第7章 視線(3)
周りには子供連れがほとんどだ。一緒にエレベーターで上がってきたのは、子供連れと荷物を両手に抱えたおばさんが一人。視界の隅でおばさんを見ていたが、僕がいる場所とは反対側にあるベンチへと座りにいった。
子連れの人はすでに子供を屋上の乗り物に乗せて、何か子供と話している。僕のほうを気にしている様子はない。わずかながら安心しつつも、携帯電話を握る手が緊張する。
続くコール。お願いだから出てくれよ。僕一人なら監視カメラだろうとなんだろうと気にしない。だが今はダメだ。あの家には彩乃も総司もいるんだから。
コールがやんで、色っぽい声の英語が僕の耳に響いた。携帯電話を持ったというときに、番号を聞いていて、そして登録しておいて良かったよ。
「誰かと思えば…掛けてくるなんて初めてじゃない」
「レイラ。悪いけど力を貸してくれ。どうやら僕らは監視されているらしくて…」
そう言った瞬間に、電話の向こうでレイラが息を飲む。
「場所はどこ? まだ日本にいるの?」
僕は教会の住所を伝えた。カチャカチャと向こうでキーボードを叩く音がする。
レイラは僕のいとこで、そして天才的なハッカーだ。なんというか、ネットワークというネットワークに入り込むことができる。一般的なハッカーという枠に収まらない。
余談だけれど、僕や彩乃の戸籍が日本にあるのも彼女のおかげだ。そうそう。総司の分も作ってもらわないと。戸籍が無いといろいろ面倒だからね。
とにかく、今はこの監視が問題だった。
「あ~。なんかありそうだけど…ブロックされているわね。ここにはまともな機材がないし…多分、すぐには無理よ」
僕は頭を抱えた。レイラのため息が聞こえる。
「こういう時でも来てくれとは言わないのね」
「え?」
「いいわよ。行くわ。日本ね。多分半日で着く」
「え? 今どこにいるの?」
「バンコク」
なんだかよく分からないけれど、タイだったらすぐだ。飛行機さえ取れれば、すぐに来られるはず。
「いや…でも…」
それは申し訳なくて、僕は言いよどんだ。彼女には彼女の生活があるはずだ。
「いいのよ。行くわ。See you soon.(すぐに会いましょう=さようなら)」
そう言って電話は切れた。僕は監視カメラの行き先を教えてもらって、さっさと対処しようと思っていたのに、レイラ自身が来るなんて…。いいんだろうか。
帰りの車の中で、僕は彩乃と総司に話そうかどうしようかと思って迷ってやめた。
狙われるとしたら、僕だろう。あまり価値があると思えないけれどこの土地か。一応、名義は僕にしてあるからね。
またはイギリスの投資会社から調べたか。ただ…イギリスの投資会社からの資金はスイス銀行経由だから、そこから情報が出るのは考えにくい。
ちなみにスイス銀行っていうのは、スイスにある銀行の総称だ。有名なのはスイスのプライベートバングの守秘義務や匿名性。一族の資産も一部はスイスの某プライベートバングに預けてあり、一部は運用されている。
それとは別にスイスに居たことがあれば、スイスの銀行に口座を持つのは普通のことで、不思議じゃない。一昔前のマンガなんかで「報酬はスイス銀行に」なんていう台詞が流行ったから、日本では特別な感じがするけど、日本に居て日本の銀行に口座を持つのと同じことだ。
閑話休題。彩乃のストーカーにしては、やり方に金がかかりすぎているし、総司は知り合いがいない。だとしたらやっぱり僕だろう。
家の中で一族の話をすることはあまりない。それに既に聞かれていたのならば、総司が現代社会をよく知らないということは、ばれているはずだ。だけどそれで過去から来た人間なんて言い出す奴はいないだろうし。
幸いなことに翌日は彩乃の取っている講義が休講になったとかで、二人はデートの約束をしていて、水族館に行くといっていた。だから家から離れることになる。それに二人一緒にいれば、まあ何か不測の事態があってもなんとかなるだろう。
僕らに手を出す一族がいるとは思えない。善右衛門さん…もとい海さんはともかくとして、ほかの家系なんてほとんど残っていない。そしてそれぞれの眷属はそれぞれの当主に監督責任がある。そんな状況下で、落ちぶれたとは言え、なんとか生き延びるためのネットワークを保っているうちの家系と手を組みたいとは思っても、機嫌を損ねるような真似はしないだろう。
そうなると、相手は人間だとしか思えないんだよね…。
レイラが来るまで、まる一日。僕は何事も起こらないように祈りながら、過ごすことになった。




