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朽ち果ての王と宵闇烏  作者: 吉野花色
第1章:朽ち果ての夜へ
6/33

2-2

 十季に導かれるまま扉を抜けると、そこは夜闇に仄白く浮かび上がる屋内庭園だった。とろけそうな白い大理石の壁と、曇りひとつないガラス張りのドーム天井。今はそのガラスと生い茂る木々の枝葉越しに、夜空と細い三日月が静かに私達を見下ろしていた。


「すごい」


 濃い土の匂いが立ち上る地面に、壁と同じ白い大理石の道が伸びている。手を引かれてその上を歩きながら私は呆然と呟いた。だって、こんな、まるで夢でも見ているみたいだ。


 この夢のような庭園は六角形の造りをしているらしい。滑らかな白壁には一面にひとつずつ、色も材質も同じ銀色に鈍く光る金属の扉が嵌め込まれている。扉から伸びる道は庭園の中央へ、その交差するところには磨かれた鏡のように夜空を映し輝く池があって、中央に浮かぶ木と漆喰の東屋へ銀の橋が架けられていた。


 日本の一般的な家庭に育った私にはまるで縁のない、ある種非現実的な空間。けれどこの光景に酷く心が落ち着くのは何故なんだろう。小さく首を傾げて――あ、と思った。庭を埋め尽くす木々や草花、それらが私にも馴染み深いものである所為だと。


 松に竹、藤に水仙、紫陽花に躑躅と、知っている植物を見つけては小さくその名を呟いて、あちらこちらときょろきょろしては感嘆の息を漏らす私を見つめる十季は至極満足そうだ。


「気に入った?」

「とっても。何だか……すごくほっとする庭だね」

「趣味が合うようで安心したよ。なるべく自然のままに、私の好きな草木ばかりを配してある。うら若い女性には少々渋すぎるかと」

「ううん、むしろ十季がヨーロピアンガーデン趣味じゃなくてほっとしてるところ」


 言えば、十季が堪えきれないとばかりに噴出した。でも事実、整然とカラフルに整えられた洋風の庭はどうも苦手なのだ。一見無造作に見えて、細かなところまで心を配られたこの庭は優しく微笑む十季その人に似ている。そんなことを思いながら白い道を進んで、私達は鈍く柔らかに輝く金属製の橋を渡り東屋へとやってきた。


「さて、今は簡単に教えておこうか」


 促されて私は長椅子に腰を下ろし、隣に座った十季の少し高いところにある顔を見上げる。


「いいかい。ここは離宮……朽ち果ての城の中にある私の宮、その最奥部だ。ちなみにあちらが私の部屋。何時でも好きに入ってくるといい」


 六面ある壁のうち、扉は5つ、残りの一面には真珠色の幕がかけられている。十季の指が示したのは幕の対面にある扉。


「その右隣が先程の部屋。君の部屋を用意させてはいるけれど、少し時間がかかりそうだからね。しばらくはそこを使って欲しい。その右隣は書庫、書庫の向かいが臣下達の隊舎、私の部屋の左隣は〝円卓の間〟……大広間のようなものだね」


 十季がさらりと言った内容を私は慌てて頭に叩き込んだ。まず、最初に十季の部屋。そこから時計回りに隣が私の仮住まいで、次いで書庫、真珠色の幕がかかった面を挟み次が隊舎で、その隣が〝円卓の間〟と。全て同じデザインの扉だから間違えないよう、私は扉の配置を呟いた。


「宮にある部屋は自由に出入するといい。隊舎の入口にある詰所には何時も誰かしら居るから、困ったことがあれば声をかけなさい」


 ただし、と十季は真剣な表情で真珠色の幕の方へちらりと視線を投げる。


「あの幕の向こうは離宮の表部分、そして外へと繋がっている。私の臣下でない者の出入りもあるからね。決して1人では行かないでおくれ。薄い布切れ1枚隔てた向こうは〝敵陣〟に等しい。どうしても出る必要があれば、その時は必ず誰かを連れていけ」


 酷く真剣な声色に、私はただ頷くことしかできなかった。そうか、私はこれから本当に文字通り命を狙われるかもしれないのだ。けれど困ったことに実感は湧かず、十季の忠告にも曖昧な不安を抱くことしかできない。


 先の事態を想像することができないこと。私はそれが、何よりも怖かった。十季は私の顔にそんな怯えを見つけたのだろう。宥めるように微笑んで見せる。


「心配いらない。私の臣下は皆優れた吸血鬼だ。君のことは誓って守る。さあ、彼らを紹介しよう。おいで、木蓮」


 十季は再び私の手をとり立ち上がると、ゆったりとした足取りで〝円卓の間〟の方へと歩き出す。ふと見れば、庭の彼方此方(あちこち)に今は裸の木蓮が植えられていた。春になれば蕾が開いて、滑らかな花が静かに静かに咲くのだろう。私に与えられた、彼の一番好きな花。


「ここに植えてあるのは白木蓮なんだ。私は紫木蓮よりも白木蓮が好きで」

「私も……白い方が好きだわ」


 白い木蓮の花びらは、何処か私達の肌の色にも似て美しい。私がかつて住んでいた家にも古い白木蓮が植えられていて、花の季節はその花びらを拾っては手触りを楽しんだものだ。


「この庭は、私の好むものだけで満たされている。例え臣下であろうとこの庭へ入れるのは許された者だけでね。それ以外の者が立ち入れば通常死罪に値する。ここは私の心の中に等しい。無断で立ち入ることは一切許さない」


 十季は愛おしそうに木蓮の枝を見上げている。その視線がまるで私に向けられているような心地になって、ぞくりと背筋が震える。


「でも、今日からは私と君の物だ、木蓮。私は君を、この心の中に住まわせる」


 十季の言葉は厳かな宣言のようで、彼がそのまま指先に触れるだけの口付けを落とすのを私は呆然と見ていた。何故だろう。このとき初めて、私はとてつもない運命を受け入れてしまったのではないかと――心の中にほんの少しの恐れの欠片を見つけたのだ。

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