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間章  客 その2(2)

 なんだ…。今のは。この客から立ち上る雰囲気が尋常ではなかった。まるで二人組みを素手で殺すんじゃないかと思えたぐらいだった。


 どさり。椅子に身体を下ろす音がして、呪縛が解けるように、店に充満していた雰囲気が消えた。


 静かなジャズが耳に戻ってきて、あの二人組みが入ってくる前のような雰囲気だ。


「ほれ」


 紙幣が差し出される。今になって自分の手も足も細かい震えが走っていることに気づいた。喉が凍ったようにうまく声が出ない。


「あ…」


「迷惑料だと思って、とっておけよ」


「あ…しかし…」


 殺気だった雰囲気は霧散していた。前のままだ。いたずらっ子のような顔をしてにやりと嗤う。


「さっきの。もう一杯くれよ。ほれ」


 手に握らされた紙幣をカウンターの内側において、そしてふらふらとグラスを用意する。


「お、お客さん…何している人ですか?」


 怖いもの見たさか、なんなのか。言った瞬間にマズイと思ったが、口から出た言葉は拾えない。慌てて打ち消そうとしたが、客は気にしていないようだった。


「俺か? 俺は今…なんにもしてねぇよ」


「はい?」


 客がぽりぽりと自分の頬を掻いた。


「なんていうか、あれだ。知り合いのところに転がり込んでるって奴だ。早く仕事を見つけられるようにしろって、煩くてよ。あれやこれや、勉学に励めって言ってきやがる」


 え? 思わずマジマジと顔を見てしまった。


「どっかの…組の人じゃ…」


 酒の入ったグラスをコースターの上に置きながら、ついうっかり口にしてしまった。これもまずかったと思ったが、客は屈託なく笑う。


「組か。組なぁ。そうだな。昔は組にいたな。俺らは局って呼んでたけどよ」


 やっぱり…。


「今は…」


「ねぇよ。そんなん。とっくの昔になくなってやがる」


 寂しそうに笑って、くぃっとグラスから酒を飲んだ。慌てて水を用意する。普通の度数では無いのだ。そんな風に飲んだら急性アルコール中毒になりかねない。


「ゆっくり飲んでください」


「うっせぇなぁ。大丈夫だって。かっちゃんは心配性だな」


 そう言われて、思わず顔を見てしまった。客のほうもしまったという顔をする。


「す、すまねぇ。知り合いに似ててよ」


 さっきまであんなに凄みがあったのに、それが一転して身体を小さくして慌てている姿に思わず笑ってしまった。笑ってしまってから失礼だったと、今度はこっちが慌てる。


「す、すみません。笑って」


「い、いや。いいってことよ。俺がヘンに呼んだんだしよ」


 照れている姿に、思わず気が緩んだ。


「かっちゃんでいいですよ。昔のあだ名…かっちゃんだったので。呼びやすいならそれで」


 男の動きが止まった。そしてこちらをじっと見る。探るような目つきと、その強い視線に思わずたじろいだ。


「な、なんですか」


「いや…。姿が似ていると、いろいろ似るのかと思ってよ」


「はい?」


「何でもねぇよ」


 またグラスから酒を飲んだ。ゆっくりと言ったのが効いているのか、ちびちびと飲んでいる。


「お客さんは…なんてお呼びしましょうか」


 グラスからこちらに視線があがった。


「あ、別に本名ではなくていいです。呼び名がないと不便でしょう」


 客の視線が漂った。言いたくないのかもしれない。何でもいいと言おうとしたところで、ポツリと小さな声が耳に届いた。


「トシ」


「はい?」


「トシって呼んでくれ」


「トシさん?」


 そう言ったとたんに、視線がグラスに降りる。


「トシでいい。敬称はいらねぇ。トシって呼んでくれ」


「トシ」


「ああ。それでいい」


 トシが、にっと笑った。だが、どこか寂しそうな笑いだ。


「もう、そんな風に俺を呼ぶ奴はいなくなっちまったからよ。誰かに…呼ばれてぇのかもしれねぇな」


 最初に来たときに知り合いがいないと言っていた。寂しいのかもしれない。


「あ~。ナッツでも食べますか?」


 思わず出てきたのは、そんな言葉だった。トシがにやりと嗤う。


「いいな。ナッツ」


 さっきの金もある。今日は少しこの客におまけをしてやろう。そう思って、いくつかつまみになりそうなものを出そうと、トシに背を向けた。 


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