第12章 それぞれの秘密・前編(2)
総司がほぉっと息を吐いて、何かを言おうとしたときだ。がちゃっとドアが開いて、女の子が一人走りこんでくる。
「パパっ!」
小学生ぐらいだろうか。小さな身体でぶつかるようにしてベッドまで走ると、近藤さんに手を伸ばした。
「パパッ。大丈夫っ?」
近藤さんが混乱したような顔で、女の子の頭に手を置いた。
「ひかる?」
「うん! ひかるだよっ!」
少し遅れて女性が入ってくる。病室内の僕らを見て軽く会釈した。
「あなた…」
近藤さんを見るなり足早にベッドに近づく。
「みゆき…?」
そこで近藤さんは自分の頭に手をやって、そして僕を見て、総司を見て、彩乃に視線を移した。問うような視線を僕に投げかけてくるけど、僕は肩をすくめるしかない。
「すみません。寝ぼけていたみたいで…」
そう謝ってくる近藤さんに僕は微笑んでみせた。
「いいえ。寝ぼけていたわけじゃないですよ。近藤さん。今は…家族水入らずのほうがいいと思うからお暇しますけど…。そのうちにゆっくり話しましょう」
僕はポケットの中に入っていた名刺を取り出して、前の住所の部分を消して今の住所を書き足す。
「牧師?」
「ええ。僕、牧師なんです。何か思い出したら…いいえ。迷ったら、どうぞいらしてください」
僕はそう伝えて、総司と彩乃を目で促して病室から出ようとしたときだ。近藤さんが僕たちを呼び止める。
「あの…トシは…」
その言葉に僕は胸が痛くなった。
「ちょっと彼は来られなくて…」
「そう…ですか」
がっかりした顔の近藤さんを残して立ち去ろうとしてから、ふっと思い出して病室を出る寸前に、くるりと後ろを振り返る。
「彩乃は…ここではあなたとは初対面ですけど、僕の妹で、総司の恋人なんです」
僕の言葉に近藤さんが一瞬驚いた顔をして、そして笑った。その視線が総司に移る。
「それは良かった」
「はい」
総司が誇らしげに返事をして会釈をし、その横で彩乃が照れてペコリとお辞儀をした。ドアが閉まったところで、僕らの耳に近藤さんと奥さんの声が聞こえてくる。
「あなた…意識が戻って…良かった」
「ああ。心配かけてすまなかった」
「あの…あの人たちは?」
「ああ。バーの常連客で…私の古い古い友人だよ」
その言葉に僕らは微笑みながら視線を交わし、病室から離れていった。
日本家屋の我が家。古い家なのに、あの時代と比べ物にならないぐらい暖かいのは、あちこちに手を入れてあるからだろう。窓のところにはサッシが入っていて、きちんと閉まる。茶の間の床には床暖房が入っていて、個々人の部屋にもエアコンが完備だ。
ガラガラと横スライドのガラス張りのドアを開ければ、テレビの音が耳に飛び込んでくる。
「ただいま~」
僕らが口々に帰ってきたことを告げれば、レイラがエプロン姿で現れた。
「お帰りなさい。いいタイミングよ。マフィンを焼いたの」
レイラはお菓子作りが趣味らしい。こんな風に一緒に住んでみるまで気づいてなかった彼女の特技だ。たまに暇なときに作ってくれるクッキーやパウンドケーキは、バターが効いていて絶品だった。今日のマフィンも楽しみだ。
最近思うのは、こうやって『いってきます』『いってらっしゃい』『ただいま』『おかえりなさい』って言葉を交わすのはいいなぁって言うことだ。これは日本の文化のいいところだよね。うん。
余談だけど英語ではそういう文化がないし、訳すと無理やりになる。文化は訳せない。そういうことだ。
茶の間に入ればテレビがつけっぱなしで…誰もいなかった。僕はため息をついてテレビを消す。
「はぁ。まったくつけっぱなし」
総司も苦笑いする。
「察して逃げたんですよ」
「だよね~」
僕ももう笑うしかない。この家の中で、こんなことをするのは一人しかいない。




