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第2章  驚きの基準(9)

「えっと…近藤いさみ…さん?」


 そう呼びかけると、近藤さんは納得したように微笑んで、そして壁の「食品衛生責任者」の紙を親指で示した。


「これね。近藤ユウって読むんですよ」


「ユウ…」


 そして僕の前に小さな紙切れを差し出す。お会計だ。慌てて財布を出して払えば、領収書がいるかどうか聞かれたので、不要だと答えた。その代わりに店のネームカードをもらう。


 ネームカードを見て、目の前の近藤さんそっくりな人を見て、僕は一瞬、僕のことを知っているかどうか尋ねたいと思った。しかし、すぐにその考えを捨てる。どう見ても。今までの会話でも。この人にとって、僕は初対面だ。


 気持ちを立て直し、僕は営業用のスマイルで笑ってみせてから、土方さんの腕を取って立たせた。


「行きますよ」


「おぅ」


 土方さんが後ろを振り返った。


「また来る」


 そう言い残して店から出た。


 車に乗り込んでも、道中も、ずっと僕らは無言だった。道のライトを眩しく感じる。手にしているのは馬の手綱じゃなくて、ハンドルだ。現代にいるはずなのに、まだ幕末にいるような不安定な感じだった。


 家についてリビングに入ったところで、土方さんが口を開く。


「どう思う?」


「どうって?」


「あの『近藤さん』だ」


「似てた」


「そんなんは見りゃぁ分かるだろうよ。違げぇよ。同一人物か?」


 僕はため息を吐き出して、ソファに身体を投げ出すように座り込んだ。すぐに土方さんも向き合うようにして腰を下ろす。


「おめぇらみたいのがいるんだ。もしかしたらかっちゃんも…」


 期待を込めたような言葉を僕は片手を上げることで制した。そして土方さんの目を見る。


「同族かどうかは分からない…ただ…」


 僕は一瞬言葉をとめた。これを言うのは酷だ。だけれどその事実を抜きにするわけにはいかない。


「歴史上で、新撰組局長、近藤勇は斬首された。そして京都の三条河原でさらされている。首を切られたことが確認されていて、死んでいることが確認されているんだ」


 土方さんが喉から詰まるような音を出した。


「元から一族なら特殊能力…っていうのも考えられるけれど、眷族だったら首を切られて、まず生きているっていうことは無い」


「他のアヤカシってことはねぇのか」


「一族以外の人外ってこと?」


「ああ。例えばろくろ首ってぇことはねぇのか?」


 僕は眉をひそめた。ろくろ首って言ったら、あの首がびよーんって伸びる奴じゃないか。


「首がのびても…」


 僕の言葉を土方さんが即座に否定する。


「ちげぇよ。首抜けのほうだよ」


「え?」


「ろくろ首っていったら、あれだろ。首抜けだろ。ああ、そういや、親の因果が子に報いってぇほうも、ろくろ首か。紛らわしいな」


 えっと…。


「二つあんだよ。首抜けっていって首だけ取れる奴と、首が長くなる奴と」


 ああ。そういうことか。僕はゆるゆると首を振った。


「正直分からない。日本のアヤカシ事情は、正直良く分からないし。日本じゃなくても僕らみたいのがまだ他にいるのか…それとも途絶えているのか」


 僕らみたいな人外は、隠れているからね。大々的に正体を明かして歴史に名を残すわけでもないし、途中で迫害もされているから古い先祖をたどるのも難しいことが多いし。幸い僕の家系は中心に位置していたから、いろいろ残っているけどさ。


「じゃあ、あれだろ。輪廻転生」


 土方さんは思いついたように言った。仏教思想だね。生きとし生けるものはすべて生まれ変わるっていう考え方だ。


 僕は一瞬、いろいろなことが頭によぎって、そしてそれを打ち消すように口を開いた。


「それも分からない。それなりに長く生きているけど、僕自身が実例を目の当たりしたことはないし、そのままの姿で現世に蘇るという話は聞いたことがない」


 チベットではたくさんの輪廻転生者がいるとされていて、日本でも有名なところだとダライ・ラマ法王と高僧パンチェン・ラマがいる。転生の逸話はいくつも語られているし、それについて僕は否定も肯定もする術を持たない。


 1つだけ言えるとしたら、チベットの寺院でダライ・ラマ五世から十四世までの像や写真を見ると、それぞれに特徴があるということ。つまり同じ姿ではないということだ。


 ちなみに一世から四世は、ゲルク派の宗祖であるツォンカパ(音はジョン・カパーと言うのに似ている)の弟子としての像しか見たことがないけれど、デフォルメされているために、僕から見たらまったくそっくりだった。実際のところがどうだったのかよく分からない。


「おめぇは、分からないだらけだな」


 思わず僕は土方さんを睨みつけた。土方さんがたじろぐ。


「な、なんだよ」


「僕が分かるのなんて、自分の眷属かどうかだけだ。そんなに簡単に、転生だ、同族だ、アヤカシだ、なんて分かったら苦労しない」


 僕は思わずはき捨てるように言ってから立ち上がった。


「寝るよ」


 階段に足をかけたところで、振り返る。


「土方さん。次は絶対に迎えに行かないから。自力で帰ってこられるように、ちゃんとお金を残して。または歩いて帰ってきて」


「おい」


 呼び止める声を無視して、僕はもやもやした気持ちのまま自分の部屋へ入った。


 そうだよ。分かれば苦労なんかしない。この人は輪廻転生している。僕が知っている人だと…すぐに分かれば。


 一瞬、過去のことを思い出しかけて、僕はそれを振り払って寝巻きに着替えるとベッドにもぐった。


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