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本日はお日柄も良く……

ラブコメ成分を入れないと上手く呼吸が出来ないんだ、などと供述しており(ry

 では、時間が来ましたので本日の講義を始めましょうか。

 前回の講義では、草林内閣が『朝鮮半島大爆発』対策に託けた国土綜合開発計画を打ち出し、日本列島の大改造が始まったものの、あまりに仕事中毒な草林を心配した明治天皇が直々に、草林に職務停止と休暇取得を命じたところまでお話ししました。

 さて、一九一〇年五月七日土曜日、憲政史上初の、と言うより憲政史上唯一の、天皇直々の職務停止命令を受けた内閣総理大臣となった草林は、休日にもかかわらずフォーマルな装いで赤坂御苑に呼び出されました。この日のひがし京都市きょうとしの天候は晴れで、例年でしたら汗ばんでも不思議ではないほどの陽気でしたが、一九〇八年からこの年まで、五月晴れとなっても気温はあまり振るわなかったことが、東京都気象台の記録に残っています。これは、朝鮮半島からロシア沿海州にかけて降灰した『朝鮮半島大爆発』の大量の粉塵が、季節風に乗って日本列島上空へと舞ったからだと、今日では推定されています。これは、日本全国の病人の症状別統計から見ても、感染症でない呼吸器系の病気の患者数がこの数年高止まりしていたことからも裏付けることが出来ます。

 ちなみに、草林はこうした状況を憂い、各家庭に布マスクの現物と縫い方、使用方法を記したマニュアルをセットで厚生省から配布する政策も採用しています。『アベノマスク』の先取りですね。

 話が逸れましたが、斯様な気候で下手すると風が吹けば肌寒くすらあったことから、職務停止命令を受けた草林を召し出した明治天皇が直々に催した、草林を休ませるためと銘打った茶会は、赤坂離宮――今日の迎賓館・赤坂離宮の中で行われることになりました。もう勘の良い諸君はお気付きだと思いますが、これは草林と、後に草林の妻となる女性の相性を見る為の会。つまり、明治天皇直々に催されたお見合いでした。

 お相手は何と、明治天皇の第四皇女で実質的には長女となる、増宮ますのみや章子ふみこ内親王。当時皇太子であった大正天皇の妹である彼女は一八八三年一月十六日生まれで、六月生まれの草林より半年ばかり歳上です。現代的視点で言えば、草林はとんでもない逆玉の輿の機会を得た訳ですが、当時の皇族・華族の女性の結婚事情に鑑みるとどうでしょう。一般的には、上流階級の女学校を卒業した後、直ぐに良家同士でお見合いをして結婚した家庭に入るというのが、当時の普通の流れな訳ですが、草林も、章子内親王も、数えで言えばこの時二十八。当時の社会通念上、特に女性である章子内親王の側は、立派な嫁き遅れであったと言わざるを得ません。まあこの歳になるまで、女性の噂一つなかった草林も大概なのですが。

 それはさて置き、章子内親王が極めて虚弱であることは、広く知られていることでした。何しろ、学生時分に月の半分登校出来れば良い方だったぐらいで、残りの半分は風邪や月の障りが重症化して寝込むという有り様でした。更に、近親者の評価は兎も角として、当時の伝統的日本人の価値観では美人とは言い難い容貌をしていた事も、彼女を公の場から遠ざける原因の一つになっていました。と言うのも、彼女の髪質は直毛ではなく波打っていて、『朝鮮半島大爆発』の気候変動による風邪を拗らせ高熱で二ヶ月余り寝込んでからは、髪から色素が抜けて薄茶色になってしまい、しかも前髪の一房は完全な白髪となっていたからです。現代的表現で言えば、髪に軽くパーマを当て、明るめの茶色に染めた上で、前髪を一房だけブリーチしてメッシュを入れた程度の感覚ですが、当時としては大層奇抜な見た目でした。加えて、彼女の下に三人居る妹皇女達と比べると、頭半分程背が低かった事も、彼女の特異性を際立たせる原因の一つでした。王侯貴族の女性は血を繋ぐ、つまり子供を産める健康体であることを一般的に求められますから、妹よりも小柄な章子内親王は、そうした意味で不適なのではないかと思われた訳です。この見た目は、当時の上流階級を占める人々、特に古い血筋の人々からは侮りの対象だった様で、その事を嘆いた明治天皇の御製が何首か、現代に伝わっていますから、当時の雰囲気を知りたい方は調べてみると良いでしょう。

 ここまで章子内親王のマイナス要素を挙げてみましたが、では実際のところ、草林との対面はどうだったかという点に話を戻しましょう。

 この時のお見合いは、章子内親王の側は、本人の他に父親である明治天皇と、兄夫婦である皇太子、つまり後の大正天皇夫妻。草林の側は、元老代表として山縣・有朋、そして児島・惟謙亡き後の草林の事実上の後見人となっていた、草林の学習院在学中の学習院長であった前宮内大臣、田中・光顕みつあき伯爵夫妻が立ち会いました。茶会は極めて和やかにと言うか、或いは山縣が日記に記した言葉を借用すると、『目も当てられないほどお互いの姿しか目に入っていない様子で』進みました。要するに、草林にしても章子内親王にしても、お互いにお互いの第一印象は極めて良好だった訳です。

 結局、この日の茶会は大いに盛り上がり、一同は宮中に場を移しての臨時の小さな晩餐会まで行い、夜遅くまで語り込んだ草林らは、何と宮中に一泊しています。これは異例中の異例の待遇であり、明治天皇の側としても、この縁談を何としても成立させたいという思いがあったものと推察されます。

 翌日、総理大臣公邸に帰邸する草林と、草林を見送りに一家で車寄せに出た章子内親王は、周囲が促すまで別れ難い様子で言葉を交わし合い、抱擁まで交わしました。帰邸した草林を態々出迎えた内閣総理大臣臨時代理である内閣官房長官、原・敬が和かに『昨夜は お愉しみ でしたね』と言うと、草林は『あゝ、大いに愉しかったとも。運命の出逢いとは、正にこのことだ』と惚気てみせ、周囲を唖然とさせていた、という総理大臣公邸を警備していた警官の証言が残っています。愛情表現を表立ってはしない当時の気質からすると、これは相当な惚気だったようで、原は日記に一言、『恋に浮かれている様子』と記しています。

 翌日には宮内省がこの縁談を公表。気が早いとも言えますし、または草林と章子内親王の仲が熱い内に外堀を埋めにかかったとも言えますが、これが社会に伝わると当然帝國議会でも突っ込まれる訳ですが、普段澄まし顔の草林がこればかりは歯切れ悪く、『臣の仕事中毒を心配された天皇陛下の御叡慮にて、章子内親王殿下とお会いすることになりまして、実際にお会いしたところ、御人柄も素晴らしく、平民出の臣には過ぎたる栄誉と固辞しようかと思いましたが、その、一目惚れしました御方と家庭を持つという千載一遇の機会を手放すような真似は、とても致しかねるところでありまして、謹んで章子内親王殿下をお迎えしたい旨、申し上げた次第でございます』と、しどろもどろに答弁した記録が残っており、しかも草林が照れて顔を真っ赤にしていたことから、帝國議会は爆笑の渦に包まれたと言います。

 ともあれ、この出逢いが草林の心境を変えたのか、或いは単に仕事中毒だった分がそっくりそのまま、草林と章子内親王の交際事情に振り向けられただけなのかは分かりませんが、草林はこの日以降、平日は相変わらず首相業に精勤するものの、週末や祝日になれば宮城ぐうじょう、つまり現代語で言えば皇居や、章子内親王の暮らしていた赤坂御用地の青山東宮御所――大正天皇夫妻と章子内親王は非常に仲が良く、この頃まで両者は花御殿と呼ばれていた青山東宮御所で同居していました――を訪って、逢瀬を楽しむようになりました。

 二人は半年の婚約期間を経て、一九一〇年十一月十八日に結婚しました。流石に当時の感覚では問題物件であったとは言え、明治天皇の直宮である章子内親王のお相手が完全な平民では格好が付かぬということで、この半年の間に、草林は『朝鮮半島大爆発』の初期の混乱を収めた功績で男爵位を授けられた後、その後の経済政策の的確さで V自回復へ導いた功績で子爵へ、更に直前に起きた明治四十三年の大水害に対する的確な対応と、迅速な被害復旧・復興計画の策定という功績を讃えて伯爵へと陞爵します。国の若き指導者と、国家元首である明治天皇の娘との成婚は、『朝鮮半島大爆発』の暗い世相に漸く差し込んだ明るいニュースの一つでした。

 とは言え、この明るいニュースの陰では、『朝鮮半島大爆発』によって広がった社会不安に起因する、反政府・叛乱・大逆未遂事件が次々と警察や国家憲兵隊の手で摘発されていました。草林政権の安定と、その後訪れる大正デモクラシーの時代は、裏側ではこうした政治的対立相手を社会的に葬り去ることで実現されていた側面があることは、決して忘れてはいけません。

 草林率いる日本はこの後、日本列島全体を大規模に改造し第一次高度経済成長期を迎えながら、明治時代の終わりと大正時代の始まり、そして第一次世界大戦という大量殺戮の時代を迎える訳ですが――時間が来てしまいましたので、本日の講義はここまでとします。

 例によって、ここまでの講義での疑問点、深掘りしたい点、参考資料等の問い合わせにつきましては、次回講義までに私の研究室まで簡易レポートの形で提出するようにしてください。

 では、また次の講義でお会いしましょう。

Q. 依怙贔屓が過ぎるのでは?

A. 何のことか分かりませんねえ……?


しかし『朝鮮半島大爆発』って書く度に字面が酷くて頬が引き攣るのは私だけだろうか……

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≫しかし『朝鮮半島大爆発』って書く度に字面が酷くて頬が引き攣るのは私だけだろうか…… すげー判りますww ≫増宮章子内親王 存じませんでした。史実では5ヵ月ほどで亡くなられたとの事で・・・。
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