流するのは不可能だ。けれどもそんな予測を軽々と超えてくるのがかの狂人であることも忘れてはならない。ゆめゆめ油断するな、ということだ」
なるほど。とアキュリスが頷く。そして剣を構えてこう言葉を漏らした。
「————確かに油断大敵だな」
がんっ! と剣と何かがぶつかった。
ぶつかったそれが飛来した氷の礫であることにクリスが気が付いたのは、すぐ近くに転移してきていたティアナを見定めてからだ。
「うそだろ、もうヒドラを殺したのか」
クリスの絞り出すような疑問にティアナは「ふん」と返す。
「でかい蛇を殺すのは三度目なのよ」
続いてクリスの眼前を槍の切っ先が通過していく。驚異的な動体視力でなんとかそれをかわしてみせるが、所詮かわすしかできなかった。大きく体勢を崩したところに叩き込まれた蹴りはそのまま受けてしまう。
「なるほど。戦力をさらに分散したのか。ヒドラを殺し尽くす組と俺たちを排除する組。賢い選択だ。しかしよくここがわかったな」
「生憎、魔の力の揺らぎを視認できる魔眼持ちがいるのでな。大樹の根元にこれだけ大きな揺らぎがあれば、それはすなわちお前がいることの証左だ。アルテのいない今、早々に排除させて貰う」
クリスを文字通り蹴り飛ばし、アキュリスと一対一の状況をつくったエリムが嘯く。あのひ弱な学生達もなかなかの曲者だな、とアキュリスは笑った。
「アルテミスの眼鏡に適っていたのはそれなりに理由があるということか。面白い!」
アキュリスの叫びに反応したのはティアナだった。彼女は中距離からの援護の構えだったが、アキュリスがアルテミスの名を口にしたその刹那、こちらを見ろと言わんばかりに氷柱の雨を叩き込んでいた。
それら全てを剣でたたき切りながらアキュリスは嗤う。
「俺があのアホ女の名を知っていることがそんなに気に食わないか!?」
挑発だ、乗るな、とエリムがティアナを制した。
ティアナは沈黙こそ保っているが、その青い瞳に殺意を漲らせてアキュリスを睨み付けている。
「どうして俺がその名を知っているのか知りたいみたいだな。なら、今際の際になったら教えてやるよ。精々この首を狙って頑張りな」
トントン、と剣で首を叩くアキュリス。エリムは槍を構えて少しずつ円を描くようにアキュリスとの立ち位置を調整していた。
「コイツは俺が相手をする。お前はあのクリスとか言う女を押さえていろ。声の力は厄介だ。気をつけろ」
ティアナは反論しなかった。何も言葉を発さぬまま、クリスの飛ばされた方へと転移してみせた。
成る程、冷静さを失わない良い戦士だ、とアキュリスは感嘆する。
「お前達のパーティーは随分とよく出来ているな。こちらの方がよほど有象無象揃いだ」
「こんな禁足地まで足を運ぶ酔狂達だ。侮ってくれるな」
互いの間が重なり合う限界ギリギリを見極めながら、両者が足運びを進める。
少しでも相手よりも有利な立ち位置を目指して、その場で円を描き続ける。
「あの狂人は四の五言わずに突っ込んでくるが、お前はそうじゃないらしい。こういう達人めいた奴と手合わせするのは久しぶりだ。直ぐに終わってくれるなよ」
「奇遇だな。同じ感想を俺も抱いている。久しぶりの死合いの動きに不謹慎ながら心が躍っている」
両者の足が止まった。互いに外見に変化はなけれど、内側の姿勢、筋肉、骨の動きが変化していく。
音はない。
合図もない。
ただ両者示し合わせたように、同時に円の中心へと飛び込んだ。
剣と槍、それぞれの切っ先が相手の喉へと叩き込まれる。
03/
アルテがくしゃみをした。体が冷えますか? とマリアが気遣うが、アルテは問題ないと返す。
二人は今、螺旋を伝って1つの階層を登り切った所だった。
「ここは?」
「わかりません。ただ、余り長居するべき場所ではないことは確かです」
螺旋の階段はまだまだ上層へと続いているが、その途中で壁の中に決して小さくはない空間が刻まれていた。階段の途中で広間が接続されたような形だ。ただの広間ならば二人は無視して先に進んだだろうが、そこのただならぬ雰囲気に二人は自ずと足を止めていた。
そしてその予感はある意味で正解だったと言える。
「————随分と待たせてくれましたね。もう少し早くここまで来て頂けるかと思いましたが」
誰かが広間の奥から歩いてくる。
聞き覚えのある声に、アルテは剣を抜かなかった。
ただ、それは過ちだった。
「おっと、γだと思いましたか?」
瞬間、マリアが短剣で斬撃を弾いていた。γの顔で笑うそれを見て、両腕を黒く染め上げたそいつを見て、アルテは驚きの声を上げた。
「βか!」
瞬間、黄金剣を抜く。βはようやく気が付きましたか、とケラケラと笑った。
「あなたに貫かれた感触、まだ覚えていますよ。γに起動されなければ、永遠眠ったままだったのですけれど」
βが上機嫌そうな声を上げる中、マリアは己の腕がひしゃげていることを知る。何という膂力だと、息を呑んだ。
「大丈夫か」
「肉体の損壊自体は大した問題ではありません。ですがコイツは私とヘルドマンの二人がかりでも抑えきれませんでした。あなたと私ではかなり分が悪い」
サルエレムでの激戦を思い出し、アルテとマリアが同時に半歩身を引いた。その様子を見てβはますます上機嫌に嗤った。
「くっくっく。それは杞憂ですよ。サルエレムでは聖遺物のミイラを確保するために敵対しましたが、基本的にはあなた方に対して我々は中立です。そして此度はお嬢様の処遇を巡って、味方に近いと言っても良い。γからいろいろと聞き及んでいます。私はアルテ、あなたにこの塔を踏破するための術を伝えに来ました」
その場でγが身を翻す。そしてアルテ達に振り返り、言外についてこい、と首を振る。
腕の再生を終えたマリアがアルテの手を取った。
「————気乗りしませんがいきましょう。今の我々は使えるものは何でも使うべきです」
「良い判断だ。しかしマリア次長がこちらに分断されていたのは幸運でした。私が魔の力の供給を担当するつもりでしたが、ここはマリア次長にお願いしましょうか。こうすれば私はさらに策を弄するために動き回ることができる」
広間の中には寝台が1つ。壁面には数え切れないほどの棺が埋め込まれていた。アルテは不気味な棺達に一瞬目を奪われるものの、直ぐに寝台に寝かされている「それ」に気が付く。
「使い方はあなたが詳しいでしょう。ここからどうやって聖教会に持ち出されたのかはわかりませんが、魔導人形の一種として保管されていたようですね。もともとは人工の神が世界を動き回るために作り出したアバターだというのに」
近づかなくても、顔を覗き込まなくてもわかる。これはアルテミスだ。いや、自分たちが勝手にアルテミスと呼んでいた偽りの肉体だ。エンディミオンで活動するために操っていたもう一つの肉体がどういうわけか今ここにある。
「この肉体は塔のごく一部の機能に干渉することができます。この肉体だけなら、分断されたイルミやお嬢様と瞬時に合流できます。さあ、どうしますか。狂人アルテよ」
話がどうやっても飲み込めないマリアがアルテとβの顔を交互に見やる。
迷う暇なんてなかった。アルテはまだ首に巻き付いていたそれに手を伸ばす。
起動の仕方など、目を閉じていてもわかる。
「マリア、力を借りるぞ」
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