23.
抜けるような青空、遠くで白い鳥が小さな群れを成して横切っていく。
サワサワと可愛い花たちが風に揺れて、芳しい香りを振りまいている。
リーンゴーン リーンゴーンと上空から響く鐘の音が私の肝を冷やしていく。
あの男……本気だったのか。
私はまだ閉じられている大聖堂の扉前で、遠い目をして胃の辺りを押さえるお父様と共に、佇んでいる。
そう、私は今大聖堂の扉前にいるのだ。
「覚悟はできたか?アデレイズ」
「ぇ、ええ。もうここまで来たら腹を括るしかないわ」
何をしているかと思えば、何とオーウェンは、大聖堂の使用許可をもぎ取りやがったのだ。
大聖堂を空けさせる時に掛かる費用は国王陛下のポケットマネー。招待客はスケジュールに問題がない王族と、私の家の家族と王都に住んでいる仲のいい親戚。ディモアール辺境伯夫人とその親族も一部いる。
招待状は王妃様の侍女を借りて書き上げてくれた。
人数がそこまで居なかったから、早く終わったらしいけれど、王妃様は頭を抱えておられたとか。
ウェディングドレスは、オーウェンと一緒に行ったブティックが1つ制作途中だった物を急ピッチで仕上げてもらった。オーウェンがこっそりオーダーしていた物だとか。1ヶ月半というあり得ないスケジュールでも何とか対応できたのは、偶然が重なった結果の奇跡だと思う。
星のレースが可愛いマリアベールを摘んで直して、お父様の肘へと手を添えると、大聖堂の大きな扉が音を鳴らして開いていく。
入り込む光に目を細めながら一歩一歩と歩みを進める。皆は私とお父様へと視線を集め、「おぉ……」と小さく声を上げた。
大注目の中、神聖なパイプオルガンが響く大聖堂。いつかはここを歩くのだろうな、と思い描いていた光景に自分がいる。
本当ならここで王族の皆様が婚儀を挙げる時には、貴族で埋め尽くされる筈だけど、今回は少人数で皆席も確保できて見やすそうだ。
大きな祭壇の前に、大司教様がニコニコしながら私の到着を見守ってくれている。
少し離れた両脇には国王陛下と、王太子殿下が証人として佇んでいる。王太子殿下、面白そうに陛下や参列者を見渡しているわね。お義兄様になる予定だった人は、こういう面白い事(?)が大好きな性質だから出てくると思っていましたわ。
その錚々たるメンバーの前にオーウェンが晴れやかな笑顔で、私をまっすぐに見つめてくれている。
本当にどうしようもない人だわ。
「婚約期間は短くても良い、任せるとは言ったが、こんな短すぎるとは……」
「お父様、笑顔ですわ」
「ぅうっ」
やっとオーウェンの元まで辿り着き、差し出された手を取って誘われるままに腕へと手を添える。
お父様に向き合った私とオーウェンに、お父様は笑顔をどうにか貼り付けて言った。
「暴走は程々にしなさい。……娘を頼んだよ」
「ええ、もちろん。これはある意味意趣返しですから。本物は辺境で。その時も来てください」
「……楽しみにしているよ」
小声で交わされた言葉は、周りには聞こえなかったけれど、私にはバッチリ聞こえてますわ。あの時言った言葉はどこまでも本気だったのね……。私は目を強く瞑って頭痛をやり過ごした。
祭壇へと向かい、頭を垂れて言葉を待つ。
「新郎オーウェン・ディモアール。
貴方は今アデレイズ・バーミライトを妻とし 神の導きによって夫婦になろうとしています。
汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「新婦アデレイズ・バーミライト。
貴女は今、オーウェン・ディモアールを夫とし 神の導きによって夫婦になろうとしています。
汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「…はい。誓いますわ」
あぁ、誓ってしまった。もう後戻りは出来ないし、逃げることも出来ない。わかってはいたけれど、腹を括るしかないのだわ。
「さぁ向かい合って。指輪を」
大司教様の言葉に私たちは向かい合い、指輪の交換を行う。運ばれてきたリングピローの上にある指輪を見てギョッとした。
「さぁ、アデレイズ、手を」
「ぇ、あ、ええ」
恐る恐る出した手に、そっと嵌められた指輪を凝視する。
「ん?ブルースターダイヤモンドが良いって言ってただろ?」
「いや、あれは……」
言った。
確かに言った。
けどあれはそういうのじゃなくて!
ワガママ女作戦で放った言葉が、まさか実現するなんて思うわけないでしょーー!!
うるうると光る紺碧の輝き。
確かにローズカットにされたブルースターダイヤモンドが輝いている。来賓もどよめきを隠せないで、口々に「凄い…」と囁き合っている。
こ、これ、外して良いかしら……
嵌められた指輪を呆然と見つめていると、オーウェンがスッと手を差し出してきた。
あ、あぁ、こっちにも嵌めなきゃよね。
リングピローを見ると、男性用のリングが今か今かと出番を待っている様に鎮座している。
私はブーケを一時預けて男性用らしく、お揃いのブルースターダイヤモンドをスクエアカットにして嵌め込まれ静かな輝きを放っている指輪を恐る恐る摘み上げて、彼の薬指へと差し込んだ。
── あの時無駄に値段なんて調べるんじゃなかったわ。知らなかったら「綺麗ねー」って能天気に見つめていられたのにぃ。くぅっ。
こっそりとため息を吐いた時、大司教様が頷いて、次の言葉を紡いだ。
「では、誓いの口付けを」
うひゃーーー!ついに来てしまったわ!
私が内心大慌てしていると、オーウェンが星のレースのマリアベールの前部分をそっと持ち上げて後ろへと流す。
あの蕩けそうな瞳で笑顔のオーウェンは私の両肩をそっと包んでゆっくりと顔を近付けて───
ペッッッッチーーーーーン☆
「ぶふっっっっ……レイ??」
私は思わず両手でオーウェンの唇を、勢いよく防いでしまった。
「ごご、ごめんなさい、ごめんなさい!でも口付け前に」
私は防いだままでも至近距離にあるオーウェンの顔をまっすぐ見つめた。
「ウェイン…私、貴方が噴水広場で言いかけていた言葉を、どうしても聞きたいわっ」
恥ずかしすぎて涙がジワジワと集まってくる。
神様にはもう誓ってしまったけれど、でもやっぱり口付けの前にあの言葉の先を聞きたいのだ。
「プッくくく……」
一瞬呆気に取られていたオーウェンは、次の瞬間堪えきれないと言わんばかりに笑い出した。
その少年の様な笑顔は、出会った頃のオーウェンを思い出す無邪気なもので。
「っっあぁ、本当に敵わない!俺の花嫁!」
「きゃっ!ウェイン!!」
そして私を力一杯抱きしめると、オーウェンは私の両手を取って片膝を突いた。
「アデレイズ・バーミライト。11年前に出会って、レイの元を去ってからずっと、会えなかった間もずっと忘れられなかった。俺はレイを………」
そこまで言うと、オーウェンは私と目を合わせてから周りに視線を配り、また私に視線を戻すと苦笑を漏らした。
今度こそ邪魔は入らないだろうなと、警戒したのかしら。私も噴水広場でのあり得ない横槍を思い出して、つられて苦笑を漏らす。来賓はポカンとしているけれど、もう邪魔は入らないみたい。
そして深呼吸をしたオーウェンは、真剣な瞳で私をまっすぐに見つめた。
「俺はずっとレイが、レイだけが好きだったんだ。幼い頃の愚かだった俺を忘れて、生涯レイだけを想い、離さず、守ると誓うから、俺と夫婦になってくれ!」
勿論貴族なのだから、感情抜きで結婚することは、当然なのかもしれないけれど。再会して、彼との婚約に向き合おうと思った日からずっと、オーウェンの瞳に宿る熱の意味を、私の胸がその熱に炙られる様に騒ぐ理由をどうしてか知りたかったのだ。
その瞬間に私はこの胸がずっと騒ぐ理由を理解した。いや、本当はもうどこかで気付いていたのかも知れない。
「……オーウェン・ディモアール様。この通り手も足も口も出てしまう女ですけれど、私も貴方をお慕いしているみたいですわ。こんな私で良ければ、貴方様を支え…手綱を一生傍で握って差し上げてよ?」
私は彼の目を見て心からの笑みを浮かべて、照れ隠しの様な可愛げのない言葉を返した。
「あぁ、勿論だっ」
オーウェンは立ち上がって片手を私の腰に回して引き寄せると、もう片方の手をそっと頬に添えた。
「愛している、レイ」
そう囁いて、私の唇にオーウェンの形の良い唇を重ねた。




