草林・太郎「草木一本も生えぬほど毟り取ってやる」
草林・太郎「草刈りの時間よー」
では、時間になりましたので、本日の講義を始めたいと思います。
前回は時間をオーバーしてしまい、すみませんでした。草林・太郎の内閣総理大臣就任までの前半生についてを、前回の講義では大まかに説明したかと思います。
今回は草林内閣が、如何にして『朝鮮半島大爆発』の混乱から日本を立ち直らせていったかについて、お話していきたいと思います。
さて前々回、『朝鮮半島大爆発』により、日本列島では日本海側や東北以北に於いて降灰がありました。この灰による被害としては、農林作物は十分な日照を得られなかったり、降雨と合わさると重たい泥になりますので倒伏するなどの被害が出ました。水産物は、日本海が急速に酸性化したため、日本海側では軒並み数年に渡り不漁となりました。火山灰は電線に付着するとショートすることがあり、各地で電線や電柱のショートによる切断・炎上、発電所・変電所の機能停止も起きました。鉄道や船舶も視界不良で徐行を余儀なくされました。山に降った灰は、雨と一緒になって土石流となって流れ下りました。また、灰は生物の呼吸器系に直接有害です。この年は各地で家畜や野生生物の大量死が相次ぎました。勿論、ヒトに対しても同様です。更に、水源は灰や生物の大量死により濁って汚染されます。
これらの問題に対し、草林内閣の対応は水際立っていました。
草林は組閣するや、直ちに『緊急食糧供給安定法』を制定。これにより全食糧品、並びに食糧となり得る全ての産物の『収穫・猟獲・生産・保護・市場流通価格』を一時的に政府が決定出来ることになりました。この法律に基づき、草林内閣は『急上昇したコメ等米穀類の市場価格の強制的な指定』『野生生物の採取・狩猟の三年間の停止厳守』といった食糧品の流通や生産、資源保護に纏わる命令を発出しました。
これらの中で、短期的に多くの人々にとっては大きな負担となり反発も大きかったのは、絶望的不作・不漁が見込まれる中での、水産資源や畜産物、野生生物の採取・狩猟の停止でしたが、草林は新聞を通じて国民一人ひとりに向けて、これが生産力回復を見据えた、長期的視点に立った政策であることを示す一面広告を掲載し、国民の側も『国民的英雄である草林がそこまで頭を下げて言うなら……』と渋々従いました。
この政策が、速やかな農林水産畜産資源の回復に結実したのは、後の歴史が示している通りで、『緊急食糧供給安定法』は余りに出来が良かったため、現在でも余り手直しを加えられることなく、災害等で発生した不作の際に発動される現役の法律となっています。
他方、草林は東京・京都の帝國大学の教授らを招聘し、内閣官房に『朝鮮半島大爆発対策本部』を設置。対策本部に対し、短期から長期まで、現時点で考え得る・起き得る事象を洗い出させました。対策本部の机上検討では、今年は記録的凶作であり、今後数年は影響が続くこと、そして近隣諸国もそれは同様であり、短期的に見ても長期的に見ても、国民を養うだけの食糧の輸入先のアテが無いという結論に至りました。
そしてその結論を以て、草林は臨時招集し開会した八月十五日の帝國議会での内閣総理大臣所信表明演説に於いて、現下の厳しい食糧事情を説明した後、その対策としての食糧緊急輸入の為、日露戦争で得た朝鮮半島・満洲・中国大陸の全権益を代価として列強諸外国、特に米英に対して交渉中であることを表明しました。詰まり折角、日清・日露戦争で屍山血河を築いて勝ち取った多大な権益の内、台湾と樺太、千島を除いた全権益を譲渡するという事で、これには帝國議会でも国民の間でも議論の的となりました。
しかし、まだ交渉が成立していないにも拘らず、朝鮮半島や満洲・中国大陸の全日本権益を目当てに、『見せ金』としての『無償援助』と称した米英からの食糧を満載した船舶が、九月頃から日本各地へ寄港し、荷物を下ろし、それが市場に政府制定価格で、政府が刷ったレシピ付きで行き渡り始めると、世論は『海外利権の譲渡已む無し』の空気が漂い始めます。十月には厳しい今年の冬に備えた衣料品や医薬品も大量に届き行き渡るようになり、その頃には朝鮮半島は完全な荒野と成り果て生産力も無く鉄道も一から敷き直しで、その先の満州にしても清国相手の権益にしても、最早維持することによる負担に対し、『今』直ぐにも得たい権益である食糧が得られないのであれば、日本にとって利益はゼロどころかマイナスであるという共通認識が醸成されていました。
果たして十一月十一日、日本は米英清との間に、『日米英清権益交換条約』を締結しました。この条約により、『締結した四カ国は大韓帝国の消滅を確認』し、『跡地を現在保障占領している日本が同地を取得』した上でその『大韓帝国跡地を英帝国へ譲渡』し、また『満洲等に有していた日本権益は米国へ譲渡』され、『清はこれを承認』し、『米英は取得した権益の代価として、向こう十年間の日本が必要とする食糧品を輸出し、既に行った援助分の代価は求めない』ことが定められました。
条約は直ちに締約国間で批准・発効し、日本がユーラシア大陸に有していた権益は爾後、進出を始めた米英へと速やかに引き渡されました。
一見すると、『巨額の不良債権』を『何故か米英が超高値で購入』したような雰囲気の漂うこの条約ですが、『持てる国』、言い換えれば『富める国』である米英にとっては、少なくとも条約締結時点では、十分な利益を生み出す優良物件であると考えられていました。
先ず英領となった朝鮮半島ですが、英帝国はほぼ無人の荒野となった此処に、人口過剰となっていた英領インドの人々を移民、或いは棄民しようとしていました。勿論、移民された人々の必要とする物資の調達手段は英帝国が握った状態です。移民とは名ばかりの、実質的な奴隷を殖やすのが目的でした。此処に艦隊根拠地を於いて米露を抑え、弱体化した日本を援け、更に増え過ぎたインド植民地の人口を輸出・調整し『扱い易い大きさに整え』、この地で生産した英国製品で東アジア市場を制する計画でした。
他方、米国のものとなった満洲や大陸の利権ですが、米国はこれによって宿願である中国大陸進出を果たしました。更に、この利権の代価が、国内で生産過剰となっていた農作物を連邦政府が買い上げて日本へ無償援助として渡すというスキームであったことも、プラスに働きました。これにより、市場から余剰作物が輸出へと吸い上げられ、農作物の市場価格が上昇。穀物相場の暴落を防ぎ、米国の国内貧困層――特に、首を赤く日焼けさせたことから『レッドネック』と呼ばれていた、米国南部の零細農業従事者の所得向上へ繋がりました。当時の米国大統領は、日露戦争の講和の仲介もしたセオドア・ルーズヴェルトで、彼は共和党出身です。共和党支持層は主として米国北東部の工業地帯・人口密集地帯に多く、つまり米国南部の農業地帯は民主党支持者の占める割合が大きい、民主党の所謂『岩盤層』の地域でしたが、この条約締結により農業従事者の所得は向上することとなり、この地域の民主党の地位は揺らぐことになります。当時の米国政府は共和党の政府で、しかも南部農業従事者の代表的側面を持つ民主党員は、南部農業を実質的に手厚く保護するこの政策に反対し辛く、政権交代して政府が入れ替わっても反故にし難いという、二重三重に『お得』な条約でした。
ちなみに、この『大陸利権の代価としての十年間の食糧無償援助』は、勿論そのままの言葉で説明すると、『英米からの施しは受けぬ!』と当時の血の気が多く誇り高い日本人は容易に暴発するので、日本国内に向けては外交用語を用いて『向こう十年間の無制限綿麦借款の供与を英米両国から受ける』と言い表されました。これは、英帝国のポンド、または米国のドルを先ず両国が日本政府へ供与し、そのポンドまたはドルで英帝国または米国の農産物を買う、という枠組みです。『綿麦借款』はその名の通りに『綿』か『麦』にしか使えないという意味ではなく、この場合の『綿麦』は農作物全般を指します。これはテストに頻出する単語ですので、きちんと覚えておくと良いでしょう。
ともあれ、これで当面の食糧の手当てが出来たことから、日本は一息吐けました。どうも草林はこの条約成立を以て早々に勇退を決め込もうとしていた節がありますが、そうは周囲と問屋が卸す筈もなく、彼はこの後、史上最長の連続政権を担わされることになります。
少し早いですが、キリが良いところまで話が進みましたので、本日の講義はここまでとします。
例によって、ここまでの講義での疑問点、深掘りしたい点、参考資料等の問い合わせにつきましては、次回講義までに私の研究室まで簡易レポートの形で提出するようにしてください。
では、また次の講義でお会いしましょう。
草林・太郎「民主党の票田刈ったったwwww」
某民主党出身大統領予定FDR「」




