57.彼らを繋ぐ線とは。そして、カーテンの隙間【第2部最終話】
「なんですって?」
楠見は受話器を耳に当てたまま大声で聞き返して、それからあたりを憚り少し声を落とす。
「相原哲也の『引越し先』って……あの、両親に伝えていた……町田の?」
『そ。実際に住んでたのは峰尾さんって家族なんだけどね、そこんちの一人息子がね、なんとお宅の――緑楠高校の一年生だったのよ。地元の公立中学を卒業して、この春にそちらに入学したそうだよ』
少しの間、絶句する。
長い長い前置きの後で、やっと古市の口から出てきた「大変な見逃し」の正体とは。相原哲也が自分の両親に告げていた「転居先」に、緑楠高校の生徒が住んでいた、というものだった。
事件の後で、この哲也の「転居先」をもう一度調べてもらうように頼んだのは、深い期待のあってのことではない。念のための調べなおしである。警察の動きに注意しつつ、という条件も付いていたため少々難航したが、警察がまだ目を付けていないことを確認し隙を見ながら調査を続行した結果が、これだという。
『ねえ、楠見ちゃん……これって偶然じゃないよなあ?』
古市が、遠慮がちな口調でそろりと聞く。
たまたま適当に言った住所に、たまたま緑楠高校の生徒が住んでいた? 近所の公立高校なら分からないではないが、何百という選択肢のある中でのこの一致だ。町田市は緑楠高校に通う生徒の自宅として不自然なほど遠くもないが、「何軒に一人」というほどたくさんの生徒が住んでいるわけでもない。
(繋がっているのか?)
だがその「繋がり」が、見えない。
三年前に卒業した相原哲也とでは、単なる先輩後輩の関係とも考えにくい。
アキヤマ、それにシバタ。リストに載っていなかったサイたち。彼らを繋ぐ、「緑楠高校」以外の線の上に、その生徒もいるというのか。
『俺ね、てっきり夫婦二人だけの家だと思ってたの。前にアプローチした時さ、営業のフリして家族構成を聞いたんだけど、息子のことなんかあの奥さんおくびにも出さなかったし、存在感全くなかったわけよー』
騙されたとでもいうような調子で、古市は続ける。
『ところがどっこい。今朝ちょうど家から高校生が出てくるところを見て、近所の人に聞きまわって、やっと息子が一人いるって分かったのよ。どうも親との仲はあんまり良くないみたいよ』
「……その、生徒の名前は分かりますか? それから、生活に不自然な様子はないですかね。哲也くんがそこに出入りしている可能性は……」
勢い込んで訊くと、『待った待った』と答える声がして、それから少しメモでも確認するような間が空き。
『えっとねえ……』と古市が電話を取り直した気配が伝わってきた。
『生徒の名前は峰尾裕介。山の峰に、尾っぽの尾に、余裕の裕で紹介の介、ね。お宅の高校の一年。クラスまでは知らねえよ?』
「ええ、構いません。本人にはこちらで接触します」
『うん、頼んますわ。峰尾家はね、父親は大手家電メーカーに勤めるサラリーマン。母親は専業主婦。まあ平均的な核家族だ。近所の人の話じゃね、息子が小さい頃はそりゃ仲のいい家族で、自慢の息子に教育ママちゃんとパパちゃんだったらしいんだけど、中学に入ったあたりからこのママちゃんの話に息子が全く出てこなくなっちまったんだとさ。訊いても不愉快そうにお茶を濁されるんで、息子がグレたのかと思ってたってんだがね、当の息子――裕介くんね、これは別に取り立てて問題のありそうな感じには見えなかった、ってさ』
手元のパソコンで学生名簿を検索する。一年八組。楠見のもとにいるサイたちには同じクラスの者がいないことを確認し、個人情報画面を開いた。たしかに同じ住所だ。
理事長室のパソコンにこの住所が表示されたことに、愕然とした。今回は何もかも、身近に答えがありながら後手に回っている。
歯噛みをする思いで、楠見はパソコンの画面を睨みつつ受話器を握り締めた。
『そいでねえ、一日聞き回ったり張り込んだりしてんだけどね。外から見た限りじゃ、取り立てて不自然なとこはないよ。家族以外の人の出入りもない。まあ、今日一日だけのことだから、なんとも言えねえけど』
「そうですか――」
答えながらも、楠見は考える。相原哲也にはテレポーテーションの能力がある。他人の目に一切触れずに、直接家の中に出入りすることも可能だ。
そのままパソコン上に地図を開き、住所を検索する。表示された場所を見て、さらに目を見張った。
先ほどの刑事たちが話していったことが、頭の中でカチリと繋がる。
峰尾家を中心にした地図の左隅に、引っかかるようにして表示された鉄道路線。横浜と八王子を結ぶ、JR横浜線――。
(これは……)
哲也は両親の家を燃やしたその朝、電車に乗ってこの家に来たのか?
何度も長距離の移動を繰り返し、さらに家を全焼させるほどの大きな発火能力を発動し、体力の限界だったのかもしれない。最後は町田の峰尾家まで飛ぶ力はなく、電車でやってきた。
『ほんと、申し訳ない』
古市は電話の向こうで頭を下げたようだった。
『こんな重要事項にこれまで気づかなかったなんて、俺ぁショックよ。情けねえ……』
「いえ――」
いつもの調子のいいしゃべり方ではあるが、がっくりと肩を落としている雰囲気が混ざっていて、楠見は古市の言葉を遮った。
古市に最初に調査を依頼した段階では、相原哲也は十四人の中の一人だったのだ。一人ひとりにそれほど時間を掛けることもできなかったのだろう。そうしているうちに相原哲也は事件を起こして警察にマークされ、哲也の身辺、警察の手が及びそうな場所から古市を一旦遠ざけることを余儀なくされてしまったのである。
古市が早くにこの事実を突き止めることができなかったのも、仕方なく思えた。
今日これが分かっただけでも幸運と取るべきかもしれない。
「こちらも最初に緑楠の名簿を当たってみるべきでした。これから不審な住所を見たら学生名簿を確認する。肝に銘じますよ……」
執務机に肘をつき、その手で額を押さえてため息混じりに言う。
『良けりゃ、峰尾家を少し張り込むよ? お詫びに追加料金はナシだ。向こう三日ぐらいでどうだい?』
「ええ、お願いします。追加料金はお支払いしますよ。三日以内にその生徒に接触できればしますが、その間に相原哲也の出入りがないとも限らない。万一何かあればすぐ連絡をください」
『了解』
でも追加料金はナシでいいのよー、と妙な節付きで言って、古市は通話を切った。
町田のその生徒――峰尾裕介の家に、相原哲也がまた現れる可能性はあるのか。匿われているのか。そうだとして、彼はどういうつもりで哲也を匿っているのか。哲也の起こした事件は知っているのか。
たとえば脅されるなどして仕方なく寝床を提供しているのであれば、こちらは話をつけやすい。しかし万一、知っていて積極的に庇っているのであれば――あるいは共謀しているという恐れもあるだろうか?
相原哲也と峰尾裕介の繋がりとはなんだ? サイである可能性は? そしてもしもサイなのだとしたら、伊織と同じように何者かにこの学園に「入れられた」という可能性は――。
一足飛びにそこまで考え、額を押さえた格好のまま幾通りかの可能性を頭の中でまとめながら、楠見は再び受話器を取った。
重たいものの倒れる音で、峰尾裕介はハッと目を覚ました。音の正体は、寝起きのよく回っていない頭でも想像が付く。
両親が音を聞きつけて起きてきたりしないかということが気に掛かり、部屋の外へと神経を巡らす。誰かが起きだしたような気配はなく、内心でほっと息をついて。
こんど彼が来たら――。
確認しようと思っていたことがあった。
ベッドに体を入れたまま、ベッドサイドにある机の上に手を伸ばす。一昨日と昨日、学校で配られた妙なビラ。そこに書かれている「事件」は、彼が「両親を燃やしちまった」と告げたのと同じ日に起きたものだった。そしてそこに「犯人」として記されている名前は。
彼。相原哲也だった。
紙を手に取り体を起こしかけたところで。
床に倒れたものから聞こえてくる音に、裕介は眉を顰める。
苦しげな息遣い。これまでに聞いたことのないほどの、重々しい音。
暗がりの中、床に四つん這いになっている男の姿が浮かぶ。肩で荒い息をしている。
「……哲也さん?」
じんわりと恐怖を感じながら、裕介はベッドの上に起き上がった。少し迷って、部屋の照明のリモコンを取り上げ、照度を落とした明かりを点ける。
水の中を潜ってきたかのような哲也の姿が目に入り、触れようとした手を無意識に引っ込めた。濡れてぺったりと肌に張り付いたシャツは、所々黒ずんでいる。
「て、哲也さん、どうしたの? 大丈夫?」
哲也はゆっくりと、億劫そうに首を持ち上げた。額が汗でびっしょりだ。顔色も悪い。見るたびに疲れ切って青白い顔をしていた哲也だが、今のこれは疲れているというレベルには見えない。
「どっか悪いの?」
迷惑だとか困惑だとかを横に置いた、純粋な心配が半分。後の半分は、見るからに重篤そうな状態の他人が自分の部屋にいることへの恐怖。
「……少し、休めば……大丈夫だ……」
切れ切れに、哲也は答える。そうは言われても落ち着かない。裕介は手にしていた紙をベッドに置くと、足音を忍ばせて階下へ行き、コップと冷蔵庫の中のウーロン茶のペットボトルを取って部屋に引き返した。ウーロン茶をコップに注いで哲也に渡す。哲也は意外としっかりした手つきでそれを受け取り、飲み干した。
「悪いな」
そう言ったきり、これ以上は耐えられないというように床に横向きに倒れ込む哲也。まだ息が荒い。どうすればいいのか分からず、裕介はベッドに背をもたれて床に座り込む。
「なあ、どうしたの? 何かあったの?」
少し呼吸が落ち着いてきた様子を見て、声を掛ける。言ってから、また「しまった」と思う。これ以上、彼の事情に立ち入りたくはないのに。
哲也は床に転がったまま、裕介に目を上げた。
「追われているんだ……俺……」
「……警察に?」
恐る恐る聞きながら、ベッドの上に置いた紙をちらりと見る。
仰向けに寝転んでいた哲也は、裕介の視線を追ってベッドの端から角を見せている紙に目を留めた。紙に手を伸ばし、頭の上にかざして。紙面にさっと目を走らせて。
「ああ――そういう騒ぎになっちまってる、か」
「なあ、それに書いてあることって……」
「本当だ。全部……」
裕介は言葉を失う。
紙を持った手を下して、哲也は裕介へと目を向けた。
「……わざと火をつけたんじゃないんだ。感情を抑えきれなくて。気づいたら――」
言いながら体を起こし、裕介と向かい合う。
「俺は、サイの組織にいた。そこで仕事をしていた。その組織がサイの『能力開発』のために妙なプログラムを作って、能力を持っている人間に配り始めたんだ」
小さく息をついて、哲也は語る。
「サイを育てて、仕事に使うための、試作品としてな」
立てた膝の上に肘をついて、哲也はうなだれるような格好でくしゃりと髪をかき上げた。
「だがな……このプログラムは失敗作なんだ。大きな能力を身に付けちまったサイが、コントロールし切れずに能力に振り回されちまう。俺も。プログラムを使ってから、能力が格段に上がった。だけど、抑えることができない。感情が昂ると――」
震えるように言葉を切る。その緊張が移ったように、裕介は、ぞくりと身を震わせた。
「こないだここで預かってもらった、シバタってヤツもな。あいつもプログラムを送り付けられて。試して以来、発火能力に目覚めちまったんだが、定期的に能力を使って火をつけないといられない体になった。プログラムの副作用だ」
にわかに信じられる内容ではなかったが、それでも語られた内容に直接体が反応し、裕介はまた身震いをした。シバタの丸っこい体を思い出す。そんな気味の悪い人間がこの部屋で数時間を過ごしたのだという嫌悪感と、そんな人間を連れてきた哲也への憤りを感じながらも、裕介は哲也の次の言葉を待つ。
「組織はそのプログラムを回収して受けた人間をケアするどころか、失敗しておかしくなっちまったヤツらを見捨てた。だから俺は、プログラムが送られた人間を回って、注意を呼びかけてたんだ。けど、一緒にそれを始めた仲間とずっと連絡が取れない。もしかしたら、もう消されたのかもしれない」
哲也はそこで、疲れたように言葉を切る。裕介はしばらくの間、言葉を失っていた。これまで、「両親を燃やした」と話したきり、それ以外に事情を語らなかった哲也が、なぜだか口を割り出した。真剣に語られるその内容は、しかし、さっきまで読んでいた漫画のあらすじを話しているとしか考えられないようなものだ。どう受け止めればいい? 裕介は困り果てる。
「なあ、あのさ……あの。とても信じられないんだけど……」
やっとのことで、本心を絞り出す。哲也は疲労の滲む笑顔を見せた。
「だろうな。信じられなかったら、本気にしてくれなくても構わねえよ。けどもし、この先、俺と連絡が取れなくなったら――」
哲也は笑顔を消し、真摯な表情で裕介を見る。
「俺もその組織に消されたんだって思ってくれよ」
どう答えていいのか分からず、哲也の疲れ果てたような顔を見つめていると、哲也は再びかすかに頬を緩めた。しかし。出てきた言葉は、とても笑顔で語れるようなものではない。
「俺を追っているのは警察だけじゃない。いや……警察ならまだいいかもな。プログラムを開発した組織がな――。奴ら、俺のことも消そうとしている」
淡々とした口調で言って、くたびれたように息をつく哲也。自嘲気味に頬を歪めて。
「見つかっちまったんだ。さっき。組織の奴らに」
「……えっと?」
「テレポーテーションでどうにか逃げ切ったけど、……俺にはもうあんまり力が残ってない。もともとこんな大きな能力が使えるような優秀な能力者じゃなかったんだよ。どこまで逃げ切れるか分からない。向こうには、俺よりももっと優秀なサイがいるからな。俺の居所を見つけることもできるかもしれない」
じわじわと、哲也の言っていることの意味が伝わってくると、話を信じるか信じないか以前に新たな恐怖が込み上げてきた。はっきりとした重さを持った、切実な――。
「なあ、それって……」
新たな恐怖の正体を口に出そうと言葉を捜す裕介に、哲也は哀れむような、詫びるような表情を作って、
「ああ。ここの場所はどうにかまだ知られていないけどな、お前も注意はしておいてくれ」
愕然と、裕介は目を見開く。恐怖に背中を押され、思わず這いつくばって窓に寄り小さくカーテンを持ち上げた。腰の高さほどの窓から、膝立ちになって目だけ覗かせ窓の外を窺う。人の気配はない。当たり前の、午前三時の住宅街の道だ。
裕介はカーテンをそっと下ろす。
哲也が小さく息をついて、裕介の背中に声を掛ける。
「大丈夫だ。今は、な。この家にまで迷惑掛けないように、気をつけてはいるんだ。けど、そのうちに組織の連中がお前に目をつけるかもしれない」
「……なに、言って……?」
かくかくとした動きで、裕介は哲也を振り返った。
「奴らは緑楠を、サイ組織の拠点にしようとしているのさ。だから俺は、お前に――」
「ちょっと……ちょっと待ってよ。え? 待って、俺、……知らないよ、何も」
裕介は混乱していた。自分に緑楠高校を勧めたのは、この目の前の男だった。学習塾で紹介されて、気が合って。母校の話を聞かされて。自分もこの人の話す高校に入りたいと、ただそれだけで。
「まだ、接触してきてないよな?」
「は? なに、接触って……?」
「万一お前をサイ組織に勧誘してきたり、能力をテストしようとしたりする奴らが現れても、知らないフリをしろ。能力を持っていることを知られるな。関わり合いにならなければ、何もされたりしない」
「……訳が分からないよ……何を言ってるんだよ、え? だって……」
「お前と俺の個人的な繋がりを知っているのは、あの塾の先生――俺をお前に紹介してくれた――あの人だけだ。一緒に組織を出てきて、連絡が取れなくなってる……」
(何、勝手に話進めてるんだよ、俺ぜんぜん付いていけてねえよ……)
混乱を極める頭の中で、裕介は抗議の声を上げるが、もはや言葉にならない。
「すまないが、少し休ませてくれ。朝になったら出ていく」
答えずにいると、哲也は辛そうに眉を寄せて目を閉じた。
裕介は取り残されたような気分でしばらく哲也を見つめていたが、やがてベッドに戻る。床に転がる哲也をチラリと見て、仕方なく毛布を一枚提供してやり、自分も布団に潜り込んで部屋の明かりを消した。そのまましばらく眠りに落ちることもできずに、哲也の語った内容を頭の中で繰り返す。
(どうしろって言うんだよ――)
もしも自分と連絡が取れなくなったら、だって?
そんなことになったとして。それが哲也の言う通りサイ組織の仕業なのだとして。そんな馬鹿な話が有り得るとは思えないが、仮に、もしもそれがみんな本当だったとして。
――いったい誰に相談すればいい? 警察が信じるか? 駄目だ。警察に駆け込んだって、頭がおかしいって思われるだけだ。おかしいのは俺じゃなくて哲也なのに――!
それに、万一警察が、その話の一部でも信じて家にやってきちまったら?
放火殺人犯として追われている哲也が、この家に出入りしていたことを、警察にどう説明する? 俺が匿っていたとでも思われたら。
親はなんて思う? 親は――そうだ、その組織って奴らが、まさか家を訪ねてなんか来たら――。
単に、哲也がもう来さえしなければ解決すると思っていた問題が、知らない間に哲也を媒介とせずとも直接自分に触れてきそうなほどすぐそばに迫ってきている。
孤独な混乱を抱えて、叫び暴れ出したいような気持ちを抑えつつ、裕介は布団を頭の上までたくし上げた。
(――ん?)
住宅街の高台の道路に車を止めて、運転席のシートをリクライニングさせ時おりぼんやりと対象の一軒家に目をやっていた古市は、変化に気づいて体を起こした。ダッシュボードの時計を確認する。午前三時十三分。
(何かあったのか?)
二階の窓に、明かりが点ったのだ。峰尾家の、息子の部屋だろうと当たりを付けていた一室だ。少し前に目をやったときは、見える範囲ではどこの電気も点いてはいなかった。
明かりは小さく、中の人影は見えない。じっと見ていると、廊下らしい小窓に明かりが点き、階段と思しき窓も明るくなる。一階の、見える範囲の窓には明かりはないが、庭の木にかすかに光が当たったところを見ると、中の人間は一階に移動したらしい。
(……便所にでも起きたのかな)
首を傾げつつ注視する。辛うじて見える玄関には、変化はない。誰かが訪ねてきたような気配もない。そもそもこんな時間に訪ねてくる人間がいるなら、相原哲也でなくても不審人物だ。
助手席に放り出してあった双眼鏡を取り上げ、二階の窓を覗く。カーテンはわずかな明かりを透かしてはいるが、隙間なく閉まっており中の様子は窺えない。全体を一度見回すが、手掛かりはない。
峰尾家の照明は、点いたのと逆の順序でまた消えて、二階の最初に点った明かりだけが残る。
そのまましばらくの間、深夜の住宅は動きを止め静まり返っていたが。
ふと。窓辺に動きを感じて、古市は双眼鏡を構えなおした。
(出たか――?)
カーテンが持ち上がる。小さな隙間から中までは見えないが、双眼鏡越しに見れば、中から誰かが目を出して周囲を窺っている様子なのが分かった。二つの目は少しの時間、注意深く辺りを見回しているようだったが、そのうちにカーテンがまた完全に閉ざされた。
目元しか見えず、相手の正体は分からなかった。若い男という印象を受けたが、判然としない。しかし。
就寝から何時間も経って、手洗いや水分補給に起き出した人間の行動としては、ちょっと不自然じゃねえか? 古市は違和感を覚える。室内の人間は、何かを警戒しているのか。あの開け方は、たとえば現在の天気を確認する、といったような屈託のない目的ではないだろう。
少し経って、また部屋の電気が消えた。明かりがあったのは、三十分程度のことだろうか。
古市はポケットからスマートフォンを取り出す。朝になってからでもいいが、あのワーカホリックの副理事長はこんな時間でも起きているかもしれない。眠っていたって電話で起きる。
予想通りすぐにしっかりとした声で電話に出た楠見に、峰尾家の静かな動きを、あったままに報告する。短いやり取りで通話を切って、古市は峰尾家に目をやりながらもう一度シートに身を沈めた。
【第2部・完】




