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間章  仕事

----- 李亮視点 -----------


「仕事に行ってくる」


 古いけれど明るく清潔なアパートの部屋で、本来の年齢よりも苦労のせいで老いたように見える母親に伝えれば、ちょっとだけ悲しそうな顔をされて、「気をつけて」という言葉が返ってくる。


 そのまま出て行こうとして気づいた。今までどれ一つとして伝えられなかった仕事の内容。ところが今の仕事は誰に言っても後ろめたいところはない。


 くるりと振り返って母の顔を見れば、怪訝な顔で見返される。


「今の仕事…教会の修繕だから」


「?」


「そこの…すぐ近くにある教会の…牧師さんに雇われている」


 そう言った瞬間に、母が驚いたような顔をして、そしてくしゃりと嬉しそうに顔をゆがめて、ほんの少し涙ぐみながら笑った。


 今まで人に言えないような仕事ばかりして、母を養ってきた。そのことに母が気に病んでいたのも知っている。


 本国から母を引き離して、この東の小さな島国まで来た。そしていつも母をアパートの一室に押し込めて、どこに行くとも、何をしているとも言えずに、仕事に行くとだけ伝えてきた。


「その…牧師さんは…いい人なのかい?」


 母の言葉に思わずおずおずと頷いた。


 躊躇したのには訳がある。そもそもあの人は「人」ではない。いいか悪いかと言われると判断が難しい。前にいた教団に乗り込んできたときには、殺されると思ったし、その恐怖心はしばらく消えなかった。


 仕事の話とアパートの話をするために、一人、教会堂に呼ばれたときには最悪だった。絶対に殺されると思っていた。とにかく全身で発している雰囲気が半端ではない。それぐらい怖い。


 その一方で、約束を守ってこのアパートを提供してくれている。古いけれど日当たりも風通しもいいし、全体的に手入れが行き届いている。前に住んでいた暗くてじめじめしたアパートとは段違いだ。


 教会を修繕し、家の周りも含めて掃除し終わってしまえば、これまた約束どおり日本語を教えてくれる。


 賃金もある意味多すぎるぐらいだ。この家の光電熱費に母の食費と、二人の日用品に使って、質素に生活すれば少し蓄えができる。その上、定期的に食事となる血も提供してくれている。


 冷蔵庫にはいつも銀色のボトルが一本入っている。教会で皆と一緒に飲むときもあるが、飢えないために自宅にも一本置いておけと定期的にくれる。


 母が心配そうな顔をしているのを見て、考えながら口を開いた。


「主は…親切だが、怒ると怖い。凄く怖い」


 母が眉を顰める。慌てて言葉を付け足した。


「めったに怒らない。仕事で失敗しても怒らない。でも本当に怒ったときには怖い」


 そう言うと母はほっとしたようだった。


「日本語も教えてくれる」


 続けて言えば、母ははっきりとした笑顔を浮かべた。肩の力が抜けて目じりも下がっている。


「行くから」


 もう一度そう言って、玄関から母を振り返れば、いつもとはまったく違う安心しきった顔で見送ってくれていた。あんなに嬉しそうな表情は初めて見た。


「今度…主に会わせる」


 そう約束して家を出る。


 主も自分も人間ではないのだと。それだけは言えない。それでも…きっと今までの生活よりはずっといい。


 主が教えてくれることは言葉だけではなくて、生活していく術も教えてくれる。知りたいと思うことを聞けば、その知識を教えてくれる場合もあれば、どのように調べればいいかを教えてくれる場合もある。


 こんな人に今まで出会ったことがない。


 いつまで傍においてくれるのか分からない。それでも、できるだけ傍に居て色々教えてもらおうと思う。主と言うよりは師匠と言うべきか。


 ふっと母の笑った顔を思い出す。


 教会は誰にでも開かれていると主は言っていた。あの主であれば、母を連れていっても怒らない気がする。


 今度の日曜日にでも、いつも座っている隅の席に母を連れていけば、もっと喜ぶだろうか。ここが自分の働いているところだと見せれば、もっと安心するかもしれない。


 そう考えをめぐらせているうちに、近い距離にある教会は、もう目前だった。


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