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朽ち果ての王と宵闇烏  作者: 吉野花色
第1章:朽ち果ての夜へ
22/33

8-2

 柳田、というのはその吸血鬼の名前なのだそうだ。朽ち果ての国で一番の人気を誇る衣装屋だが、その変人さでも名高いらしい。彼は決して商品にネームタグやマークの類いをつけず、そもそもブランド名すらない。だから便宜上吸血鬼達は彼の店についても〝柳田〟とひっくるめて彼の名で呼ぶようになった――と。


 学校を後にして数十分後、柚木が車を止めたのはありふれた倉庫の裏手、車数台で一杯になってしまうような駐車場だった。まわりにあるのも似たような倉庫ばかり、日が暮れて間もないというのにどれも明かりはなくひっそりと静まり返っている。まさかこんなところで〝柳田〟とやらは営業しているのか。確かに吸血鬼の構える店なのだし目立たない方がいいのだろうが。


「吸血鬼のカムフラージュの仕方って……」

「系列会社の倉庫だったのを柳田が買い取ってね。地下が店になっているんだ」


 呆れを滲ませ呟いた私に車外へ降り立った十季が手を差し伸べる。私は何の違和感もなくその手を借り車から降りた。と、背後で静かにドアを閉めた柚木が苦笑しながら声をかけてくる。


「木蓮姫」

「……もう、いっそその呼び方もやめない?」

「無理ですよ。善様も姫って呼んでるのに」


 ああ、そうか。そういう問題もあるのか。この主従は比較的打ち解けたやり取りをしているけれど、それにしたって越えられない一線はあるだろう。


「致し方ない。そのうち善が呼び捨ててくれる日を待とう」

「で、その善様なんですけれども」


 本題はそこであったらしい。私は柚木の指差した先を見て大きな溜め息をひとつ。そこには助手席に座ったまま固まり続けている善の姿があった。


「姫の名前を呼ぶのに何世紀かかるでしょうねえ」


 柚木の呟きがかなりリアルだ。冗談のつもりだろうが正直笑えない。


「善」


 名前を呼べば善はぱっと車から降り私のもとに駆け寄ってきた。惚けていても私の命令には反応するのが善らしいところだ。が、私の後ろに佇む十季を見た瞬間再び置物に逆戻り。私はその耳を引っ張って思い切り叫んでやる。


「善!」

「わああ、はい! すみません! 何ですか姫様!」

「あのねえ、自分より格上の吸血鬼に会う度に固まるつもり?」

「……申し訳ありません」


 しょんぼりと肩を落とす善。こういうところが本当に今は亡き愛犬の姿と重なってきゅんとしてしまう。思わず背伸びして彼の頭をわしゃわしゃと撫でてしまったが――まさかそんなことをされるとは思ってもいなかったらしい善がおろおろと狼狽えている。


「ひ、姫様……?」

「いーい? 善は私の護衛なんだから今後も偉い吸血鬼と会う機会はかなり多くなるでしょ?」

「……はい」

「その度に萎縮して固まるつもり? それで護衛になる?」


 捲し立てれば善は更に小さくなってしまった。でも別に私は怒っている訳じゃなくて、ただ自覚して欲しいだけなのに。昼間に私を守れるのは善だけなのだから、もっと堂々としていればいいのだ。


「いいじゃない。私に忠誠を捧げたんでしょ。私はそれを受け取ったんだから姫君の威でもなんでも借りて堂々としてれば」


 そこで私は背後で面白そうに成り行きを見ていた十季を振り返る。


「何なら十季の威を借りてもいいよね?」


 聞けば、にっこりと十季は頷いて返した。


「日のあるうちも力を失わない吸血鬼というのはその男のことだろう? 羽衣から聞いている」


 十季が目線を向けると善は反射的に顔をうつむけ直視を避けてしまう。――が、やがて小さく息を飲むと顔を上げ恐々十季の視線を受け止めて。


「その力を私の大切な木蓮の為に役立てておくれ。あの羽衣も、そして私ですら日光の下では姿を消すこともできないのだから」

「は……」

「護衛は主の一部。胸を張れ。側にいる者が無闇に萎縮すれば侮られるのは主だ。……いいね?」

「お言葉、この胸に刻みます」


 頭を垂れた善に十季が鷹揚に頷く。どうやら一応丸く治まったようだ。これで善の態度が少しは変わるといいのだが――さて、どうなることやら。私はやれやれと凝ったような気のする肩を揉んで、またひとつ大きな溜め息をついた。


 気がつけば、日が暮れようとしている。倉庫に向けて十季が歩き出すと――何時から姿を消して控えていたのだろう――玉緒が倉庫の狭間の暗がりから溶けるようにして現れた。結い上げた長い髪の尾を揺らす彼女に先導され、搬入用の大きなシャッターの脇にあるペラペラのアルミドアから倉庫内へと入る。


 庫内はがらんとして埃っぽい空気に満ちていた。荷物も棚も何もない光景は一見普通の空き倉庫だ。しかし唯一不自然なのが倉庫の中央にぽつんとある地下へ続く階段。遠目には階段ではなくコンクリートにぽかりと口を開ける奈落みたいだった。


 玉緒は迷うことなくそちらへ進み、続いて私たち一行もコンクリートの緩やかな階段を降りていく。意外と深いようだが灯りのない階段も吸血鬼には苦でもない。数階分はあっただろう階段を下り、やがて見えた突き当たり。何故か暗闇の中でもはっきりと視認することのできた黒い木の扉は、玉緒が階段を降りきると同時に重々しく軋んで開かれた。


「あら、いらっしゃい」


 扉の向こう、照明の白の中から現れ私達を迎えたのは針金のように細い長身の男だった。しかし体格もそうだがまず目がいってしまうのは、短く刈った黒髪に入った左側頭部の精緻な鴉の剃り込みだろう。彼は十季を認めるとぱっと笑みを浮かべ室内へと招き入れる。


「殿下」

「ああ、今日は私の姫君をお披露目に来たよ」


 十季の言葉に男の視線がすーっと私の方へ向けられる。顔立ちは吸血鬼にしては地味な部類に入るのだろうが目尻のほくろが何となく印象的な男だ。と、私の頭から足先までを数往復した彼の目が何やらきらりと不穏な光を放つ。


「木蓮姫、お初にお目にかかります。柳田でございます」


 至極礼儀正しく、柳田は言い切った後にちろりと唇を舐め――。


「それにしても、不思議な出で立ちでいらっしゃいますこと」


 ニヤリ、と目を細めて彼は笑った。それは思わず「すみません」と平謝りしたくなるような迫力ある笑みだ。どうやら柳田は私の格好がいたくお気に召した(・・・・・・)らしい。


「殿下、姫君をお預かりしてもよろしい?」

「勿論」


 よろしくない、全然よろしくない。心の中では激しく首を振ったのに、十季はあっさりと承諾してしまった。すると柳田は奥から出て来た大柄な女性に十季の相手を命じるなり「姫はコッチ」と私を別室へ追い立てる。


 ぐいぐいと背を押され連行されたのは壁の全面を様々な服が埋め尽くす部屋だった。張り巡らされたポールに隙間なくかけられた服、部屋中に乱立するトルソーの森。思わず感嘆の声を上げた私を何と柳田は鼻で笑って手招いた。


「いらっしゃい」


 抗わずに彼へ近づくとトルソーの森に埋もれるようにしてローテーブルとシンプルな一人掛けのソファーがあった。かけるよう促され腰を下ろせば、その柔らかでいて安定感のある素晴らしい座り心地にうっとりしそうになる。


「分かる? いいでしょ、そのソファ。よかったら造ったヤツ紹介するわよ」


 柳田の言葉にそういえばと思う。私の部屋は元々仮住まい用なのもあって随分と殺風景だし、余裕ができたら少々模様替するのもいいかもしれない。恐らくこのソファは恐ろしいお値段がするのだろうが、長い付き合いになるだろう家具はいいものを選ぶに限る。幸い魔法のカードを手に入れた今、値段に躊躇する必要はない。内心でやや黒い笑顔を浮かべつつ私は素直に柳田に頷いた。


「よろしければ紹介して下さい。ソファ以外の家具も手がけていらっしゃるようでしたら尚いいんですが」

「家具だったら何でもやるわよ。いいわ、紹介してあげる。……何よ、別に趣味が悪いんじゃないのね」


 随分なコメントに失礼なとは思いつつ、まあ今の私の格好では確かにそう思われても仕方がない。ノーブランドのジーンズと年季のはいったパーカーは大学へ行くのには十二分だが、吸血鬼達の中にあっては激しく浮いていたから。現に目の前の柳田も黒のVネックセーターに微かに光沢のある銀色のパンツというシンプルだが全く隙のない出で立ちをしている。


「その、日中に学校へ行くのに適した服が欲しくて」

「へえ、吸血鬼のくせに大学なんて行ってんのね。素敵じゃない。ああ……もしかしてそれ生前の服?」

「です。今日、間に合わせに」

「そうよねえ。人間の、それも学生じゃまあそれが限界よね。わかった。見繕うわ。それとも自分で選んでいく?」


 柳田はうんうん納得しながら視線を幾分和らげ、眼前の服の森を指差してみせる。流石にこんな山の中から洋服をあれこれ選ぶほどの熱意はなかったので有り難く彼に任せることにした。クローゼットの中は少々フリフリが過ぎていたが彼の格好を見る限り全てがフリフリではないのだろう。念の為できれば大人しいものがいいと告げれば柳田は「ああ」と合点したらしくニヤニヤ笑いを浮かべた。


「クローゼットの中身でしょ。だって、殿下が姫君らしいものをって言うから」


 成る程――確かにあのフリフリ感は姫君に相応しいに違いない。私のような中身でも、姫君に変わりはないのだし。


 さて、ここで宵闇烏の制服について少し言及することにしよう。あの黒衣は洋服とも和服ともつかない不思議な意匠をしている。これは今目の前でデザイン画と私の間で慌ただしく視線を行き来させている柳田がデザインしたものだと十季は言っていた。


 ただし昨日宵闇烏達を一望した限り制服といってもそのデザインは全員が完全に同じではないようだ。基本は濃い藍色の詰襟シャツに黒のズボン、ゆったりとした袖なしの上衣にベルトを締める。けれど十季や羽衣の上衣は袖のある直衣(のうし)に似たものだし、銀糸の刺繍や細かい飾りはそれぞれ少しずつ違っていた。


「はぁ、凄い楽しい。新しい制服を仕立てるのも久しぶりだわ。しかも〝姫君〟よ〝姫君〟の制服!」


 物を作る人間特有のテンションの上がり方をしている柳田を刺激しないよう私はあやふやな笑みを浮かべておいた。恐らく今後私自身が逃げたり立ち回ったりする可能性も否定できないので、できたら制服は動きやすいものであって欲しい。そう願いながら採寸を済ませ、学校用のシンプルな服と、さらに姫君仕様の服も数点試着させられ――ようやっとソファに座る許可を得た時には精神的に疲労困憊だった。もっとも洋服自体はクローゼットの中身よりもフリルの少ないシックなものを選んでくれていたので安堵もしている。


「はい、お疲れ様。それじゃ服はまとめて送っとくからね。制服はまた調整に来て頂戴。連絡するわ」


 ついでにそんな安物とっとと脱ぎなさいと柳田が言うので、言われるまま手渡された服に着替える。白のワイシャツに細身の黒いパンツ、銀のベルト、ひょいと投げて寄越されたのは先の尖った黒のショートブーツだ。上からグレーのカーディガンとメンズらしい黒のロングジャケットを羽織って、完成。


「どうせなら、これくらいやりなさいよね」


 着せ替え人形となった私の全身を眺めた柳田はとても満足そうだ。おろしてあった髪も彼の手で器用に纏め上げられ、藍色のバレッタをぱちんとやったところでようやく解放されるらしい。と、ほっと溜め息をついたところで思い出す。何と当初の目的だったベルトポーチを頼むのをすっかり忘れていたのだ。しかしそこは流石の柳田である。


「そうそう、ほら、これ」


 柳田がぽいっと放ったものを反射的に受け取って驚いた。善が持っていたのと同じ黒革の、木蓮が箔押しされたベルトポーチだ。吃驚して目をパチパチさせている私に柳田がふん、と鼻を鳴らす。


「財布を頼まれた時に一緒に作っといたのよ。姫君なんだから、そんな安物じゃなくこっちになさい」


 言われるまま腰につければ吸い付くようなつけ心地である。もう、心から感動してしまった。


「柳田さん……!」

「柳田でいいから。分かったら、また近々殿下と一緒にいらっしゃい。それで湯水のようにお金を使ってくれればいいのよ?」


 ――格好よ過ぎる。にいっと口の端をつり上げ悪人面をした柳田に私は心の中で「親分、合点です……!」と拳を握ってしまったのだった。


 ちなみにあとで聞いたところ、十季は残された部屋でのんびりしていたらしい。供されたワインを傾けつつ服を眺め、時折善に話しかけては私の様子を聞いて。「慣れる努力は致しますが、正直に申し上げて生きた心地がしませんでした」と言うのが十季と差し向かいで話すことになった善の言葉である。


「ああ……いつものドレスもいいが、そういう衣装もよく似合う」


 着替えを終えて柳田と元いた部屋へ戻れば十季が待ちかねたように椅子から腰を上げた。そうしてじっと私の格好を眺めると目を細める。


「正直ドレスよりこっちの方が楽なんだよね」

「ならば別にドレスでなくていいんだよ。柳田に慣れた物を誂えてもらえばいい」


 柳田に目配せしながら「ただね」と十季は続けた。


「時々はドレスも着てくれると嬉しい。木蓮のドレス姿も私は好きだから」

「……時々なら、はい」


 何だろう、この感覚。もじもじと答えながら私はとてつもない気恥ずかしさに目線を床に落とした。ああ、そうだ。まるで洋画に出てくるパーフェクトな男と話しているみたいなんだ。照れもせず、さらっと褒め、さらっと好意を表してくる。やっている方は真顔だというのに――逆にこっちが照れてしまって何とも困った。

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