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朽ち果ての王と宵闇烏  作者: 吉野花色
第1章:朽ち果ての夜へ
32/33

11-1

 さあ、威厳という名の衣を纏おう。

 片手には姫君の仮面を。

 片手は十季の手をとって。




   ◆◆◆




 日が暮れて、再び夜が来て。十季と、私と、近衛烏と、黒い円卓を囲む椅子の全てが埋まり、辺りに漂う空気が冷たい緊張感を孕んでいる。


「……では、あくまでもこちらから手は打たぬと」


 まるで氷のような声だ、と思った。声の主――凛の表情もまた同じくらいに冷たく硬く、そして彼女の発する冷ややかな怒気は間違いなく私へと向けられている。


「手を打たぬ、ではない。こちらから手は出さぬと言った」

「しかし!」


 十季と言葉を交わす合間、時折凛の鋭利な視線が私を掠めていく。その度に非難と蔑みが棘になってブスリと刺さった。別に痛くはないのだけれども、居心地はと聞かれれば「悪い」の一言に尽きるだろう。


 そもそもの発端は日の暮れた頃。身支度を整えた私は十季について円卓の間へと足を踏み入れた。中にはもう近衛烏達が集っていて、私達が椅子につくなり昨夜巴と接触した顛末の報告が始まったのだ。


「では、誰が参りましょうか」


 報告が終わるなり白翁がそう言った。それに「ああ、そうなんだ」と思う。近衛達は誰も疑っていないのだ――戦うことを。昨晩巴は明らかに宣戦布告ととれる行いをした。つまり今私達が巴を襲ってもそれは〝報復〟という大義名分がある。


「殿下、是非私に」


 目には目を、歯には歯を、血には血を。戦いこそ本能、血は流れるのが当然と目を輝かせ、勇んで立ち上がった凜をしかし十季は片手で制した。


「殿下……?」

「こちらから、手は出さぬ」


 十季の言葉に凜が言葉を失った。それは他の宵闇烏達も同様で、あの白翁ですら戸惑いを露わにして十季の顔を見つめている。


「木蓮の身分が公になるまで、我々は彼女を守ることに専念する」


 そうして、冒頭へと至る訳だ。


「……では、あくまでもこちらから手は打たぬと」


 唇をぎゅっと引き結び吐き捨てるように言った凜。彼女と対面するのはこれで2度目だ。というよりも私についている羽衣と睡蓮、それから昨日十季の護衛をしていた玉緒と天都以外は初対面したあの日以降一度も会っていなかった。しかも羽衣や睡蓮と濃密過ぎる付き合いをしてしまった所為か他の近衛烏達の印象は最早おぼろげで。


 凜に関しても初対面では〝長身で男装の麗人〟程度の印象だった。意志の強そうな目、薄い唇、しなやかな体つき、そして男も女も同じ仕様の黒衣――今こうして観察してみてもイメージ自体にそうズレはない。ただ彼女の印象が〝男っぽい〟にならないのは彼女の髪が柔らかそうな亜麻色の猫っ毛で、薄らと赤い唇の色はやはり女性のもので、そして彼女の肌が酷く滑らかだからだろう。


「殿下、何故です。私にお命じ下されば、すぐにでも巴の首を刈って参ります!」


 そんな彼女、十季が「こちらから手は出さない」と告げてからもうずっとこの調子である。言葉の端々から察するに彼女はどうやら根っからの武闘派で、熱烈な十季殿下崇拝者。そして、多分アンチ姫君主義者。これはあくまでも私の想像ではある。何にせよ吸血鬼だからというのを差し引いても美人、なのだろうが――気が強いというか、険があるというか、気位が高いというか――ひっくるめて今にも手袋を叩きつけてきそうな雰囲気がある。本当に、某歌劇団に登場しそうな人だよなあなんて私は場の空気も読まず冷たい視線は気づかぬ振りで、ひとりそんなことを考えていた。


「常闇の行いは明らかに一線を越えております。ならば、こちらはそれを断ずるべきではないのですか。何より〝姫君〟の御身の安全を考えてもそれが最善である筈!」


 少々含みのある言い方で私を〝姫君〟と呼んだ凜に十季は「言われなくても分かっている」とうんざりしたような空気を滲ませる。それもそうだ。十季だって本当なら今すぐにでも巴を斬ってしまいたいに違いない。それをしないのはあくまで私がそう望んでいるからであって、彼の本意ではないのだから。――すると。


「凛、くどいわ」


 凜の纏う氷のような空気を粉々に砕く鋼の声。その声の主が羽衣だと気付くのにはしばらく時間がかかった。ふざけたおかっぱ姿は紛れもなく羽衣のもの。けれど、そこにいつものへらへらした羽衣の面影はない。目にはあからさまに凜を見下す色を浮かべ、唇は冷笑の形に歪んでいる。羽衣の様子に滔々と十季に語りかけていた凜も顔を強張らせぴたりと口を噤んだ。


「十季が手は出さぬと言っている。ならば、我ら近衛の返すべき答えはひとつ」


 羽衣の声が静かに、けれど絶対的な力をもって辺りに響く。ああ、そうか。十季の右腕ってこういうことなんだと私も深く納得せざるを得ない。


「分からぬなら、今すぐに失せよ。……凜」

「はっ」


 凜の声は上擦ってしまっていたが、しかしそれに屈辱を感じるほどの余裕も今の彼女にはないようだった。そうして背筋を伸ばした凜に羽衣は短く問うた。


「答えを」

「と、十季殿下の、御心のままに」

「他の者も異存ないな」


 抑揚のない羽衣の声に次々と「応」の答えが返った。それを受け、羽衣はつまらなさそうにひとつ鼻を鳴らして十季に告げる。


「終わった」


 その言葉に十季は静かに頷き微笑んで――それ以降の話し合いは不気味なほどにあっけなく進んだ。皆、表面上は平静を保っている。けれど凜は内心煮えくり返ってそうだなあ――と俯き表情を強張らせている凜を盗み見た私はこっそり苦笑した。けれどそれ以上に気にかかるのはやはり羽衣だ。思えば昨日、戦わないと十季が決めた時に誰よりも動揺をしていたのは他ならぬ羽衣なのだから。


 それにだ、と円卓を見回し私は心中で溜息をついた。先程は羽衣の言葉に全員が同意していたけれど、本当は凜のようにこちらから手を出さないのが気に食わない近衛がいたって不思議ではない。――いや、間違いなくいる。しかしだからと言って手を出さないという選択を今この場で全員に納得させる方法があるだろうか。あるのかもしれない。が、残念ながら今の私では思いつかないのが正直なところだった。自分の意志ではなく「命令だから」と従う体制を嫌だと思っておきながら結局は自分の立場をもって理想を押し通している現状が忌まわしい。


 ああ、でも。何時だか読んだ小説の主人公がやっぱりそんなようなことで悩んでいたなあと思い出す。国王であった姉が陰謀に敗れ亡くなって、不意に王冠と権力を手にした彼。彼は何度も理想の為に犠牲を強いられ、迷って、立ち止まって、泣いて――でもある日側近に言われるんだっけ。迷うから、立ち止まるから、あなたは間違って道から外れても自分で正しい道へ引き返すことができるんだとかなんとか。何とも小説らしい考え方、そんなの気休めだと思う。でもそんな気休めでもなければきっと前にも後ろにも足を踏み出せないまま立ち尽くしてしまう。それだけは駄目だと彼も私も知っている。


「姫君、よろしいでしょうか」


 白翁の声にふっと我に返った。何に同意を求められているのか。慌てて意識の隅で追っていた話し合いの内容を整理する。ええと、とりあえず「こちらから手は出さない」方針を徹底。天都、玉緒は引き続き十季に、羽衣と睡蓮は私につく。瑠璃は巴の隊を牽制、他の隊は通常営業と。それと私の〝お披露目〟については大学の卒業式の翌日に決まったらしい。それまでは影での攻防が続き――その日以降は恐らく戦いになる。


 何故か、ふっと珠皇の顔を思い出した。私の首を撫でていったあの指、視線。「宵闇姫、生き残れ」珠皇はそう言った。私も「うん、そうだね」と心の中で囁き返す。迷っても、悩んでも、泣いても、生き残れれば先がある。死ねば、先どころか来た道すらも消えるのだから。


「うん、問題ないよ」


 内心の重い感情とは裏腹に、私は気の抜けた顔で白翁へ頷いてみせる。




 程なく話し合いは終わった。近衛達はそれぞれの仕事へと戻っていき、十季も何やら用があるからと名残惜しそうに私の頬へ口付けを落として去り――円卓の間に残されたのは私と本日の守役らしい羽衣、なのだが。


「羽衣」

「……ん」


 先程までの威圧感こそなくなったものの依然無表情のままの羽衣の扱いに私は困り果てていた。ひとまず引きずるようにして私の部屋へと連れてきたものの、声をかけても「ああ」だの「うん」だの生返事で何かを考え込むばかり。


 こうなっては仕方がない。私は羽衣を椅子に座らせて、彼が通常運転に戻るまでマイペースに過ごして待つことにした。今日は特にすることもないし、吸血鬼の活動時間帯はまだ始まったばかり。何せぶっ倒れたばかりなのだし、少しばかりのんびりしてみるのもいいかもしれない。


 日が落ち今度こそ真っ暗になった窓の外、雨はまだ勢いを失っていないようだ。闇の中を真っ直ぐに落ちていく雨粒の軌跡を眺めながら、ふと思い立って珈琲を淹れてみることにした。


 部屋の隅に衝立てで仕切られた即席ミニキッチンは昨日頼んで用意してもらったものだ。羽衣からは「は、なんで?」と想像した通りの台詞を頂戴したが、何にせよ無事私の部屋には高級珈琲メーカーが設置された訳である。勿論珈琲以外にも、各種お茶、ミネラルウォーター、アルコールや氷、食器類まできっちりセットされ――正直この贅沢にはすぐに慣れてしまう予感がした。


 ともあれ私は自分にマグカップ並々の珈琲を、それから羽衣には緑茶を用意した。湯気の立つ湯呑を羽衣の傍のテーブルにことりと置き、私は自宅から持ってきた文庫本――敢えてコメディタッチのライトノベル――を片手にベッドに胡坐をかいて珈琲を啜る。それからしばらくの間、部屋には静かな、私がページを繰り珈琲を啜る微かな音だけが響く時間が流れていった。


「……姫さん」


 どのくらいの時間をそうしていただろう。羽衣がぽつりと口を開く頃、私は文庫の半分ほどに差し掛かり、珈琲は2杯目をあらかた飲み終わっていた。その残りを飲み干して、私は心がけて呑気に「なあに」と羽衣に答える。


「昨日も言ったけど、年寄りはさ……中々変われないんだ」

「うん」

「吸血鬼は戦って、力を示すのが常道。そういうことを俺達はずっと繰り返してきた。何時からかなんて覚えてもいられないくらい」


 困り顔で、羽衣は言葉を選ぶようにそろそろと話す。


「それを、十季は変えるって言う」

「私が、いるから」

「そう。姫さんがそれを望むから」


 羽衣は「なあ姫さん」と呟く。


「それが十季にとって正しい道なのか、俺には分からない。分からないから悩んでいる。どうすべきか。諌めるべきか。けれど十季が行くと心を決めたなら、俺も行く。それは今も昔も変わらない」


 立ち上がって音もなく近づいてきた羽衣を私は見上げた。羽衣の手が迷うように伸ばされ、そっと私を抱き上げる。片腕で苦も無く私の体を支えて、もう片方の手のひらが私の首をそっと撫でた。私はその、何かを思案するような行為をただ見守る。


「姫さんを殺しちゃえば、いっそ」

「そうだね」


 目線を合わせ真っ直ぐに羽衣が言う。きっと彼なら、このまま私の首の骨を砕くか、皮膚を切り裂くかしてあっという間に私を殺せるだろう。でも私は羽衣の腕に身体を預け、その頭を胸に抱き寄せ羽衣の心を思う。


「……でもさ、俺、姫さんのこと結構好きなんだよ」


 その言葉が真実であることは身体に流れるお互いの血が教えてくれる。何より、私を抱きしめてしっかりと支えている腕が、子どもみたいにすり寄せてくる頬がその証だ。それに、と羽衣は続ける。


「俺は十季の〝引き〟の強さは信用してる。人誑(ひとたら)しなんだ、奴は。好き勝手、我が儘、無茶ばかりやる癖に人が集う。この国が嫌いで、思えば窮屈だ退屈だと何度も朽ち果てを逃げ出そうとしてた」

「そうなの……?」

「俺が出会った頃にはさ、そういう奴だったんだよ。それがいつの間にか……」


 凍って、ろくに笑いもしなくなった。元々〝人間味〟に欠ける性格ではあったけれど、それだって日々をそれなりに楽しんで生きていた筈だったのにと苦々しげに羽衣は続ける。


「今の十季は文句のつけようもなく〝王〟だ。支配者というものを体現するような。まるで演じているかのように。それが、姫さんと出会って少しずつ溶けていくのが分かる」


 羽衣の手が喉元を離れ、今度は優しく私の頬をつついた。


「だからさ、十季が姫さんを信じるんだから俺も同じように信じる……ように努力する。何故血を流してはいけないのか。俺には決して理解ができないけれど、それが十季の救いになると」

「うん」

「姫さんは知らんだろうけど、ああなった十季には苦労するぞ。基本は唯我独尊、我が道を我が意を通して歩くことしかしない」

「あと……実はかなり子供っぽいよね?」


 そうこっそりと付け加えれてみたら、羽衣がふはっと小さく噴き出した。けれど否定しない辺り羽衣にも心当たりはあるのだろう。苦笑交じりに私をそっと床へと下ろした羽衣は、本当に十季を知っている存在なんだと改めて実感する。そして、そんな羽衣だからこそ十季の為に迷ってくれるのだろうと。


「ホント、姫さんは面白い」


 呟き、私の頭をぐしゃりと子供にする見たく掻きまわして――それからふと思い出したように、羽衣は湯呑に手を伸ばすとすっかり冷えたお茶を一息に飲み干し。


「くっ……姫さん、不味いよ」


 そう言う台詞とは裏腹に、羽衣はへらへらといつもみたいな笑顔を浮かべたのだった。

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