The Previous Days 中編(16)
僕が自分の思考に陥りそうになる前に、杉森さんは話を続けていた。
「まあ、スポーツは同じチームを応援しているとか、そういうのが分かると逆に盛り上がるけどね。東京で地方球団のファン同士とか、めちゃくちゃ盛り上がったりするよ」
「そうなんですか」
「そうなんですか…って、野球とか見ないの?」
「見ないですね」
杉森さんの顔ががっくりと伏せる。
「俺、タイガースファンなの。関西出身だから」
「そうなんですか」
「なんかリアクションしようよ」
「いや。あの…すみません」
「東京弁上手ですね。とか」
「えっと…。トウキョウベン、ジョウズですね」
「なんで外国人」
「いや、あの。すみません」
「子供のころから東京弁の番組しか見せてもらえなかったから」
「ああ。そうなんですか」
「いや、そこ、ツッコムところやから。なんでやねんって。言ってみ?」
…。元を正せばイギリス人の僕にツッコミを要求するか。
「えっと…ナンデヤネン」
「イントネーションが違う。なんでやねん」
「ナンデヤネン」
「アクセントが最初のナにあるのがちゃう。デや。デ」
「なんデやねん」
「もう、ええわ。そのへんで勘弁しといたろ」
「はあ。すみません」
「いや、これ、名台詞やから。関西の有名な喜劇の。知らん?」
「はあ。すみません」
なんで僕はこんなことで謝ってるんだ?
「まあ、ええわ」
「はい」
「じゃあ、次やな。『ちゃうがな』」
「え?」
まだやるの? 関西弁講座。
「なんでやねん。ちゃうがな。だれがやねん。この三つは突っ込みの三種の神器や」
「はあ」
「ほな。言ってみ?」
「チャウガナ」
「ちゃう。ちゃう。ちゃうちゃう、ちゃうで。ちゃう」
えっと…今のも、なんかの名台詞なんだろうか? どうしようか困って杉森さんを見れば、すでに首まで真っ赤で。もしかして非常に酔っ払ってないか? これ。
「ええか? なんでやねん。だれがやねん。もうええわ。これが三種の神器や」
「いや、さっきは、チャウガナが、三種の…」
「ああん?」
「あ、すみません」
やばい。何かスイッチが入ってる。
「次は『だれがやねん』。ほれ。言うて?」
「え? えっと、だれが、やねん」
「だれがやねん」
「ダレガヤネン」
「アクセントがちゃう。ダやない。ガにアクセント。Do you understand? (わかりましたか?)」
なんでいきなり英語。
「I see. だれガやネん」
「なんで、ネまでアクセントをおくん?」
いや。もういいから、どうにかして欲しい。そう思った瞬間に、杉森さんはバタンと机の伏せた。しげしげと覗き込めば寝息が聞こえる。どうやら酒に負けたらしい。
「なんでやねん」
うん。完璧なアクセント…だったと思う。先生が寝たからなんとも言えないけど。
結局、僕がお金を払って杉森さんを居酒屋の外にまで連れ出した。
「杉森さーん。家はどこですか?」
脇の下に手を入れて、無理やり歩かせている風情で運んだけれど、家がわからない。耳元で怒鳴っても起きやしない。
僕は悪いと思ったけれど、杉森さんのポケットを探った。あった。携帯電話。杉森さんの家を見つけてかけたけど、誰も出ない。一人暮らしか。
「仕方ない」
僕の家に連れてくたら偽名っていうのがバレる。その選択肢は無い以上、僕が取れる手はもう一つだった。携帯電話で見つけた番号にコールする。
「杉森くん? こんな時間に…」
「あ~。すみません。田中さん。僕です。山形です」
「え? 山形くん?」
飲んで潰れたという話をして、彼の住所が分からないと告げれば、田中さんはしばらく考え込んだ上で、自分の住所を告げた。
「あ、すみません」
なんか今日は謝ってばかりいるな。理不尽に。
「いいわよ。潰れてるなら手を出すなんてこともないでしょうし。あ、山形君はダメよ。帰ってね」
「ええ。妹が待っていますから、帰ります」
「あ。え? ええ。そうよね」
田中さんが電話の向こうで焦ったように答えて、電話は切れた。それからタクシーで飛ばして着いたそこは小奇麗なマンションだった。
「すみません。置いていきます」
僕は杉森さんを田中さんの家のソファーに寝せて、ドアを閉める。
日付が変わろうかという時間。まだ都会の電車は動いている。最終電車を気にして早足になりながら、さっきの奇妙な言語講座を思い出した。
日本に来て数十年。初めての居酒屋に、初めての同性との飲み会。そして、まさかツッコミを教えられると思わなかった。
「次からは、杉森さんがボケたらつっこまないといけないのかな?」
うーん。まずはボケがどれだか分からないからなぁ。僕は少しだけ楽しくなりながら、彩乃とおじいさんが待つ我が家に戻った。そう言えば、翻訳の仕事を辞めることを伝えそこなったな…と思いながら。




