間章 別れ
--------- 総司視点 ----------
「総司さん…わたし…総司さんと別れたいの」
さっきまでじっと大学の課題をやっていたはずの彩乃が私の横に来て、そんなことを言う。彼女の言葉は、うまく耳に入ってこなかった。
「何?」
パソコンの手を止めて彩乃を見れば、彩乃が泣きそうな顔をしながら、一生懸命に口を開く。
「だ…だからね。わたし…総司さんと別れたいの」
すーっと頭が冷めていく。何も言えず、反応もできず彩乃を見ていれば、彩乃のほうが視線を逸らした。
彩乃が本心でそんなことを言うはずがない。それだけの積み重ねが私達の間にはある。伊達や酔狂でお互い時空を超えて、契りを結んだわけではない。何か理由があるはずだと思い当たって、じっと彩乃を見た。
彩乃の目から涙が零れていく。
「彩乃? 正直に言って。何があったの?」
そう優しく言えば、彩乃が泣きながら抱きついてきた。
「ごめんね。総司さん。ごめんね」
ぎゅっと腕を私の背中に回して、泣きじゃくる彩乃の背中をぽんぽんと優しく叩いてやる。
「ほら。泣いていたらわからない。言って」
彩乃が腕の中で顔をあげた。目が赤くなって、鼻も赤くなって、そして一生懸命に私を見つめながら震えている様子は仔うさぎのようだ。
「あのね。ゲームをやって負けたの」
「え?」
「負けちゃって…バツゲームで…」
どうやら自分で別れを切り出しておきながら、自分で混乱をきたしているらしい。
「落ち着いて。彩乃。大丈夫だから。私は彩乃と別れるつもりなんて少しもない。本心だったとしても、別れてあげる気はないから」
そう伝えれば、ようやく落ち着いたようだ。こくんと頷くと、涙を拭いて、もう一度私の顔を見上げてきた。
「あのね。サークル部屋でみんなでトランプをやったの」
「トランプ…ああ。あの西洋の札遊び」
「うん。それで負けた人は勝った人の言うことをきくっていうことになって、負けちゃったの」
「彩乃」
呆れて名前を呼べば、彩乃がビクリと身体を震わせる。
「だって…そういうの…やったことがなかったんだもん」
「うん。それで?」
「最初は緊張して、凄く注意してやってたの。だから負けなかったの。負けても課題を写させてもらうとか、畑から大根を一本抜いてくるとか、そういうのだったの」
「うん」
「それで油断したら…」
「負けたわけだ」
「うん…そうなの」
彩乃が俯いて、私の胸に額をつける。
「それで? どうして『別れる』になるの?」
「そう言ったら…総司さんがどういう反応をするか…教えてって…」
つぶやくような声が、私の胸元から聞こえた。まったく。遊びにまじめになるとは。そんなもの…適当にしてしまえばいいのに。言われたほうよりも、言った本人が落ち込んでいるとは…。
「ふっ」
「総司さん?」
「あはは。かわいい。彩乃」
私は彩乃の顔を両手であげさせて、そして口付けた。
「教えてあげたらいい。『別れよう』って言われても、別れないって言われて、口付けされたと」
そこでふっと悪戯心が芽生えた。
「ああ。ダメだな。彩乃の言葉がやはり辛かったらしい。私の胸が壊れそうだから、彩乃に慰めてもらおう」
私の言葉に彩乃の顔が曇る前に、私は彩乃の膝と背中に腕を回して、すばやく横抱きに抱き上げた。
「きゃっ」
彩乃があげる悲鳴に、にっこりと笑う。
「覚悟して。彩乃。しばらく慰めてもらうから」
「そ、総司さん? どこ行くの?」
「身体が辛いから。奥へ」
身体を寝室のほうへと向ければ、彩乃も意図を理解したらしい。
「こ、こんな時間から」
その言葉を無視して、私は声をあげた。
「あ~。胸が痛いな。辛い。辛い」
そう言って、彩乃を抱きかかえたまま奥の部屋に入り、行儀作法には適っていないとは思ったが、足で戸を閉めた。
「総司さん?」
「抵抗できる?」
「ううん。しない」
彩乃がクスクスと笑って、私の唇に唇を重ねた。
「大根を一本持ってくる」というのは、盗むわけではないです。彩乃は農作業をやる「畑サークル」というのに入ってます。なので、自分たちのサークルで作ったものを取ってくるという罰ゲームです。




