間章 猫日和(1)
------ 彩乃視点 ---------
この春。わたしは大学を卒業した。
それを見届けて、お兄ちゃんたちはイギリスに移ってしまったの。
今、この日本の家にいるのはわたしと総司さんの二人だけ。
さびしいなって…思うけど、仕方ないとも思う。
だってお兄ちゃんはお兄ちゃんでやりたいことがあったし。
わたしと総司さんはここに居たかったから。
でも居られるのもあと数年。わたしたちは年をとらないから、周りの人たちに気づかれる前に引っ越すしかない。
ふぅ。伸びをすれば背中が伸びて気持ちいい。
顔をふっとあげれば、総司さんの寝顔。
うふふ。
総司さんの頬に手を伸ばそうとして気づいた。
なんか…総司さん、大きくない?
そっと頬に手を伸ばそうとして、視界に入ってきたのは白い手。
えっと。白い獣の手。
あれ?
きゅっと自分の手をぐーに握り締めてみれば、視界にはいった白い手がきゅっと丸くなる。
かわいい。
…じゃなくて。
え?
え?
ええっ?
がばりっと起きたつもりが、ほとんど高さが変わらない。
うそっ。
総司さん!
声を出そうとしたのに…。
「にゃっ!」
出たのは鳴き声だった。
え?
今の何?
「にゃ?」
えっと。なんか猫みたいな…。
「ふみゃ」
身体を見回せば、ふわふわとした白い毛。
視界に映る長い尻尾。
猫だ。
猫になってる。わたし。
…。
なんか落ち込んだ。
お兄ちゃんに翼と尻尾があるから、わたしも何かあってもおかしくないなとは思ってたの。
できればお兄ちゃんと同じように翼が欲しかったけど、ああいうのは生まれたときからあるんだって。
だから生えてこないよって言われて、残念だった。
メアリさんから、稀に大人になってから能力が顕在化することもあるらしいって聞いたから、もしかしてって期待はしてたの。
だったら役に立つ能力がいいなって思ってたのに。
よりによって…猫になるって…。
役に立たないよね…。
「みゃぁん」
思わず情けなくなって声を出したら、猫の鳴き声が耳に響いた。
ぺちぺちと総司さんの頬を叩く。
うーん。力の加減が難しい。
「う…ん…あやの?」
総司さん、まだ寝ぼけているみたい。
起きてくれない。
仕方なくわたしはベッドから飛び降りた。
どうしよう。
なんにもできないよね?
なんで猫なの?
もう。
もっと違う能力が良かったのに~。
ゆらゆらと尻尾を揺らしてみて気づいた。
なんか面白い。
やだ。自分の尻尾を追いかけたい。
猫になったら、行動も猫みたいになっちゃうのかな。
うずうずして…思わず自分の尻尾をおいかけようとして…。
「彩乃?」
総司さんの声に振り返った。
総司さんがきょろきょろとベッドを見回し、そして何かを持ち上げた。
あ…わたしが着ていた…。
え?
もしかして、わたし、裸?
「脱ぎ散らかして…どこへ行ったかな?」
総司さんがきょろきょろとして、目があった。
首をかしげる総司さん。
総司さん。わたしなの。
「にゃっ」
ああん。わたしなのに。
「にゃっ。にゃっ」
思わずがっくりとうなだれた。
ダメ。
鳴き声しか出ない。
「猫?」
「にゃっん」
違うの。
「かわいいけれど…どこから来た?」
「うにゃっなっ!」
違うのっ!
「おいで。おいで」
仕方なくわたしは総司さんに近寄った。
「人懐っこいな」
「にゃぁん」
わーん。総司さ~ん。
「よしよし」
頭を撫でてくれる。
気持ちいい…じゃなくて。
なんとか伝えないと。
わたしは周りをきょろきょろと見回した。
そうだ。紙とペン。
そう考えてから、また思わず脱力する。
この手で書けるわけない。
思わず猫になった手をじっと見ていたら、総司さんがわたしの手を取る。
「どうした。手が痛い?」
「にゃんんにゃ」
違うのに…。
総司さんはじっくりとわたしの手を眺めたあとで、にっこりと笑った。
「異常なし」
「ふみゃ」
異常だよ。全部異常なの。
「しかし…彩乃はどこに行ったのかな。彩乃~」
「みゃっ」
わたしが返事して、総司さんと目が会う。
「彩乃~」
「みゃっ」
「えっと…彩乃?」
「みゃっ」
こくんと首を振れば、総司さんの目がまん丸に見開かれた。
「えっ? 彩乃?」
「みゃっ」
もう一回鳴きながら、こくんと頷く。
「え? えっと…。ミケ?」
「…」
「タマ」
「…」
「彩乃?」
「みゃっ」
まじまじとわたしを見る総司さん。
「彩乃と同じ名前?」
思わずわたしは首を振った。
「えっと…。もしかして私が言っていることを理解してる?」
「にゃっ」
こくんと頷く。
今度こそ、総司さんが恐る恐るという雰囲気で尋ねてきた。
「まさか…彩乃?」
「みゃっ!」
思わずぶんぶんと頭を上下に振れば、総司さんの目が本当に大きくなって、
「ええ~っ!」
大声が耳に響いた。
耳が痛い…。




