第三話C Y嗣<2>
両親が帰って、Y嗣は熱を出した。
子どものころからそうだ。
母と揉めた後は必ず熱を出す。熱を出して寝込みでもしない限り、母の罵声からは逃げられない。
仮病の一種だと思っているものの、実際に本人の体を傷つける仮病なんて役に立たないとも感じていた。
熱は数日続き、Y嗣はR々那の結婚式を欠席した。
仕事に差し支えるかと心配だったが、式は結局途中で中止になったらしい。
起こったことについてY嗣は聞いていない。出席者には口止めがされたようだ。式の後で社長が後妻親娘を追い出したと聞くので、A社側に問題があったのかもしれない。
(俺が彼女と浮気していたことがバレたのか?)
だとしたら、今のままA社の社員ではいられないかもしれない。
不安に思いながら、Y嗣はT佳子を見た。
Y嗣は式の後も会社を休んでいた。
熱が下がらないのだ。
医者には精神的なものだろうと言われている。
R々那の教育係をしていたときに溜まった有給があったし、後妻親娘の件で会社自体がバタバタしていて通常業務ができないということで、Y嗣の休みは受け入れられた。
「どうしたの、Y嗣さん。熱冷ましのシートがぬくもっちゃった?」
「いや、まだ大丈夫だ」
「退屈になった? テレビでも見る?」
夫婦寝室のダブルベッドの上がり降りが辛かったので、Y嗣は居間に布団を敷いて寝かせられていた。
台所から食事が運びやすいし、トイレも近いのだ。
T佳子がテレビをつけると夕方のニュースの時間だった。R々那によく似た社長の元後妻の写真が画面に映る。
「……」
夫婦揃って、無言でアナウンサーの声に耳をそばだてる。
R々那の母親は社長の前妻を殺していた。
その殺害を社長のせいだと通報してやると脅して後妻に収まっていたのだ。
実際追い出されてすぐに警察へ言いに行ったようだが、矛盾した証言と偽造した証拠が仇になって自分が本当の犯人だと証明することになったらしい。
会社がバタバタしていた後妻親娘の件とは、彼女達が追い出されたことだけではなく、それが発端で社長が通報されたこともあったのだろう。
R々那はどうしたのだろう、と一瞬思って、Y嗣は頭を振ってその思考を消した。自分が考えるべきなのは彼女のことではない。
「……Y嗣さん」
「うん」
「どうして浮気したの? 私に飽きちゃった? 嫌いになった? 彼女のほうが魅力的だったのかしら?」
「ち、違うっ。俺にはT佳子だけだ。君がいなければ生きていけない。あれは……あれは……」
Y嗣は考えを巡らせた。
嘘をつこうか、と考えてみる。
関係しなければセクハラされたと社長に言いつけると脅されて仕方なく言いなりになっていたことにしたら、優しいT佳子は許してくれるかもしれない。だが、あの浮気写真に撮られた自分は笑顔だった――
「……一度は断ったんだ。そしたら浮気もできない男なんて情けない。そんなだから子どももできない役立たずなんだって、言われて……」
T佳子に嘘はつけなかった。
彼女は真実を言えば怒り出す母とは違う。
本当の自分を受け入れてくれたたったひとりの女性なのだから。
Y嗣は大柄な体を持ちながらもスポーツが苦手だった。
どんなに向いていないことを話しても母は辞めさせてくれなかった。
無能な自分がチームで生き延びるには、自己犠牲的なプレイをして周囲に媚を売り続けるしかなかったのだ。
Y嗣は『役立たず』という言葉が怖い。ずっと母に言われてきたし、以前のチームメイト達にもそう思われてきたと察しているからだ。
浮気写真で笑顔だったのは楽しかったからではなく、役立たずという言葉を返上するためだったのだと、T佳子ならきっとわかってくれる。
そんなY嗣の身勝手な希望は、妻に視線を逸らされることで打ち砕かれた。
「そう。……Y嗣さん、私、出かけてくるわね」
「T佳子! ごめん、ごめん、行かないでくれ! もう二度と浮気なんかしない。なんでもするっ。君が許してくれるなら、なんでもするから!」
「落ち着いて、Y嗣さん。熱冷ましのシートの予備がないから買いに行くだけよ。コンビニでY嗣さんの好きなアイスも買ってくるわね。こんなときに変なこと聞いちゃって、私のほうこそごめんなさいね。これからのことは、あなたが元気になってから話さない?」
「うん、うん……わかった。今日は帰ってきてくれるんだよな?」
頷いて、T佳子は出て行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
熱で朦朧として半分睡眠状態だったY嗣の頭が明瞭になったのは、インターホンが鳴り響いたからだった。
このマンションはオートロックだ。
もしかしたらT佳子はキーを忘れていったのかもしれない。そんなことを思いながらパジャマの上にジャケットを羽織り、Y嗣はエントランスでインターホンを鳴らした人物を部屋のカメラで確認した。
――R々那だった。




