包括的雷撃禁止条約、または砲勝つ的雷撃禁止条約
英帝「ドヤァ」
独帝「くぁwせdrftgyふじこlp」
日帝「」
それでは時間になりましたので、本日の講義を始めたいと思います。
前回の講義では包括的雷撃禁止条約の締結に至るまでの大まかな流れを、皆さんにお伝えしました。明治日本の人々の危機感をして、手加減せずに戦ったら自ら枷を嵌めざるを得ない状況に追い込まれるとは、歴史は皮肉なものです。
さて、本日は『包括的雷撃禁止条約』の大まかな内容についてご説明します。
条約の基本理念としては、『行き過ぎた大火力主義による殲滅戦や絶滅戦争の抑止の為、理性ある先進文明国である締約国は、本条約に定める種類の兵器及び戦術を禁止する』というお題目が掲げられています。
細則は事細かに定めがありますが、要約するとレジュメに書かれた通り、こう言うことになります。
・船舶の喫水線下への直接打撃を企図して、自ら航送し、命中した際には対象船舶の浮力を直接奪い撃沈せしめ得る兵器全般の開発、所持、行使、及びそれらに対する報復としての開発、所持、行使の禁止
一見、単純に魚雷や魚雷攻撃を行う水雷艇、駆逐艦、或いはそれら以上の魚雷を搭載可能なサイズの兵器全般への魚雷搭載を禁止しただけ、に見えますよね?
はい、これが字義通りに魚雷『だけ』を規制したと思った方は素直に挙手してください。――ありがとう。私も最初にこの条約に触れた時、そう思いました。貴方達の感覚は率直で、非常に正しいと思います。
ですが、実際にはこれが原因で、第一次世界大戦へ向けた大軍拡競争が勃発してしまいました。
それは何故かを言い表すとしたら、詰まる所、『人間とは掲げた理想以上に悪知恵が働く醜悪な生き物であった』と言う文章になるでしょうか。
もう一度、お配りしたレジュメの要約をよく見てください。『自ら航送し、命中した際には対象船舶の浮力を直接奪い撃沈せしめ得る兵器全般』と書かれていますよね? それが、この条約の抜け道なのです。
これが抜け道であることを説明するには、当時の主力艦の戦術と構造を皆さんと一緒に理解する必要があります。レジュメの二ページ目を開いてください。
日露戦争当時、艦砲の撃ち合いの一般的な交戦距離は、近くても八〇〇メートル、遠くても一万メートル程度でした。遠ければ遠いほど命中率は下がり、しかし近ければ近いほど砲門の修正角は、互いの見かけ上の運動距離が図に示した通り大きくなるため、修正が追いつかなくなります。注釈している通り、砲戦距離一万六千メートルから極近距離まで、修正に時間の掛かる主砲塔を使って、それなりの速力を発揮しながら満遍なくそれなりに高い命中率を出していた日本海軍の戦術と技量が異常なので、それが当たり前だったと思わない様にしてくださいね。
この時代、装甲艦艇の性能は恐竜的進化を遂げていました。船体は大型化し、装甲は肉厚になり、機関は高出力化し、主砲は大きく高威力で射撃方向の修正速度は『鈍重』になっていました。主砲とは『当たれば致命傷だが、当たらなければどうということはない』ものだと考えられていました。
逆に言えばこうです――『当たらなければどうということはないのであれば、嫌でも当てるしかない』。
レジュメ三ページを見てください。当時の艦艇の構造の模式図を其処に示してあります。フネの前側、艦首の喫水線から下が前へ突き出た構造になっているのが分かりますか? これ、何か分かる方は挙手をお願いします。――はい、結構です。これが何かと言いますとね、少し前の深夜帯アニメを見たことある方でしたら、最終決戦で人型宇宙戦艦が左腕を敵艦にブッ刺して砲撃するシーンを見たことあるんじゃないでしょうか。
アレをね、当時の人は大真面目に戦争になるとやってたんですよ。艦隊衝角戦――ラム・アタック――と言います。要は体当たりです。故意に敵さんのフネの土手っ腹にね、自分のフネの艦首をぶつけるんですよ。それで敵の艦船を沈めます。
で、これ、正に『自ら航送し、命中した際には対象船舶の浮力を奪い撃沈せしめ得る兵器全般』に該当すると思いませんか? 思いますよね?
ご安心ください。当時の人々もそう思いました。
当然、当時の戦艦とは主力兵器であり、海上交通の安全を担保する戦略兵器でしたから、衝角を備えた艦艇はそれを全て除去する工事を行うか、或いは全て廃艦ということになりました。これにて一件落着――する訳がないんだなあ。
レジュメ四ページに、本条約締結後に大英帝国が就役させた最新鋭戦艦『ドレッドノート』の写真と側面図を示してあります。衝角のない、綺麗な曲線を描いた船首構造をしていますよね。『クリッパー・バウ』と呼ばれる構造です。そして主砲塔が二基、後ろの砲塔の砲身が前の砲塔の上に重なるようにして少し高い位置に装備されているのが、図から読み取れるかと思います。『背負式配置』と言います。この構造が前後にあって、主砲が合計で連装四基八門。これまでの主力戦艦の倍、主砲を積んでいる訳です。
大英帝国は言いました――『自ら航送し、命中した際には対象船舶の浮力を直接奪い撃沈せしめ得る兵器』ではなく、『自ら航送し、備砲の砲撃に依って間接的に戦闘力を奪い撃破せしめ得る兵器』であって、『直接浮力を奪うことを目的とはしていない』から問題はない。包括的雷撃禁止条約に違反はしていない、と。
現代的感覚からすると信じられないほどの傲慢な理論ですが、当時の大英帝国は列強筆頭の超大国です。列強はその意見を渋々認める代わりに、旧式艦を全廃して、ドレッドノートと同様の設計の艦艇を整備することに躍起になります。大軍拡時代の到来です。ここから西暦一九一四年の世界大戦勃発までに就役した、ドレッドノート型設計の戦艦、所謂『弩級』『超弩級』と呼ばれる戦艦の数は、欧米列強だけの合計で実に三十隻以上にも上りました。
さて、斯様な悪夢が欧州で出現していた頃、日本周辺では何が起きていたのかと言いますと、端的に言えば『ロシア帝国との戦争という未曾有の国難を火力で乗り切ったと思ったら、欧米列強が圧倒的生産力を顕にして、アホになるほどの新鋭戦艦を出現させてしまい、完全に萎縮』してしまっていました。
海軍史に栄光を刻んだのと引き換えに、既存艦は全て衝角の撤去を余儀なくされ、国内の造船所は満杯。時代の趨勢に合わせた艦艇を整備しようにも、それに見合った戦艦の整備が可能な列強諸国は、自国向け戦艦の製造に掛かり切りで余力がありません。幸い、日清日露と続いた戦争で直接的な安全保障上の脅威は一旦は遠のいたのだから、動員を解除して、陸軍は師団辺りの火力密度の向上、海軍は既存艦の条約対応化改装に合わせて近代化することに注力すれば良いだろう……と、当時の国家中枢に位置した人々も、市井に暮らす一般市民でさえも、そう考えていました。――西暦一九〇八年六月三〇日、日露戦争の結果中立緩衝地帯となった、朝鮮半島は大韓帝国の帝都、京城がこの世から消滅するまでは。
さて、時間になりましたので本日の講義はここまでとします。例によってここまでの講義での疑問点、深掘りしたい点、参考資料等の問い合わせにつきましては、次回講義までに私の研究室まで簡易レポートの形で提出するようにしてください。
では、また次の講義でお会いしましょう。
ついカッとなって吹き飛ばした。今でも反省していますん。




