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第9章  近藤さん(6)

 ぐっと足を踏み入れて警戒しつつも、ドアに近いほうに倒れていた土方さんに近寄る。呼吸音の一つは土方さんだった。気を失っているようで、軽く叩いてみたけれど反応がない。頭から血が流れていて、それは止まっていなかった。ちらりと見ただけだけど、どうやら頭が陥没しているらしい。そして手足がそれぞれ一本ずつありえない方向に曲がっていた。


 奥に倒れている近藤さんの状況も確かめようと、そちらに足を向けた。人の気配はない。微かに近藤さんの身体が上下している。ようやく警戒を解いて、近藤さんの傍へしゃがみこむ。こっちはくの字になって倒れているけれど、とりあえず気絶しているだけのようだ。


 あ、前言撤回。どうやら右手は折られているっぽい。念のため近藤さんの首筋に指を当てて、脈を確認した。とりあえず生きている。状況が分からないだけに動かすのはやめたほうがいいだろう。そうなると…救急車だよね。やっぱり。


 僕はちらりと土方さんを見た。まだ意識が戻っていない。申し訳ないけれど、土方さんは病院に送るわけにはいかない。人間と違う僕らだから、どこからどういう結果が出るかわからないからね。


 近藤さんの状況は一刻を争うもののようには見えなかったので、とりあえず土方さんをなんとかするべく、僕は彼の脇にしゃがみこんだ。


「土方さん」


 ぺちぺちと頬を叩いてみる。返事がない。そしてまだ頭の傷から血が流れていて…。僕は眉を顰めた。あまりにも回復が遅すぎる。


 とにかくこのままにしておけない。きっと意識があるときには嫌がると思うから、意識がないうちに手当てをしてしまおうと、僕は膝をついてぐっと身体を床に近づけると、土方さんの傷口に唇をつけた。


 久々に使う僕の喉の奥から出る液体。外傷であれば治すことができる特効薬だ。舌に触る土方さんの肌と血。土方さんの肌を舐めていると思うと嫌だから考えないようにする。


 しかし…意外に土方さんの血、おいしいな。いや。ちょっと待て、自分。正気を保て。ここで久しぶりの生き血に舌鼓を打っている場合じゃない。

 

 そんなやりとりを自分の脳内でしてから唇を離せば、血が止まって傷が治り始める。さらに彼の逆側に曲がってしまった腕を取って、ぐぃっと元に戻した。


「いてぇっ!」


 悲鳴が上がって、土方さんが目を覚ます。よしよし。


「おはよ~」


 僕が手を振れば、ぐぃっと襟首を掴まれた。


「宮月、てめぇ」


「土方さん、落ち着いて。腕が逆に曲がっていたから、治してあげただけ。ほら。足も戻さないと」


 僕が襟首を掴まれたまま指差せば、土方さんは自分の足を見て顔をしかめた。


「なんだ、こいつぁ」


「折られたらしいね。とりあえず戻すから、我慢してて」


 手放された襟を元に戻してから、土方さんの足に手をかける。


「よいしょ」


 彼が何の心の用意もしていないうちに、容赦なく元に戻した。


「xhしかfとぉええう!」


 土方さんの声がバーの中に響き渡った。なんとも豪快な叫び声だ。


「て、てめぇ。やるなら、やるっていいやがれ」


「言ったじゃん。戻すから、我慢しててって」


 僕がへらへらと笑って言えば、土方さんに睨まれた。目元に少しばかり涙が浮かんでいたように見えたのは、見なかったことにしよう。それでもまだ骨が回復していないらしい。腕に力が入ってないし、立てない。


 再び僕は眉を顰めた。さっきの頭の傷といい、この骨折といい、回復が遅すぎる。僕ら一族だったらもっと早く回復してもいいはずだ。


「おい。かっちゃんは」


「あ。奥。とりあえず気絶しているっぽい。今から救急車を呼ぶから」


「きゆう?」


 土方さんの口から、どっかの電気ネズミみたいな音が漏れた。


「救急車。医者。薬師を呼ぶ」


「お、おう」


 119番に電話すれば「救急ですか? 火事ですか?」とオペレーターの人ののんびりした声が聞こえてきた。いや。これは落ち着いた声って言うべきなんだよな。うん。


「えっと救急です」


「どんな状況ですか」


「怪我人です」


 一つ一つ答える。意識はあるか、呼びかけて応答があるか。僕は電話を持ったまま近藤さんのところに移動して、肩を叩いた。ここで揺らしちゃいけない。トントンと叩いて、少し大きめの声を出して耳元で呼びかける。


「近藤さん。近藤さん」


 返事なし。僕は電話の相手に答えた。


「呼びかけても応答がないです」


「では現在位置を教えてください」


 僕が自分の名前とここの住所を告げると、今から出動しますと告げられて、電話は切れた。くるりと土方さんの方へ向き直って、のろのろと立ち上がった彼に車のキーを渡す。


「前に止めた駐車場に車があるから。先に中で待っていて。ドアを開ける以外しないでよ」


「ここに残って…」


「残るのはダメだよ。土方さん自身が血だらけだし。その状態で病院に運ばれても困る。それに素性を尋ねられたらまだ困るんだ。まだ色々データがそろってないから」


「ああん? どういうことだ?」


 僕はため息をついた。まだ土方さんのデータは出来上がっていない。戸籍は作ったけど、それに付随する今まで生きてきた痕跡は作りきれていない。だからどこかに照会するということができないわけだ。


「とにかく。ここは僕に任せて。とりあえず後で行くから車に行って」


 土方さんは一瞬、何かを言いかけて…けれど黙って頷いた。


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