間章 勇気
------- レイラ視点 --------
ぱさりと衣擦れの音で目が覚めた。
「ショーン?」
ベッドを探れば彼がいない。力が入らない首を動かして辺りを見回せば、ベッドサイドでスーツ姿の彼が困ったような顔で立っていた。
「目を覚ましちゃった? もう少し寝ていていいよ」
とたんに感じる違和感。おかしい。何かがおかしい。彼が何かを隠したがっている。約束をしたから無理やり彼の心を読むようなことはしない。それでも困ったような気持ちが彼から伝わってくる。
「何があるの?」
聞いたとたんに彼の気持ちに湧き上がる困惑と、私を遠ざけておきたいという気持ち。何かあるんだと気づいた。耳を澄ませばバタバタと人が出入りする音。カーテンの向こうに光はない。これだけ暗いならまだ夜明け前のはず。こんな時間にスーツ姿?
ベッドから起きようとして身体がふらつく。昨日は午後からずっとベッドの中で彼に執拗に攻められていたから、上手く動かない。薄いネグリジェですら、身体にまとわりついて動きを阻害しているような気分になるわ。
「ムリしないで寝ていて。特に何かあるわけじゃないから」
彼の優しい声。優しい笑み。でも嘘だわ。この微笑は私を騙すときの笑い方。どこか本当には笑っていない。軋む身体を起こしてベッドから出れば、平衡感覚が上手くつかめなくてよろけた。
身体を支えてくれる彼の手が冷たい。緊張している? 何に?
「寝ていれば?」
「起きるわ。何かあるなら、あなたの傍にいる」
「レイラ。頼むから」
「ショーン。私はあなたの何? なぜ私に隠し事をするの?」
じっと彼の茶色の瞳を見れば、それが困ったように逸らされた。
「君が大事だから。傷つけたくない」
「私が傷つくようなことを、あなたはしようとしているのね」
彼の瞳が再び戻ってくる。思わず彼の視線を自分の片手を持ち上げることで遮った。
「私をコントロールするのは止めて。それはしないって約束したわよね?」
「レイラ」
彼がかすかな吐息で諦めたような声を出した。そのときに耳が外の音を捉える。聞こえてくる声。あれはキーファーの声だわ。しかもいつもは彼が出さないような低い声。不機嫌なときの声。彼がニューヨークから戻ってくるなんて聞いていない。
窃盗グループの襲撃事件と、キーファー。結びつければ答えなんて簡単に出る。窃盗グループの手引きをしたものに制裁を加える。命を奪うつもりなのね。ああ。なんていうこと。ショーンが当主として、こんな罪を犯さないとならないなんて。
「ショーン。キーファーが来ているのね」
とたんに彼は笑みを浮かべた。明るい笑顔。でも透けて見えるのは悲しい気持ち。
「あ~。そうだね。なんか遊びに来たみたいだ」
思わずため息をついた。私だって一族だもの。キーファーが何をしているか知らないわけがない。それに母の…クリスタルの双子の姉妹だったアンバーの話も知っている。
一族には代々当主と、その当主を支える暗殺者がいる。狩人と呼ばれる者達。目の前の彼が、その戦闘能力ゆえにアンバーの後継者として先々代と先代の当主の狩人として働いていたことも。その後をキーファーが継いだことも。知っている。
しかもキーファーは当主からの依頼の暗殺だけじゃなくて、それ以外の一族の暗部を担っていることも知っている。目の前の彼は、情報を掴むのは一族の中で私が一番得意だっていうことを、覚えていないのかしら。
彼の視線を遮っていた手を移動させて、そっと頬に添える。茶色の瞳の奥に見える感情の揺れ。昔は見えなかったものが見えている。
「殺したく…ないのね?」
私の言葉に彼はごまかしを止める覚悟を決めたようだ。瞳を伏せてゆっくりと首を振る。
「わからない」
頬にあった私の手を取って彼は自分の唇に当てる。その唇が動くのを感じた。
「誰かが『一族の裏切り者を殺せ』と命じてくれば、僕は殺せる。そこに感情なんてない」
ああ。それは殺すことを余儀なくされた彼の悲しい部分だわ。彼が少しばかり躊躇したように見えた。そっと微笑んで先を促す。こんな風に弱っている彼を見るのは初めてかもしれない。
「いいのよ。私には正直に話して」
「でも…自分で殺すか殺さないか…決めなければいけない。どうしたらいいかわからない。迷うなんてあってはならないことだ」
「キーファーは? 何故来たの?」
「僕が連絡した。屋敷を襲われたのは事実だ。それを手引きした者がいたことも。それを伝えないわけにはいかない。その上で僕に始末を任せてくれと言いたかった」
「ダメだったのね?」
「見せしめは必要だと。キーファーとフレッドの二人から諭されたよ」
一族ゆえにキーファーの言うことも理解できる。理解できてしまう。人間の牢屋にいれるわけにはいかない。独自の牢屋を作ってずっと面倒を見るわけにもいかない。一族は少ない。そんな余裕などない。それに模倣犯が出たら困る。それもわかる。
「ああ。まったく。昔だったら殺すことに躊躇などしなかったのに。誰でも彼でも殺して、それで終わっていた。僕は弱くなった」
自嘲の笑みが彼の唇に浮かぶ。俯いているから、それを感じるのは私の掌だけ。
「違うわ。あなたは強くなったのよ」
彼がはじかれたように顔を上げる。
「誰かを愛する強さを得たの。だから殺すことができないの。命を奪うなんてことは勇気じゃないわ。生かすことほど難しいのよ」
彼が泣き笑いのような表情を浮かべた。
「ああ。レイラ。君は変わらない。ずっと前から」
その言葉は、私と私の中にいるアリスを一緒に考えていることを伺わせる。ちょっとだけ気に食わないけれど、いいわ。今は許してあげる。どうしたらいいか考えなくちゃ。時間がないけれど…。
「一緒に考えましょう。一番いい方法を。あなたが納得できる方法を」
「レイラ?」
「私も用意するわ。ちょっと待っていて」
一族ならではの回復力。彼と話しているうちに私の身体には力が戻っていた。この身体がもっと早く手に入っていたならば…。
いたならば?
無意識に考えて、馬鹿馬鹿しくなる。私はアリスではないわ。そう。彼女の記憶はある。でも違う。それに、今はそんなことを考えていたらダメ。どうやってキーファーを止めるか考えなくちゃ。
もちろん手引きをした一族は許しておくわけにはいかない。でも、ただ殺すなんて…。法律も何もない野蛮な行為だわ。何かあるはずよ。皆が納得する方法が。
さあ、考えて。




