間章 追いつけない背中
---------- キーファー視点 -------------
森の中を荒い息が通り過ぎて行く。
どこへ逃げてもこの静けさと息の荒さで、わかってしまう。どうせ俺たちから逃れることなどできはしない。細いナイフを握り締めて、逃げる男を追う。
その逃げる背中へナイフを突きたてようとしたが、さすがに人間相手のようには行かなかった。俺が来ることを予測して身を捻って避ける。一族ならではの反射神経だ。
俺はまずは足止めしようと、下半身に蹴りを入れた。それもかわされる。相手は必死だ。狩るものと狩られるもの。何度か蹴りを入れ、かわされ、合間にナイフで切りつけてかわされる。
あっちも本気の真紅の瞳。こっちも瞳の色が変わっているだろう。もう一度。そう思ってハイキックを入れようとした瞬間に、相手の目がぐるりと白目になった。そして首がガクンと後ろに倒れて身体が落ちる。
何が起こったか分からなかった。
次の瞬間、相手の背中側の暗闇から出てきたのは、アニキだった。居ることを知っていた俺ですら感知できなかった。殺された奴は気づかなかっただろう。男の身体は灰となって飛び散った。
アニキは無表情に血がついたナイフをちろりと舐めて、俺を冷たい目で見る。
「遊ぶなよ。キーファー」
怒りを含んだ低い声で言われて、ぞわりと背中が総毛立つ。恐怖。純粋なる恐怖は純粋なる快感にも繋がることを、この瞬間に俺は知った。
「次に狩りの最中に遊んだら、君を殺すよ」
氷のような声で言われて、再び背筋を冷たいものが通り抜ける。遊んでいたわけじゃない。俺だって言われた通りに殺ろうとしていた。
だが相手もそれなりに強かっただけだ。それでも…アニキには関係なかったということか。
「お祖父さんに報告しよう。狩りは終了。獲物は捕らえた」
くるりと向けられる背。思わず片手を背中に伸ばす。届かずに遠ざかる姿。追いつけない。
「キーファー?」
じゅうじゅうと目の前の鉄板が音を立てている。日本家屋の中、木のテーブルの真ん中に鉄板がはめ込まれている。変な机だ。その机の向こう側からアニキが小さな金属のかけらを俺に差し出していた。
「どうした?」
一瞬、昔のことを思い出して意識が飛んだようだ。
「あ、ありがとう」
差し出された金属を受け取ろうとして手が触れる。その瞬間に流れ込むアニキの情報。複雑で。繊細で。循環に次ぐ循環。普通ではありえない耐え切れないほどの情報量が俺の中を駆け抜ける。
思わず手を引っ込めたために、金属が鉄板の上に乗ったわけのわからないものの上に落ちた。
と思ったら、寸でのところをフレッドが受けとめる。
「どうしたんです? キーファー?」
俺は落とした金属をフレッドから受け取った。一瞬くらんだ視界を気合で持ち直してからフレッドを見据える。
「いや。なんでもない。これ、どうするの?」
俺が問えばアニキが目を細めた。
「はがしっていうんだよ。これでこうやってもんじゃを食べる」
目の前のぐちゃぐちゃしたものをアニキが金属片ですくって食べてみせる。本当に食べれるのか? これ。
焼いてあるから大丈夫だと思うが、見た目がよくない。端的に言えば場末の道を朝早くに歩くと落ちているものに似ている。
「えっと…」
一瞬躊躇すれば、アニキがにっこりと笑った。
「騙されたと思って食べてごらんよ。おいしいよ」
その笑顔に俺はとろけそうになる。冷たいイメージしかないアニキが、こんな風に俺に笑いかけるなんて反則だ。
「食べる! 食べるよ」
俺がそう答えた瞬間に、フレッドが隣で呆れたように笑うのが目に入った。




