第二話B A絵<1>
A絵はB社の前社長だ。
創業者のひとり娘として生まれ、二代目として頑張ってきた。
早くに亡くなった入り婿の夫はいたものの、父からの相続後にメインとなって会社を経営していたのはA絵だった。その夫にそっくりな息子M臣は近々結婚する。
ノックの音がした。
A絵は、ずっと見つめていた二枚の写真を机の上に置いて立ち上がった。
来室を許すとM臣が不機嫌そうな顔で入ってきた。二十五歳の息子は、大学のときからマンションでひとり暮らしをしている。今日はA絵が実家に呼びつけたのだ。
「いきなり呼び出してなんの用です、母さん。結婚式まで一カ月もないんですよ。どんなに母さんが不満に思っていても、今さら花嫁をS織に戻したりはできません」
一番不満に思っているのはあなたのほうでしょう、とA絵は思う。
M臣はR々那のことをつまみ食い相手としか思っていなかった。
彼女の狡猾な母親が夫のA社社長を操って前妻の娘のものをすべて奪い取っていても、M臣にとってのR々那の価値は変わらない。そもそもR々那の母親は自分が得たものを娘に分け与えるような人間でもなかった。
直接会社の運営には関わっていなかったけれど、多くのA社株を握るS織の祖母は孫を溺愛している。
創業者の妻として今も重役や取り引き相手に多大な影響力を持つS織の祖母がA社を見捨てたらどうなるのだろうか。
それに対する危機感はA社と長年深く付き合ってきたB社の若社長であるM臣が、一番肌で感じているに違いない。だから最近の彼はいつも不機嫌なのだ。
M臣の結婚によるAB社合併の噂を流しているのはR々那の母親だろうとA絵は睨んでいる。
狡猾な彼女はA社社長の愛人だったときから寝物語で得た情報を膨らませてばら撒き、株価を操作していた。
元は一流店のナンバーワンホステスだったという彼女に情報を垂れ流していたのは、囲っていたA社社長だけではない。
「M臣ちゃんママね、あなたの結婚式には出ないことにしたわ」
「莫迦なこと言わないでください! そんなことをされたら、母さんが僕達の結婚に反対してると思われてしまう」
「結婚には反対しないわよ。M臣ちゃんの好きにすれば良いわ」
言いながら、A絵は机の上から二枚の写真を手に取った。
一枚はスマホで撮影した画像を印刷したと思われる、先日差出人の記入のない封筒で届いたものだ。一緒に入っていたチャット画面の画像のほうは一度見ただけで封筒に戻した。見ても最近の若い子は莫迦だなあ、と感じただけだった。
もう一枚は色褪せたポラロイド写真だ。
「はい」
「なんですか、これは。僕がR々那とホテルに入る写真? なんだってこんなもの。もしかしてS織が送り付けてきたんですか?」
そういう息子の顔は少し嬉しそうだった。
自分が手ひどく裏切ったくせに、彼は今も元婚約者に愛されていたいのだ。
精いっぱい頑張ったつもりだったけど、どうしても仕事優先になる私の愛だけじゃ足りなかったみたいね、とA絵は過去を後悔した。しかし後悔してもどうしようもないし、決めたことを覆す気にもなれない。
「よく見なさいよ。そちらは二十年以上前の日付でしょう?……ふふふ、ママもすっかり忘れてたの。もう一枚の写真と構図が同じだったから思い出しちゃった」
浮気の証拠写真の構図が似通うのは仕方がないことだ。男女の顔と彼らがいる場所を明確にしなければ意味がないのだから。
「え? あ、こっちの写真でR々那といるのは僕じゃない。いや、待ってよ母さん。僕じゃないんなら、この二十年以上前の写真に写ってるのは、だれ……だれなの?」
しゃべっているうちに気が付いたのか、M臣の最後の問いは震えていた。




