The Previous Days 後編(12)
僕は思わず苦し紛れに、こう答えた。
「えっと…滋養強壮剤です。それで察してください」
僕の口から出てきたのはこれだった。我ながら品の無い言い訳だと思うんだけれど、すっぽんの生き血が一瞬頭に浮かんだわけだ。ギリギリセーフだ。セーフだと思いたい。
おじいさんは目を丸くして、それから笑い出した。ああ。もう。まあ、いい。真実に近づかれるよりも、よっぽどいい。
「えっと…まあ、周りには内緒で」
「ああ。わかっているよ。相当大変な女の子と付き合っているのかな?」
「ええ。まあ」
本当は彼女なんかいないけど。
「俊哉くんぐらいの年ならいらないだろう」
「それが、そうでもなくて…」
ああ。もう。この話題から離れたい。
「えっと…それでさっきの説教の話なんですけれど」
僕は血液の話から離れたくて、思わず更なる地雷を踏んだ。
「どうにも…僕には神様が信じられないんです」
おじいさんが僕をじっと見る。僕は慌てて付け足した。
まずい。牧師になろうっていう人間が神様を信じられないって、ありえない。
「えっと。信仰告白もしましたし。もちろん存在が…っていう訳じゃなくて」
どんどんしどろもどろになっていく。僕にしては珍しい事態に自分でも混乱に拍車がかかる。
「なんていうか…僕が語ってもいいのかな…と。神様について語る資格があるのかな…と思うんです」
なんだか変な方向に行ったけれど、なんとなくまとめれば、おじいさんが大きく頷いた。
「その気持ちは分かるよ。そうだな…」
おじいさんが少し考えてから、再び僕を見る。
「彩乃が困って、助言を求めてきたら、何か言葉をあげるだろう?」
「はい」
「それと同じだ。教会に来る人たちは何らかの導きや助言を求めていると思えばいい。みんな何かを得たいと思っている彩乃なんだ。彩乃に対して、神様の話をしながら、少しでもその人が自分の道を見つけられるように、少しばかり手助けができればいい。そう考えてみたらどうかな」
「はぁ」
なんとも煮え切らない僕に、おじいさんは優しい目をして微笑んだ。
「牧師とは何か。何をすべきか。本当は自分で見つけるべき答えだよ。自分で祈り、神様との対話の中で見つけるべき答えなんだ。だから私の答えが、俊哉くんの答えと合っているかどうかは分からない。でも彩乃は大切にできるんだから、同じように教会員の人たちや、君の身の周りにいる人たちを大切にしてみたらどうだろうか」
彩乃に対するように…。人間に対して…。
僕にできるだろうか?
その気持ちを読んだように、おじいさんがまたポンポンと僕の肩を叩いた。
「大丈夫だよ。俊哉くんなら立派な牧師になれる。まずは相手のために祈りなさい」
「はい」
僕はなんとなくモヤモヤしたまま、それでもおじいさんの言葉に素直に返事をした。
相手のために祈る…。その言葉は僕の中に残った。
そしてその年の夏の終わり。おじいさんが倒れた。緊急入院したけれど、末期癌だった。
「そんな顔…しないでくれ」
苦しい息の下でおじいさんが言う。僕は病院のベッドの枕元で、なす術もなくおじいさんと向き合っていた。
「なんで黙っていたんです」
「死ぬなら…教会で…死にたかったんだよ」
そう言って目を閉じて、黙り込む。
僕は大きなため息をついた。病院は完全看護だったから、家族は面会時間に来るだけだ。
着替えも日割りで貸し出してくれるから、洗濯物を持って帰ったりする必要もない。少しばかりの日用品を持ってくるだけで、あとはすることがない。おじいさんの顔を眺めて、少しばかり話をして帰るだけだ。
「明日…また来ます」
そう言い残して帰った夜、おじいさんの容態は急変し、緊急用として伝えてあった携帯電話に病院から連絡が来た。
すぐに来てくれというので、彩乃を車に乗せてできるだけ近道をして病院に急ぐ。
病室に案内されれば、先ほどまで危なかったが一時的に持ち直したというので、病室には医師も看護師もいなかった。
身体のあちこちから管が差し込まれ、口の周りは覆われていて酸素が供給されていた。
「おじいちゃん…」
彩乃は心細さが表れた声でおじいさんを呼ぶが、返事は無い。
僕はおじいさんの手を見よう見真似で擦ってみた。皺の多い手は、ごつごつとして冷たい。
ああ。もうこの人は死んでいくんだ。それが実感として感じられた。
「おじいちゃん…寝てるの?」
「うん。寝てるね」
彩乃も僕とは反対側に回っておじいさんの手を握る。
「手が冷たいね」
「うん」
彩乃の言葉に返事をしながら、僕はおじいさんの頭の上にある画面を見ていた。
ピッピッという定期的な音が流れてくる。
バイタルサインだ。呼吸数と脈拍と血圧と。血圧はかなり低い。
そう思ってみていたときだった。瞬きした次の瞬間、画面で波打っていた白い線が、一直線になった。




