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第8章  火事(6)

「あ~。えっと…。すまねぇ」


 土方さんがばつが悪そうに謝罪の言葉を口にしながら、頭を下げた。僕は肩をすくめる。


「別に。教会は燃えたけど、みんな無事だったし。って…李亮、怪我は?」


 いつものように皆の一番後ろに控えていた李亮に声をかければ、小さな声で「大丈夫」と返事がきた。洋服はあちらこちらに煤がついて、穴が開いてぼろぼろだ。それでもちゃんと連れて出ることができて良かった。身体については、もう回復して大丈夫だろうとは思ってたけどさ。


「どこのどいつか知らねぇが、ただじゃおかねぇ」


 土方さんが目を剥く。それは同感だ。だが今にも飛び出していきそうな土方さんを、僕は制した。


「僕もそう思う。だったら、まずは敵を知らないと」


「それもそうか。『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』だな」


 土方さんの言葉に思わずにやりと嗤った。孫子だ。江戸時代から明治にかけて、盛んに研究されていた兵法書だからね。土方さんも研究したんだろう。すらりと出てくるところがさすがだね。


「そういうこと。まずは情報収集と作戦立案といこう。とりあえず…悪いけど僕はシャワーを浴びて着替えたい…って着替えがないのか」


 ぐるりと見回せば、皆、煤けた格好のままだ。着の身着のまま逃げたんだから、そりゃそうだ。この煤けた格好で買い物に行くとか…無いよな。仕方ない。


「二時間後。今の状態のままでいいから、この部屋にもう一回来て。それまで各自、解散」


 僕はそう宣言して、部屋から皆を追い出した。…全員追い出したつもりだったのに、レイラと李亮だけが出て行かない。


「えっと…李亮?」


「部屋、取ってない。マスタの傍、いる」


 李亮は自宅が傍だしね。まあ、いいか。


「で、レイラは?」


「私はあなたと同じ部屋」


 うふふ~とレイラが笑った。


「えっと…李亮がいるけど?」


「別に構わないけど?」


 レイラが楽しそうに答える。そして僕の傍に来て、ぽんぽんと僕の背中を軽く叩いた。


「お疲れ様。傍に居れば、何かできるんじゃないかと思って。だからこの部屋にいるわ。ベッドルームは別だから。安心して」


「じゃ、なんでさっき、ドアから皆と一緒に入ってきたの?」


 レイラが微笑む。


「総司と一緒に彩乃を慰めていたから」


 あ~。たしかに彩乃、しょんぼりしてたな。うん。


 僕は脱力して、床に座りこんでからレイラに携帯電話を放り投げた。レイラがキャッチして、僕を怪訝な顔で見る。


「近所の適当な洋服屋に電話して、適当な服を見繕ってこの部屋に持ってきてもらうように連絡して。できれば下着から上着まで一気に。ブランドは何でもいいから」


「やってくれるかしら?」


「さあ? ダメならデパートの外商に連絡して」


 レイラは奥の部屋からノートパソコンを引っ張りだすと、ぱちぱちとなにやら検索してから電話をかけ始めた。


 もう僕は動くのも億劫になっていて、床に寝転がる。土足の絨毯の上だからお世辞にも綺麗と言えないけど、僕も煤だらけだから別にいいや。ふっともう一つやっておかないといけないことを思い出して、重く感じる口を開く。


「李亮」


「はい。マスタ」


 傍で大人しく僕とレイラの会話を聞いていた李亮が、わずかに僕のほうへ寄る。僕は李亮を寝転んだまま、下から見上げた。僕のほうが背が高いから、いつもは見下ろしている李亮を見上げるのは新鮮だな。どこか無表情な、それでいて怯えたような瞳をした表情が僕を見ている。


「お願いだから僕のために命を落とすなんてことしないで」


 李亮の目が見開かれる。


「あんなところで君が死んだら、僕は君のお母さんになんて言ったらいい?」


「母。分かってくれる」


 僕はゆるゆると首を振った。


「頭で理解することと、気持ちで理解することは違う。君は君のお母さんのために生き残った。君が死んだら、お母さんは泣くだろ? だから、その命を無駄にしないで」


 李亮がうつむいて唇を噛む。


「李亮。返事」


「マスタ。マスタの命、大事」


「それは嬉しいけど、自分の命も大切にして」


 そう言った瞬間に、横から声が入る。


「あなたもね。あなた自身が自分の命を大事にしないのが悪いのよ」


「レイラ」


 レイラは僕を悲しそうな瞳で見ていた。


「彩乃…凄く泣いて、後悔してたわ。もしもあなたが戻らなかったら、そのほうが彩乃に対してあなたは酷いことをすることになるのよ」


「僕は…戻るよ」


「そんなの、わからないじゃない」


 僕は口を開きかけて…そして閉じた。


 多分、気持ちのどこかで、もう自分がいなくてもいいと思っているのかもしれない。彩乃には総司がいるし。僕がいなくなっても、きっと数年すれば彩乃が当主を生んでくれるだろう。


「やめてよ」


「レイラ?」


「馬鹿なこと、考えないで」


 ああ。そうか。レイラには分かるんだ。


「分かるわ」


 そうだよね…。


 僕は心の中でため息をついた。教会が焼け落ちたのは、思っていたよりも堪えたらしい。どうやらかなり弱気になっているようだ。


「眠るほうがいいわ」


「洋服は?」


「あなたが皆に召集をかけたのと同じ二時間後。しばらく眠って」


「うん」


「ベッドに行けば?」


「もう身体が動かないし、汚れてるからここでいい」


「そう…。じゃあ、お休みなさい」


 僕はレイラの言葉に導かれるように、床の上で眠りについた。


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