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もう未来なんて売らない  作者: バーニー
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その⑩

 電車の再開は絶望的だったので、僕はタクシーを拾って隣町に向かった。

 電話の向こうの男性に指定された総合病院の前で降りると、財布の中の一万円を運転手に叩きつけ、タクシーを転がり降りた。

 過呼吸を起こしながら、何度も転びながら、病院の中に入り、迎えてくれた看護婦さんに案内されて…、病室…ではなく、霊安室に通された。

 その白いベッドの上に、母さんは横になっていた。

「おい…」

 僕は白い布を顔に被っている母さんに話しかけた。

「おい…、何やってんだよ…、帰るぞ…」

 隣に、救急車を呼んでくれたお隣さんが立つ。

「ごめん…、ここ最近、ずっと静かだったから…、おすそ分けも兼ねて様子を伺おうとしたんだけど…、その時は既に…」

 僕は彼の言葉を無視して、母さんに話しかけ続けた。

「おい…、何やってんだよ、このくそが…、人様に迷惑かけやがって…。金なら送ってただろうが…。薬飲んでなかったのかよ…。おい…、さっさと帰るぞ…」

 手を伸ばし、白い布をはぎ取る。

 そこには、いつも通りの母さんの顔があった。真っ白で…、目の下には隈があって、鼻がつんと上を向いた…、もう少し血色が良かったら「美人」の分類にはいる…、母さんがいた。

 母さんが…、いた。

 十年前、僕が「未来」と引き換えに助けた母さんだ。「小説家」になることを捨てて、助けた母さんだ。

 昼間の女の声が、頭に響いた。

 貴方の運命が「空虚」であることに変わりはありません。幸せと感じているのも、雨雲の切れ間から覗く陽光に過ぎません。いいですか? 運命は『空虚』です。それに、貴方は気づけていない…。見てみないふりをしている…。

 背後に立ったお隣さんが、絞り出すように言った。

「睡眠薬を…、大量に飲んだんだ…」

一年以上前に家を尋ねた時に見かけた、睡眠薬。

 何度も無視をしたメッセージ。

 そして、今日の昼間に送られてきた「さようなら」の言葉。

「……」

 頭蓋骨の奥で、何かがブツンッ…と切れた。

 僕は膝から崩れ落ち、死人のように冷たい床に手をついた。半開きになった口から、粘っこい唾液が滴る。頬を、汗が伝う。目を見開くと、視界に赤、黒、白の閃光が駆けた。

「はあ…、はあ…、はあ…」

 肺が痙攣しているみたいに、息が吸えない。

 お隣さんが「大丈夫かい?」と背中をさすってくれたが、感覚が麻痺して、ただただ、気持ちが悪かった。

「あ、ああ…、あ、ああ…」

 そして、叫んでいた。

「ふざけんなよおおおおッ! ふざけんなッ! ふざけんなああああああああッ!」

 振り上げた拳で、何度も床を殴った。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も殴った。

「クソがああああ! ふざけんな! なに死んでんだよおおおおおッ!」

 立ち上がって、母さんの間抜け面を殴ろうとしたが、たちまち脚の力が抜け、ベッドの上に突っ伏すように倒れる。

「てめえ! なに死んでんだよ! なに自殺してんだよおおお! ふざけんな! てめえ! オレに生かしてもらっておきながら! なに死んでんだよおおおおおおッ!」

 お隣さんや、控えていた看護師さんが、僕に駆け寄り、母さんのベッドから引きはがす。「落ち着いてください!」という声が、籠って聞こえた。

 僕は足をばたつかせながら叫んだ、叫び続けた。

「てめえ! 返せよぉ! オレの、オレの『未来』を! オレの『未来』を犠牲にしたんだぞ! オレの金だぞ! てめえ! オレのおおおッ!」

 看護師さんが僕を押さえつける。何度も「ヒイラギさん! 落ち着いてください! 気を確かに!」という声が聞こえる。それでも、僕は天井を仰いで叫んだ。

「ああああああああああッ! アアアアアッ! アアアアアアアああああッ!」

 本来の「運命」ならば…、母さんはあの時に死んで…、もうこの世には存在しない「未来」にあった。それを、僕が「未来」を売って得た金で変えた。

 母さんを生かしたのは、僕の「未来」だった。

 それなのに…、母さんは逝ってしまった。何も与えることなく…、嫌悪だけをなすりつけ、一人、あの世に逃げていった。

 結局僕は、未来をどぶに捨てただけだったんだ。

「アアアアアアアアアアアッ! アアアアアアアアアアアッ! ああああアアアアアアアアアアアッ! アアアアアアアアアアアッ!」

 霊安室には、ぶっ壊れた僕の、悲鳴だけが響くだけだった。


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