第67話 銅級冒険者レントと鼠
小鼠の動きは単純だ。
普通の人間からすればそれでも非常に素早く、捕まえるのには難儀することだろう。
しかし、冒険者にとってはそうではない。
魔力や気によって強化された身体能力の前に、小鼠程度の魔物は良い的でしかないのだった。
飛び掛かって来た小鼠に軽くナイフを振り、切り裂く。
それだけで吹き飛んでいくほどの威力があるのは、魔力と、そしてこの身の持つ人間離れした身体能力のお陰だった。
そのまま壁に衝突し、ずるずると滑り落ちた小鼠。
まだ息はあるようだが、ほとんど虫の息だ。
あとは止めを刺すだけ……と思ってゆっくり近づき、ナイフを振り上げたところ、まだ少し元気が残っていたようで、跳ねるようにこちらに向かって来た。
あまり大した速度でもなく、避ければいいか……と体を捻ろうとしたところで、今日は後ろに人がいるのだ、ということを思い出した。
ソロで戦っている日々が長すぎたのが良くなかったのかもしれない。
自分の安全ばかりに気を取られて、一瞬判断に迷ってしまった。
もちろん、背後にアリゼがいる以上、そちらに魔物を通すわけには行かず、かといってナイフを引き戻すのも微妙な位置だった。
仕方なく、ナイフを持っていないもう片方の手で殴りつけることを選択したわけだが、急いで手を突き出したからか、小鼠の尖った歯が生えている部分にちょうど命中してしまった。
手に軽くぴりりとした感触を感じたが、今はそれよりも魔物の方である。
吹き飛んだ小鼠に距離を詰めて、今度こそ止めを、と思ったら、そこで地面にうずくまる様に倒れていた小鼠が急に苦しみ始めた。
「……? なんだ」
奇妙に思って距離をとる。
一体これから何が起こるかわからないからだ。
ばたんばたんと小鼠が暴れ、そしてしばらくしてそれが落ち着くと、先ほどまで灰色だった小鼠の色が黒く染まった。
そして、それと同時に、俺は奇妙な感覚を覚える。
はっとして、ゆっくりと起き上がった小鼠を見ると、それは俺の方を見つめてその場に静止していた。
目が合い……そして、俺は理解した。
あいつは俺とつながった、と。
俺はナイフを下して、しかし警戒は解かずに静かに近づく。
小鼠はそれでも俺に向かってはこず、行儀よくその場に静止している。
「……え、ちょっと何? どうなったの?」
後ろからアリゼの困惑した声が聞こえる。
俺もよくは分かっていないのだが……とりあえず、静止している小鼠に、
「……そのばで、さんかいまわれ」
と、言ってみた。
すると小鼠はまさにその命令通りの行動をした。
それを見て、アリゼの困惑はさらに深まったようで、
「えっ? えっ? どういうこと?」
と言っている。
けれど、俺にはなんとなく理解できた。
先ほど、小鼠を叩いた方の手を見てみると、手袋の一部が破けて、そこから少し、黒ずんだ液体が流れているのが見えた。
一応、血である。
屍鬼の体の大半は乾いているが、人間らしい部分もそれなりにある。
屍食鬼だったときとは違って、血も一応流れてはいるのだ。
まぁ、それでも、切ってもほとんど流れないんだけどな。
小鼠が噛み付いた場所は、まさに俺のその、生きているように見える部分、だったようである。
そして、その血が、小鼠の体に入った……。
その結果が今の状態なのだと思う。
屍鬼は低級のものとは言え、一応、吸血鬼の一種だ。
吸血鬼は、その血を人間に噛み付いて注ぎ込むことにより、自らの眷属を作る。
その眷属の一種が、屍鬼なわけだが、では屍鬼が眷属を作ることも出来るのではないか?
一般的には出来ない、とされている。
しかし、それは、本来、屍鬼というのははっきりとした自意識を持たない、本能的に従って行動する存在であるため、眷属を作る、などと言う行為を意識的に行うことなど出来ないからではないだろうか。
いや、眷属を作っても、指示を出さないから結果として、眷属がいないように見えるのでは?
だが、屍鬼に明確な自意識があったらどうだろう。
眷属を作り、吸血鬼のように命令を聞かせることも出来るのではないか。
そしてその方法は、吸血鬼がする方法と同じで、自らの血を相手にとりこませることかもしれない。
吸血鬼はその血を相手に取り込ませることによって、眷属化するわけだが、その際に身体能力などが上がる効果がある。
体を無理やり作り替えるのだ。
そして、あの小鼠はまさに、たった今、俺の血を取り込んだ。
それによって体が作り替えられて、だからこそあんな風に苦しんでいたのではないか。
そして今、俺はあの小鼠との間に繋がりを感じている。
なんだか妙に近しい感覚と言うか、今この体を本体とすると、そこから分けた小さな自分がそこにいる感じと言うか。
そんな感覚だ。
あの小鼠はつまり、俺の眷属になった。
そういうことではないか。
そう思った。
けれど、そんな話をアリゼにするのはよろしくないだろう。
なにせ、そんなことをできるのは吸血鬼など、一部の魔物に限られるのだ。
しかし、この状態を説明しないわけにもいかない。
なにか変なことにはすでに気づいているわけだし。
まぁ、ちょうどいい説明と言うのもないではない。
俺は言った。
「おそらくだが、あのまものと、おれとのあいだに、いま、ぱすが、つながったらしい」
《道》である。
ちなみに、これは、従魔師が使う専門用語だ。
彼らは魔物を従えるとき、特殊な魔術でもって魔物との間に《道》と呼ばれる繋がりを確立し、操る。
つまり、俺は、眷属化したことを、従魔化した、ということで乗り切ることにしたのだ。
「えっと……つまり、どういうこと?」
しかし、アリゼには従魔師の知識など無いようだ。
俺の台詞からすぐに思い浮かぶということはなかった。
俺はそれに頷いて、もっと詳しく説明する。
「おれは、あのまものを、じゅうまとすることができた、ということだ」
「……あなた、従魔師だったの?」
これで初めて理解したらしい。
俺は別に従魔師ではないが、望んだ話の流れである。
ただ、少し調べれば俺が従魔師などではないことはすぐに分かる。
だからその辺は色々と濁しつつ話すことにした。
「いや、おれはけんしだが、いぜん、もんすたーていまーに、じゅうまのつくりかたをきいたことがあってな。すこし、やってみたんだ」
「へぇ……やっぱり冒険者って色々と出来るのね? すごいわ」
従魔師の特殊な魔術など基本的に門外不出に近く、そうそう学べはしないのでアリゼの勘違いなのだが、特に訂正はしない。
あとあと俺のことを調べても、そういうことが絶対にありえないとまでは言い切れないので問題はないだろう。
アリゼは言う。
「じゃあ、この魔物は、もう襲い掛かってきたりしないの?」
この質問には特に誤魔化すことなく、ちゃんと答えられる。
俺は彼女に言った。
「あぁ。それどころか、いうことをきくぞ……ちょうどいいから、このちかしつはこいつにまもってもらおう。ここは、ていきてきにまものがはいりこむんだろう?」
だからこそ、リリアンがここを聖気でもって浄化できないために困っていたのだ。
ちょうどいい番人が手に入った、と思えば悪くない話である。
これにアリゼは、
「本当に襲ってこないならいいけど、大丈夫なんでしょうね?」
と疑い深く尋ねるも、アリゼがその小鼠にいくらちょっかいをだしても一切、攻撃したりしてこないので、最終的には納得してくれたのだった。




