その③
一年が経った。
僕は美桜を東京の有名な病院に連れていき、金を惜しまず最新医療を受けさせた。
ほとんどがダメもとだったが、手術は成功し、一度は生死を彷徨うこともあったが、少しずつ、亀の歩みで回復していった。
未来を売って得た金は湯水のように流れで、そして、消えた。親戚に頼みこんで借金をした。いい顔はされなかった。
父親が何度か、美桜に新しい未来を買い与えようと画策したらしいが、すべて彼女自身が拒否した。「自分の未来は自分で決める」と宣言していた。父親は「勝手にしろ! お前なんて産ませるんじゃなかった!」と吐き捨て、病室を後にした。それっきり、会っていない。
僕は趣味で小説を書きながら、バイトをし、少しでも彼女の医療費の足しにしようとした。多分、雀の涙だったと思う。
茜さんとはその後も仲良くやっている。美桜のことを話したら、「私というおねえさんがいるのに!」と酒臭い口で怒られた。
美桜に金をつぎ込む僕に、周りは「他人なのに、よくもそんなことができるね」と言った。その度に、僕は「幸せなんで」と言った。彼らは辟易したような顔をしていた。承認欲求を満たすための愚かな行為だって? 否定はしないよ。
そして、二年が経過した頃、美桜は全快して、退院した。
『退院おめでとうございます』
病院を二人で出た時、あの未来売買人の女が立っていて、僕たちに頭を下げた。
会うのは二年ぶり。気味の悪いことだ。容姿がまったく変わっていない。
僕は美桜の肩を抱き寄せながら、女を睨んだ。
「なんだよ」
『賞賛しに来ました』
女が言う。
『私の言葉を覚えているでしょうか? 人間には、生まれた時から運命という名の未来が決定づけられていると…。それを売ってしまえば、そこに残るのは空虚であり、何も良いことは起こらない…。と』
「うん、まあ、そんな感じのことを」
それを覚悟して、僕と美桜は未来を売った。
風が吹き付ける。
女の銀髪が揺れ、金色の瞳が僕たちを見た。穏やかな目をしていた。
『何も良いことは起こらないはずでした…。手術も上手くいかない。美桜様の体調は良くならない。ヒイラギ様も、心を病んでしまう…。そうなるはずでした。ですが…、実に興味深い』
女は、ゆっくりと、優しい口調で言った。
『貴方たちは、今…、未来を生み出しました』
まだ冬の気配を残した、三月の頃。
暖かな風が僕たちの頬を撫でる。
『荒廃した大地に咲く、一輪の花のように…、ちっぽけながら、美しい未来を、貴方は生み出しました…、人はおそらく…、これを「奇跡」と呼びます』
「そうか…」
僕は美桜の手を強く握った。彼女もまた、強く握り返す。
未来売買人は、にこっと微笑み、冗談っぽく言った。
『すばらしいことです…。どうですか? その未来、私に売ってくれませんか? とても貴重な未来です。今なら、言い値で買いましょう』
「いや、いいよ」
僕はははっと笑って首を横に振った。美桜も一緒に振る。
「この未来は、金には替えられない」
『そうでしょうね』
女がわかっていたように頷く。
『大事にしてください。その未来。悪いこともありますが、いいこともある。もしかしたら、悪いことの方が多いかもしれない。ですが…、貴方達は生きていける』
女は黒いマントを翻して僕たちに背を向けた。
『残念ですが…、未来を売る気も、買う気も無い貴方達はもう、お得意様ではありません。また別の人間を探すしかありませんね』
空気に溶け込むようにして消えていく。
僕と美桜は同時に、女に話しかけていた。
「おい!」
「ねえ!」
女がはっとし、消えかかったまま、僕たちの方を振り返った。
『…何でしょう?』
二人で声を揃えて言った。
「「ありがとう!」」
女の金色の目が見開かれるのがわかった。
「ありがとう! よくわかんないけど…、『正解』に辿り着けた気がする! あの時、あんたに出会っていなければ…、僕は、美桜に会えなかった…!」
女は笑った。
『私はただ…、商売をしていただけです。お客様が悲しもうがどうしようが、知った事ではありません。これからもただ、商売を続けていくだけです。お金のある人間や、価値ある未来をもった人間に漬け込む…、悪徳商売人なのですよ』
そうして、女は完全に消えてしまった。
時が動き出したかのように、背後の自動扉が開いて、見舞い人が仲睦まじい会話をしながら出てきた。
僕と美桜ははっとして、建物から離れた。
風に背中を押され、春の日差しに頬を緩めながら、今住んでいるアパートまでの道を歩く。
「消えちゃったね」
「うん、消えたな」
「なんだったんだろうね」
「なんだったんだろうな」
手を繋ぎ、スキップでもしそうな勢いだった。
「ヒイラギはさ、これでよかったと思っている?」
「うん」
「なんで?」
「美桜がいるから」
「うへえ、直に言われると気持ち悪い」
「なんだよ、照れるんじゃないのか?」
「愛情の裏返しってやつですよ」
「なんじゃそれ」
病院を離れ、平日昼間の住宅街は静かだった。僕の声がやけに目立って聞こえる。
「美桜、これから、どうする?」
「どうするもこうするも。仕事見つけないとね」
「ああ…、現実に引き戻される…」
「ヒイラギは、何処でバイトしてんの?」
「近くの書店。上手くいけば正社員になれそう」
「お、いいじゃん! 給料増えるんでしょ?」
「そうだけど…、まあ、しょっぱいよな。美桜に美味しいご飯を食べさせてやれないかもしれない」
「それなら大丈夫! 私も働くから!」
「病み上がりだからさ、無理しないでくれよ」
「いやあ、ベッドの上にいるとき、身体動かしたくてうずうずしてんの!」
「ああ、そう」
僕はため息交じりに頷いた。
美桜がふふっと笑い、僕に身体を押し付けてくる。
ふらふらっと肩を寄せ合って歩く二人を、神様はどう見ているだろうか?
これから、色々なことがあるだろう。
いいこともある。悪いこともある。悪いことの方が多いかもしれない。
だけど、二人なら大丈夫。美桜とならきっと、お金には替えられない価値ある人生を送っていける。ガラクタに名前を付けて、それを僕たちは「幸福」と呼ぶんだ。
不意にポケットの中のスマホが震えた。
「…もしもし?」
僕はスマホを耳に当てた。
『あ、○○出版の月山という者ですが…』
電話の向こうで、聞き覚えのある声がした。
僕は電話を切った後、カタカタと震えながら彼女を見た。
「…なに? 誰から電話があったの?」
「しゅ、出版社…」
「しゅっぱんしゃ?」
「うん」
涙を流しながら頷く。
「僕の小説が、賞を受賞したってさ…」
次の瞬間には、美桜が僕に抱きついていた。
僕も彼女に抱き着いて、二人で「やったあああああ!」と叫んだ。通りすがりの人には狂人を見るような目で見られた。
ああ、大丈夫。きっと大丈夫。
案外何とかなると思えた、まだ寒い春の昼下がり。
いっせーのーせで生き始める。
ここから先は、誰も知らない未来だ。
完




