The Previous Days 中編(13)
かなり疲れたけれど、これで必要なことは全部やりきった。やっと日本へ帰ることができる。そしてその帰り際、ぎりぎりまで彩乃と遊んでいてくれたレイラが、僕に彩乃を引き渡したときだった。
「レイラちゃん、いっしょにいこう?」
彩乃が小さな手をレイラのほうに精一杯伸ばす。随分懐いたんだな。レイラと遊んでいた彩乃は楽しそうだったから、それについてはレイラに感謝してもいいかもしれない。
一生懸命その小さな手を伸ばす彩乃に対して、当然のことながらレイラはゆるゆると首を横に振った。
「No, I can't. Ayano, see you again. (行けないわ。彩乃、さようならね)」
「いやだよ。いっしょにかえろうよ」
彩乃が泣きそうな顔をする。
「Don't cry. We'll meet soon. Please don't forget me.(泣かないで。すぐに会えるわ。私のこと忘れないでね)」
「うん。忘れない」
彩乃が半分泣きながら答えた。うーん。なんで英語と日本語で会話がちゃんと成立するのか…謎だ。レイラは日本語を理解していないはずだし、彩乃は英語を理解していないはずなんだけれど、会話はかみ合っている。
そのときレイラが僕のほうを見た。そして彩乃をちらりと見てから、僕を見て英語で話しかけてくる。
「彩乃は、昼と夜で別人みたい」
「ああ。リリアでしょ? ごっこ遊びだと思うけど」
僕の言葉にレイラが首を横に振る。
「違うわ。本当に違うのよ。別人なのよ」
「どういうこと?」
「多分…彩乃とリリアは違う人格。または違う人物よ」
彩乃が僕らの会話をじっと聞いているけれど、あまり聞き取れていないらしく、よく分からないという顔をして、僕とレイラをきょろきょろと見ている。
「リリアと彩乃が別人?」
「ええ。多分。確かめてみて。きっと彩乃の中には二人いるわ」
確かに思い当たる節はある。けれど、その言葉はちょっと信じがたかった。
「じゃあね。またすぐに会えるといいんだけど…」
「ああ。君も元気で」
僕がそう言った瞬間に、レイラの唇が僕の唇を掠めた。
「レイラ?」
「挨拶よ。こんなの。そうでしょ?」
一瞬身構えたけれど、レイラにとってはそんなもんだったらしい。
「そうだね」
僕は少しほっとして、肩の力を抜いた。
こうしてようやく辿り着いた日本。帰りはチャーター機もリムジンも断った。それから数人の眷族が僕の護衛のために日本に来ると言ったけれど、それも不要と断った。
表向きは単なる若造なのに、なんで護衛が必要なんだっていう。それに誰が僕を狙う? やれやれ。
結局二週間近くイギリスに居てから帰ってきた僕たちを、おじいさんは嬉しそうに出迎えてくれた。
「あやのね。ドレスきたの」
あっと思ったときには遅かった。居間でお茶を入れてもらい、ほっと一息ついていた僕の横で彩乃が話し始める。おじいさんはニコニコと聞いていた。
「それでルビーとダイヤと、エメラルドもつけたの」
「えっ。それは凄いね」
思わず僕は横から口を出した。
「ガラス玉ですよ」
一瞬驚いたような顔をしたおじいさんは、すぐに納得する。
「ちがうもん。ほんものだもん」
僕はあやすように言った。
「うん。そうだね。本物だね」
本物なんだけどさ。実際は。
でもまさか、そんなの言うわけにいかないじゃない。
「それにね、おおきなダイヤのゆびわもつけたの」
「そうか。そうか。良かったね」
おじいさんがにっこりと微笑んだ。もうきっとダイヤの指輪もガラスの指輪だと思っているだろう。
「持って帰ってこなかったの?」
「ん~」
彩乃が首をかしげる。
「もっていっちゃダメだったの」
「そう。それは残念だったね」
「あとね。パーティーしたの」
「そう」
本当にパーティーだったけどね。きっとおじいさんの頭の中では、ホームパーティーぐらいだろう。
「これ、しゃしんなの」
えっ。いつの間に?
僕が慌てて彩乃が差し出した写真を見れば、そこにはレイラと彩乃が笑顔で映っている写真だった。温室で遊んでいるところを取ったのだろう。
「おや。この女性は?」
「レイラちゃん!」
彩乃の返事に、おじいさんが意味ありげな視線を僕に送ってくる。いとこって言えないしなぁ。
「あはは…」
無駄に笑ってみせれば、綺麗に勘違いをしたらしい。
「てっきり友人というから、男友達だと思ったら…隅に置けない」
「い、いや…えっと」
「綺麗な『友人』じゃないか」
「あはは…。いや。えっと。すみません」
いとこですが。
「そのうち、うちにも呼びなさい」
「あ、はい。そのうち」
僕は思わず苦笑いした。
彩乃を寝かしつけた後も、なんとは無しにおじいさんと二人、居間でくつろいでいた。
おじいさんに渡したお土産は、少し高級なスコッチとケルト模様がついたウィスキーグラス。イングランドというよりも、スコットランドな感じだけれど、The お土産という感じだからいいかと思って選んだ。
スコッチは早速開けて、2つ並んだウィスキーグラスに注がれていく。
「そう言えば、こうやって飲むのは初めてだね」
おじいさんはそう言って嬉しそうに僕にもスコッチを勧めた。
そして二人で飲みながら、なんとなくイギリスの話をする。本当のことは言えないから、彩乃が人見知りして隠れてばかりいたとか、イギリスの料理は全部一緒くたに盛る傾向があるとか、そういう当たり障りのない話をしていた。
「そう言えば…戻ってきたら話そうと思っていたんだけれど…」
おじいさんが切り出す。
「教会に、もう一人牧師さんを呼ぼうと思うんだよ」
「え?」
「腰がどうもね。私も一人でやっていくのは辛くなってきたから、誰かいないか探していてね。それで住み込みなら…というので一人候補がいるんだそうだ」
この生活にもう一人、人間が入る?




